こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

月初め、フィルター清掃をしました。

 

金曜日のFにかけて(笑)忘れずに。

 

スッキリしました。

 

 

本日寸劇とラジオ体操のお話です。

 

 

ピアノの発表会のために練習をしているぶどうさん。

 

今度で発表会は4回目だ。

 

この秋でピアノを再開して丸四年経とうとしている。

 

高校生のころソナチネの途中でやめて、30歳前でまたレッスンを受けるようになったものの。

 

諸事情で再び辞めてブランクの末、アラフィフの4年前にもう一度始めた。

 

高校生でソナチネを弾いているくらいだから、へたくそなのは一目瞭然。

 

才能はかけらもない。

 

30歳前でレッスンに通った理由は、ソナチネとツェルニー100番を終わらせるためだ。

 

どうしても区切りをつけたかったのだ。

 

熱心に通ったためか?うっかり教本を終わらせてしまった。

 

それでも大した曲は弾いていなかったので、初心者の域を出ずピアノから遠ざかり。

 

4年前の再開時にはウラシマタロコとなり、ピアノの弾き方を全く忘れ切っていた。

 

で、今苦労している次第。

 

ところで大人になってから習った教室2カ所は、教室発表会がなかった。

 

そもそも大人の初心者や再開者がたくさんいる時代ではなかったので、大人の取り扱いに困っている雰囲気があった。

 

発表会がないのは本当にありがたかった。

 

なぜなら、人前でパフォーマンスをすることが大嫌いだから。

 

それに発表会となると、同じ曲を延々弾かねばならない。

 

飽きるし、延々弾いたところでそんなに上達するわけもない。

 

意味なく足踏みをしているだけに終わる。

 

発表会は人前で何かやりたい人がやればいいのであって、やりたくない人はやらなくていいのに。

 

これがぶどうさんの意見だった。

 

けれど、ピアノ関係の人は口をそろえて、「人前で弾けば上達する」という。

 

これには懐疑的だ。

 

成功体験を積めればいいが、失敗の上塗りだけをしているとますます人前で弾くのが嫌になる。

 

もうすぐ、4回目の発表会だ。

 

これで最後にしたい・・(心の声)

 

これまでは、曲がりなりにも間に合わせることができたが、今回は仕上がっていない。

 

仕上がっていないなりに、最後まで練習を頑張ってはいる。

 

間違っては楽譜を見直し、外すところでは弾きなおしをし。

 

結果はついてきていないが、過去3回の発表会以上に努力はしている。

 

そうすると、だんだん、楽に弾けるようにはなってきた。

 

鍵盤上の手の動きがピアノに寄り添えるようにもなってきた。

 

なんだか不思議な気分だ。

 

同じ曲を延々弾くことには意味がないと思ってきたが、弾き続けると違う境地になるものなのか?

 

発表会は、できたところまで頑張る会になるのは必至だが、なんだか最後まで弾ききれそうな気持になってきた。

 

発表会の意味って、その日の出来栄えだけではなく、曲への気持ちの変容なのだろうか。

 

自分に自信がなくて、人前でピアノを弾くなんて嫌で仕方がなかったが。

 

こうなったら、できたところまでは堂々と弾けるように頑張ろう!と思う。

 

みんな頑張っているのに、舞台で恥ずかしがっている方がみっともない。

 

寸劇で、恥ずかしがってまじめにやらないと、しらけるのと同じ。

 

そういえば昔、会社に勤めていたころ朝いちばんにラジオ体操があった。

 

毎回ダラダラと適当にやっている人がいた。

 

やっている本人は気づいていないが、傍から見れば体操というよりタコの踊りのようだった。

 

みたくはないが、目の前にいるので目に入る。

 

きっちりビシッとやったほうが気持ちがいいし、見た目もいいのになあと思ったものだ。

 

寸劇やラジオ体操と一緒で、やるときはやる!

 

これが一番いい。

 

過去3回の演奏の失敗は置いておき、今回は演奏うんぬんより堂々とやれるかを基準に考えることにしたぶどうであった。

 

現実逃避?