内視鏡屋の日記 走・空・鉄 -34ページ目

内視鏡屋の日記 走・空・鉄

国内定期便のある全空港利用を達成し
国内鉄道の乗りつぶしを目指す医師のお気楽日誌。

11月30日 その7  

筑後川昇開橋は、国鉄佐賀線に存在し、筑後川をまたいで

福岡県大川市と佐賀郡諸富町を結んでいた

鉄道用可動式橋梁である。佐賀線の廃線後も保存され、

現在は歩道橋として活用されている。橋の全長は507.2メートル、

可動部分の長さは24.2メートル、昇降差は23メートルである。

 

前回ここを訪れた時は、西鉄柳川駅からバスに乗ってきた。

ホームページのアクセス方法には、

佐賀駅から走ってくるという方法は記載がない(笑

県境でもある

 

筑後川の中州が近くにある。

 

雨上がりで滑りやすかった。

 

この方たちはどうやって来たのであろう。

 

船が通る時間以外にも昇降はしてくれるが、

この時は下がったままであった。

 

福岡県に入って

 

渡ってすぐのところに駅があったようである。

 

筑後若津駅は、かつて大川市大字向島に設置されていた、

国鉄佐賀線の駅である。佐賀線の廃止に伴い、

昭和62年3月28日に廃駅となった。

 

もちろん廃線になって掘り下げたのだろう。

 

温泉の存在は知らなかった。

11月30日 その6  

かなり道幅が広くなってきた。

 

旧諸富町のマンホール、町の花しょうぶとムツゴロウ

上には昇開橋

 

諸富駅跡は町立体育館になっている。

 

諸富駅は、かつて佐賀郡諸富町(現・佐賀市)に設置されていた、国鉄佐賀線の駅である。佐賀線の廃止に伴い、

昭和62年3月28日に廃駅となった。

 

廃線跡らしい緩やかなカーブを描き

 

筑後川に突き当たった。

 

この延長線上が線路跡で

 

始皇帝の命を受け、不老不死の薬を探しに出かけた方だそうだ。

この辺りにも来たという伝説があるらしい。

 

筑後川信号場は、公園になっている。

 

かつては渡し船で渡っていたとのことだ。

 

ここに駅があったわけではない。

 

佐賀線のハイライトはこれになる。

11月30日 その5 

朽ち果てたキロポストだろうか?

 

広い道路を横断して

 

このぐらいは歩く人がいるということでしょうね。

 

佐賀は平野が多くて、道もずっと一直線である。

しっかり旧佐賀線と記載がある

 

駅跡が見えてきた。

 

光法駅は、かつて佐賀市北川副町大字光法に設置されていた、

国鉄佐賀線の駅である。佐賀線の廃止に伴い、

昭和62年3月28日に廃駅となった。

 

正直、これが当時のホームだったか怪しいところでもある。

 

観光ルート案内とあるが、レンタサイクルがあるのだろうか。

 

小さな川を渡って緩やかにカーブ

 

高度を上げて道路をまたいでいる。

 

当時の鉄橋を利用しているのかどうかは

覗いてみたがわからなかった。

 

再び高度を下げ、進んで行く。

11月30日 その4 

線路跡は東佐賀駅跡から少し狭い道になっている。

 

廃線跡あるあるで新しい住宅が多い。

 

境界杭が残っていたが、国鉄のものとは違うように思える。

 

川を渡ると

 

佐賀線偲橋と名付けられている。廃線跡あるあるですね。

 

しばらく行くと廃線跡の道路はサイクルロードに変わり

 

さらに行ったところに駅跡が残されている。

 

南佐賀駅は、かつて佐賀市北川副町大字木原

(現・南佐賀二丁目2番)に設置されていた

国鉄佐賀線の駅である。佐賀線の廃止に伴い、

昭和62年3月28日に廃駅となった。

 

それほど広い構内ではなかったようだが、スペースは取られている。

 

駅舎は当時のものが残っていて、今はトイレとして利用されている。

駅前道路

 

 

さらに先を進むことにした。

11月30日 その3  

ムツゴロウでしょうね。

 

地上駅時代はここに線路があったものと思われる。

 

現役の線路に戻って

 

佐賀線はこのように高架駅になっても分岐していた。

 

廃線跡らしい緩やかなカーブを描いて地上に降りている。

割と広い道路になっていますね。

 

家の門が道路側を向いていない、廃線跡の道路あるあるである。

 

ここに東佐賀駅があったらしい。

 

東佐賀駅は、かつて佐賀市東佐賀町に設置されていた、

国鉄佐賀線の駅である。佐賀線の廃止に伴い、

昭和62年3月28日に廃駅となった。

一面一線の単式ホームだったようだ。

痕跡は全く残っていない。