昨年の国内での休業、廃業が増加しているとNHKが流していた。この前は国際収支が統計上最低だったとも。
国際収支は円安で燃料費がかさんで輸入超過だと分析していた。全く否定するつもりもないが、これも原発の重要性のための誘導報道みたいだ。
自動車の輸出が好調だと言う。そりゃ国家予算のような経常利益をあげるような企業もあるだろう。しかし大きな雇用の裾野を持っていた自動車も、電機も、果ては衣料も足の先は日本にない。ソニーがPC部門を売り払うらしい。ソニーよお前もか?である。
現実国際収支の内訳を見ると、海外での事業活動から得た収益が収入の大きな柱になっている。海外の事業所も日本から行って働く邦人の数も少ないはずだ。いわく投資収入であって、技術を持ち出して現地には貢献するが、持ち帰った利益で国内の雇用を確保してくれればいいのに、不要な雇用だと切り捨てられていった個人や零細企業は多い。しかも海外に出て収益を上げる力のある企業は多くは無いのだ。
親会社がついてこいと言われるままに海外に工場をたて、言われるままに現地の親会社の工場に納めるだけで、国内の事業所に残った社員たちを養うだけの利益還元できるところまで持ち込める事業所はよくやって2-3次下請けまでの事だろう。
一方で海外で奴隷のような劣悪な労働環境や条件で働く労働者の人権問題がクローズアップされて企業の社会的責任が問題になっている。
「企業は人なり」と言われて久しいが、かつての松下氏、盛田氏、石田氏が今の現場をみたなら何と言う事だろうか?
「お互い様」という言葉は死語になったのか?自分さえよければいい。モノポリーは経済活動のもっとも自然の趨勢だと断じれるのだろうか?
先日白熱教室で有名なマイケルサンデルがTEDで講演していてやはり経済行動を野放図にしておくことは人類にとって良いとは言えない旨のプレゼンをしていた。
誰もがゴロゴロ遊んで居たいわけではない。仕事さえあれば若いものも年配者も好んで非正規労働や年金暮らしはしていないはずだ。
大局的にみて人口の減り続けている日本が、経済的にいい市場な訳がない。物余りで道具にあふれたウサギ小屋住まいの庶民、先の不安を抱えて僅かな蓄えと年金を取り崩している老人たちに何を「消費」しろというのだろうか?
だがかつてアメリカで多くあったバイアメリカンならぬ国産主義を唱えようというのではない。すべては市場、すなわち我々消費者が選択してきた結果に過ぎない。一円でも安く、いいものをという欲求の多数が生み出した結果なのである。国際的にその役割が変化してきたことそれ自体は誰も止められない。端的に新たな産業育成と雇用の創出が求められている。
「あなたを今日から部長にします。ですから部長のなすべき課題を作り、達成してください。もう課長臭いことをしていてはいけませんよ」と言われているようなものなのだ。
思い返してほしいのは安いものが本当にいいのか?たとえば原発。短期には安い。だが大きな禍根と負債を国民全体にしいた費用は計り知れない。短期の利便性と経済性だけで何もかも意思決定されると将来大きなコストになってお返しがくるものも少なくない。
事業も短期の収益だけで意思決定していると「虻蜂取らず」で何もかも失いかねない。リーマン後にホームレスになったアメリカ東部の州ではホームレスになってしまってから生活保護をする費用のほうが債権にたいして補助や、支援をしたほうがコストは安く済むという活動を始めているらしい。
こうした課題の中、残したい技術や雇用を長期にどうみて集約し、活用し、保護、育成していくのか?政府や行政の役割は大きい。お金を増刷してじゃぶじゃぶばらまくだけで雇用や社会が安定するなど木を見て森を見ないに等しい。