身内や、近しい人、また一度愛や深い心をお互い感じた人には、素晴らしい安堵がある。感動がある。私、貴方の前だったら、自分を解放してもいいの?
私は、私でいていいんだね??と、歓喜がある。私と、貴方は、つながっているね!と、絆を感じる事は、この世の最大の喜びでもある。
でも、その形が光だとして、もう一つの影としては、わかっているよね、ってお互いの事わかっているよね、それなのにこれなんだね、とジャラン!とかけてしまう愛と言う名の辛いし、悲しい鎖があるという。
私の事、愛しているなら、私の事、優先してくれるんじゃないの?必要じゃないの?変化してくれないの?そこには、愛がないんだね。
と、色々な愛の証明を求めて、愛を消滅させたくなるのだ。
光と影は常にある。
ギリギリのバランスなのである。
だけど、その重しをギリギリまで軽くする事ができる。
”天を信じる”力だ。まるでゆったりと、暖かい温泉にふんわり仰向けにつかって手足を伸ばせるほど、安らぐまで。そして、毅然と生きていくのだ。
明日開かれるページが恐ろしいと恐怖が襲って来た時こそ、安心するのだ。大丈夫だから。常に痛みに対して戦う準備をする必要なんかないのだ。
貴方は、奇跡を起こすのだ。貴方は、夢を実現させる。貴方は、この世で最高の安らぎと自由を得る。まるで、天にいた時のように。
それが、真実で、”貴方の宗教”だ。
人には最大の自由を渡せばいい。どうあっても、いいのだ。貴方は、貴方なのだから。人も、貴方も、究極に自由なのだから。何を考えても、何をしてもいい。追求したいなら。何故なら、貴方もそうなのだから。
貴方はどんな時にも、光るのをやめなければいい。
貴方は、無限の存在。天から来た人。神様の1部だった。
その上で全ての判断や善悪を手放し、周囲の愛を見つければいい。
真実は、誰にも罪がなく、できる事しかしていない。この世は正しさでできていない。
周囲の真実を見ればいい。罪がある人は誰もいなかった。
貴方は自由だ。更に素敵な光を見ればいい!貴方が何歳だろうが、関係ない。
貴方はいつもしっかり前を見て、素晴らしい光を浴びながら、祝福の中、生きていけばいい。
貴方の周りには誰にも罪が無い。貴方の周りにいた人、いる人は、究極ただ、貴方を愛した人だけ。貴方が愛していた人。
貴方を愛している人だけだ。綺麗事ではない。真実は、そこにある。
そうやって愛に向かっていく人が、沢山の陽気を追い風、愛という本質に戻っていきながら、生きてゆく。
だから私は陰気や殺気、邪気をはずして、最高の精気、生気、神気を使うのだ。どんどん光り輝いてゆく道を目指して。
そういう物をね、風水を使って応援したいなって今思ってるんだ。素晴らしい物みーつけよ