もの作りのジレンマ | 雲の呟き

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先日某TV番組をみていた。日本のクラフトマンシップはとても優秀だ。30年使われていた「セイロ」の傷んだ繋ぎ目を桜の木の皮を鞣して平たい紐状にし繋ぎ治す作業を齢70を過ぎた職人さんが丁寧に仕上げていく。

新品は16000円だそうだ。職人さん曰く、「新品を作るより手間がかかる」のだと。

以前私のipodで電池が発火するリコールがあってAppleが最新モデルをいきなり送ってきた事を思い出した。

とても手間のかかる作業のあと、セイロの修理代は3000円だったという。

良いものを日本ではよく「一生モノ」という。桐で作られた嫁入り道具とか一生大事に使えますという表現だ。

翻って良いものを作ると一生使われてしまう。永久に壊れない車では企業は社員を養っていけない。それでは職人さんは食べていけない。モノづくりにはいつもこうしたジレンマが潜んでいる。

職人さんにも問題がある。残していきたい技術なら後継者が育成できるような経済的な環境を作っていく必要があることに気づかないのだろうか?

メディアはモノづくりの重要性やその付加価値の高さを褒め称え、いかにも儒教的な日本の精神性を高揚するような番組作りをする。そうしたほうが視聴者の共感を呼ぶからである。

じゃ、3000円じゃだめでしょ?新品に買い替えてもらいなよ。だからあなた一代で終わってしまうのです。それでいいの?

いいならメディアも何もこんな取り上げ方はどうなの?マスメディアのADのバイト代にもならないような時給で何時間も費やす職人さんを憐れんでいるのか?失われ行く伝統工藝の末路が思い起こされて共感どころか妙に荒んでしまった。