権威 | 雲の呟き

雲の呟き

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ユネスコが日本食を無形文化にしたらしい。食の安全、衛生を含めて、長い歴史に培ってきた和食の洗練された調理法、作法の質の高さは我々日本人の誇りであり、よそ様に褒めていただくのは光栄なことは認める。それに先んじた富士山の世界遺産の認定も基本的に誇らしい事に間違いない。

が、へそ曲がりを承知で敢えて書き残したくなった。

食はどこの国々だって自分たちの郷土を愛し、そこで親しんできた地域の食を愛する気持ちは同じである。よそが何て言っても中華が上でも、フランスが下でもないのである。

意図することは大事にしてくださいねというお墨付きに過ぎないのだが、どこか「認定してやる」という「権威」を感じるのは私自身の器量の狭さか?

ずいぶん昔の事だが、私は成人式をボイコットした。昔馴染みに会うのはいい。ところがどっこい地域の地方議員だか県会議員だかひな壇に上がって祝辞を述べても、「新」選挙民に対する広報活動にしか思えない。なおかつお説教がてらのご託宣のあと「今日から「大人」」ですと判決分が展開されることになる。

それってどう?「成人式」って本当に大人になるというのに値する人格を兼ね備えた認定になるわけでなし、単に「未成年」という名札が外れたに過ぎない。

実際にその多くがまだ学生の分際で親に食わしてもらっていて、社会的にもその一翼を担うというには余りにおぼつかない状況が続いているにも拘わらず、おこがましいこと甚だしい。

大人になるには大人の行動規範が各人備わらないという意味では、ひょっとすると永遠にありえないのかもしれない。また誰かのお墨付きをもらうのでなく、自分で獲得すべきこと。生涯かけて成長し続けること。あなたに言われる筋合いではありません。というのが当時の主張だった。

無形文化財も世界遺産も、どこか20世紀の欧米中心の上から目線の認定に見えてしまう。

 横道にそれるが南アフリカのマンデラ氏の告別式に欧米の首脳が弔問外交よろしく集結していた。実に皮肉な話だ。心の広い南アフリカの民衆と故人の寛容さにむしろ大きな敬意を感じないわけにはいかなかった。

イギリス王室の財宝の多くが植民地時代にアフリカから持ち出されたものが多い。デビアスなどの資源メジャーが大きくなったのはイギリス帝国主義が黒人社会を支配してきたからだ。そのいわれなき虐げられた人たちの盾になったのがマンデラ氏だったわけなのに。

産業のために水銀汚染を容認し、国策によって痛めつけられていた水俣病について「克服した」と総理大臣がコメントできるというのは「ちょっと待ってよ」と言いたくなるのは私だけだったろうか?

先日、ある教授の講義で権力を握るものがリーダーシップを発揮するわけではなく、同義ではないということを述べられたのが印象的だった。権力の座についていなくてもリーダーと周囲が認める人格者であれば人は集まりリーダーと認める。吉田松陰や坂本龍馬は志の高さだけで周りがリーダーと認めて周囲を動かした。否周囲が動いたのだ。それこそが「権威」と呼ばれるにふさわしいのだと考える。

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