子どもの頃、母から「さるも滑るほど幹がすべすべだからサルスベリと言うのよ」と習いました。私が初めて覚えた木の名前です。
母が晩年過ごしたベッドからサルスベリの木がよく見えていました。
先日、義妹(弟の妻)が「サルスベリの木を見たら、お義母さんを思い出します。部屋からよく見えましたね。」と言ってくれて、ふと母がサルスベリの名前を教えてくれたことを思い出しました。
子どもの頃、本当によく公園に連れて行ってくれた母。
そのことを母に話すと、「お父さんの転勤で暮らしたまちで、いつかこっちに帰ると分かっていたから、あっちにいる間にいろいろな公園に行こうと思っていたの」と話してくれました。母にとってあの時間は自由で楽しい時間だったのではないかと思います。もう、確かめられないけど。
私にも楽しくて、輝いていたときでした。もう、伝えられないけど。
子どもの頃、地理の授業で習ったフィヨルドを観に行きたくて、ノルウェーに行きました。
教科書で習うだけでは、どんなところか想像できなかった。
実際に見たフィヨルドはとても壮大で、私は地球の片隅に住むちっぽけな存在だということを改めて感じた。
フィヨルドを見る船の上で、台湾の方と片言の英語と筆談で話したのは面白い思い出です。海外旅行でコミュニケーションを取りたいけれど、なかなか叶わない私にとって楽しい時間でした。
Cuando era niña, aprendí sobre los fiordos en los libros de texto. Como no podía imaginarme cómo eran los fiordos, siempre había querido visitar Noruega. Cuando vi el fiordo por primera vez, sentí su grandiosidad y mi propia insignificancia.
Me gustaría comunicarme con diferentes personas cuando viajo al extranjero, pero soy tímido y no puedo hacerlo. Es un buen recuerdo haber conversado con un señor taiwanés en un barco mientras contemplábamos los fiordos, utilizando mi inglés rudimentario y escribiendo notas.


