こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

ピアノのレッスンに行きました。

 

あまりの出来栄えに発表会の曲の本腰を入れるよう突っ込まれました。

 

はい、がんばります。とほほ。

 

 

本日見えてくるもののお話です。

 

 

お犬様を迎えて3か月経とうとしているぶどうさんち。

 

犬が苦手で触れもしなかったのに、なんだか慣れた。

 

子犬だったし、成犬になっても~中型犬サイズなので安心して接することができたせいだろう。

 

大きくなりすぎないことを願っている(笑)

 

そうでないと、散歩のとき抱っこをせがまれても持ち上げられない。

 

へそ天(白目)で、夢の中で走っている犬を眺めると、かわいくて仕方がない。

 

けれど、とんでもないワンパク小僧でもある。

 

掃除道具に基地外の様に吠えまくり、わざとトイレを失敗し、サークルの天井を壊そうとあばれ、脱走を虎視眈々と狙って・・・

 

すごい犬を飼ったものだ。

 

そんなの犬の行動を見ていると、微妙な気持ちになる。

 

どうやら、わかってやっているようなのだ。

 

もしくは、感情に任せて破壊行動に出ているようだ。

 

最後は飼い主に怒られ、ハッとし、失敗した・・という表情にもなる。

 

まるで、人間の子供のようだ。

 

そしてそれは、過去の、子供時代のぶどうさんの失敗なのかもと思わせられた。

 

この子犬は、過去の自分なのだろう。

 

ということは、今のぶどうさんは親であり、親目線で犬を見ていることになる。

 

視野の狭い子供に、注意し、時に叱り、いろんな方法で諭し、たまに殴られ(昭和ですから・・)たのは、先を見越し、性質が悪いようにねじ曲がらないようにとの理由があったのだろう。

 

大人になり、自分の親の気持ちはわかったつもりではいた。

 

けれど、アラカンとなり子育てをしていないぶどうさんは、わかったつもりでもわかっていなかったことが多かったようだ。

 

人間の子供ではないけれど、犬の子供を育てて初めて、命を保ち社会で生きていくための躾や教育をすることが大変なことだと知った。

 

実際に命と向き合い、固有の性質を生かしながら悪いところは矯正しながら、大きな愛情の下で育てることの難しさ。

 

昔、子育てよりは犬育てを先にすべきだったといった知人がいた。

 

人間と犬は違うけれど、思うところがあったのだろう。

 

ぶどうさんには子供がいないので、どこが共通なのか、そうでないのかはわからない。

 

けれど、そうかもなあと思うことはいくつもあった。

 

その言葉の意味は、犬を育てたスキルの活用ととらえていたが。

 

実際のところそうではないと気が付いた。

 

目の前に現れたその犬は、子供のころの自分自身なのではないかと。

 

お調子者で、後先考えず行動し、思ったことを口に出し、やってしまってからの「しまった!」顔が、そっくりなのだ。

 

とんでもない犬が、まさかの過去の自分。

 

笑えない・・・。

 

はじめて犬を飼って見えてきたものは、過去のやらかしと子供時代の愚かさであった。


毎日何かしらやらかすぶどうさんちの犬。

 

疲弊し、あと15年ほどもこの犬の面倒を見ることができるのか自信がなくなってきている。

 

それでも、犬はかわいい。

 

兄弟の中では全く手をかけられなかったけれど、両親はそんな気持ちでぶどうさんを見ていたんだろうなあ。

 

親にはならなかったし、なってみなければわからない親心。

 

犬のおかげで、ちょっぴり親心がみえたぶどうであった。