昨夜横浜の長女が私のこのブログを探し当てて読んだと言っていた。
FBもそうだけど普段家族、家人というのはフォローすることはあってもフレンドにしたり特別交流を深めたり他の知己とのやりとりみたいなことはしないし一定の距離感、というよりむしろできるだけ干渉しないことにしている。
私以外も特別口にして決めているわけでもなく気まずいというのが正直な感傷だと思う。
だからと言って読まれることを私自身は拒否ることはない。
亡くなった私の父は社長室にも食卓の部屋でも果てはトイレにまでカレンダーの裏とかにやたらと養生訓とか気のついたことを書き込んでは貼っていたことを思い出す。
昭和の人間のやりそうなことといえばそれまでだが今でも時々倉庫や遺品の中にそうしたものを見つけると懐かしいし父のよすがを感じる。
特に父と同じ年代に自分が到達してくると共感することが時を越えて感じる。自分が苦しい時、父ならなんて言うかな?と時折思いをめぐらすこともある。
孫をあいてしているときも昨年亡くした義母も生きていたらこんな時なんて言うかな?とか
クラシックの名演を聴けば亡くなった義父にきかせてあげたかったなーとか
ランニング中にも苦しい時に足元で一緒に走っていた愛犬たちの姿が浮かんでくる。
そんな時いつも愛犬たちは「パパ頑張って!」と吠えてくれている気になる。
くじけそうなときいつも失った彼らが今でも私の背中を押してくれている。
私のブログは基本自分自身の記録であり回想録でそれ以上でも以下でもない。
だけどいつかこのひとりごとたちも子供たちの背中を押すことがあったら嬉しい。