昔読んだ本の中に人とコミュニケーションを行って正確に伝わる確率が非常に低いと書いてあった。確かに言葉というものは発する側と受ける側が正確に同じレベルで特定の意味をきわめて同質的にやりとりすることなど現実にはあり得ない。
マスメディアもあるいはインターネットでもそこにいきかう情報量は10年前とは比較できないスケールになった。当然広がり方は均一、同質ではない。その現実を皆が認知したうえでいろんな事象であったり、ことの真偽を見極めて消化して反応しなければいけない。
ステレオタイプな「決めつけ」はできるだけ避けたほうが無用なトラブルを避けるために必要だ。昨年私が事業を清算するとき某ローカル局の報道番組が取材に来てほんの数秒オンエアに使われたことがある。残念ながらあの秒間で私の真意など伝わるわけも無く、あくまで局側の結論ありきの演出の枠組みに利用されてしまうだけの苦い経験だった。
いまさら苦情をいうつもりもない。所詮メディアというものはそんな作り物の世界なのである。しいて真実の報道があるなら「生番組」ぐらいしかないが、それもカメラアングルだの絵の組み方だの、はたまた解説者がいたりすると「生」であっても視聴者の受け取り方は微妙に変わっていくに違いない。
先日ある高校野球の優勝校の取材報道を見ていた。そこではとりわけ守備を中心に熱心であると感動的な演出で番組を構成している。むろん私も当事者の野球部の努力を否定するものではない。きっと並々ならぬ努力を尽くしてきたのだろう。が失礼ながら全国を目指す野球部ならどこだって守備はかなり一生懸命にやってくるはずだ。番組の中で「そんなの当たり前」と断じたら番組は成り立たないのである。
ある経済番組でも某企業を取り上げ「業界一」とか「人材育成優先」「地域貢献」とか美辞麗句が並ぶ。が綺麗事ばかりではなかったんじゃないか?成功の影に埋もれていった立派にまっとうなことを尽くしても「負け組」になっていった人々もいたはずだ。矢継ぎ早明らかになってきた偽装広告や偽装したメニューにあるような「どうしたら人を出し抜けるか?」レベルの企業理念が大手に溢れかえっていること。公開懺悔も「みんなで渡れば怖くない」のか?ずいぶんと厚顔なこと。
民放もスポンサーがあるからむしろわかりやすい。面倒なのはNHK。時の政権に不利益な事実、都合の悪いことを大きく取り上げることはほとんどない。マスコミで盛り上がっている小泉元首相の原発廃止論も「終わった人」のざれごと程度のようだ。
所詮政府広報なのだろうか?公平だというなら「事実」を忠実にひたすらたくさんならべるしかない。一昨年、地方で頻発した反原発のデモも取りあげられることはほとんどなかった。庶民くさいコメントを並べていても、多少のガス抜きのためでしかなく、行政に蔓延る既得権益だの、ことなかれ主義だの、予算の不公正な執行などキャンペーンなど張るわけがない。なぜなら彼ら自身が権益を守らなければならない側であるからだ。
NHKの正式なコメントによると、彼らの大卒モデル年収では、30歳で563万円、35歳で700万円(25年度)である。庶民感覚であるわけがない。ちなみに国税庁の報告では全国平均給与(H24)は男性で502万円、女性は267万しかない。
日本人は「和を以て貴しとなす」を美徳としてきた。だがモンスターにならずとも主張すべきを主張することは決して卑しいことではないはずだ。
話をもとにもどそう。受け取る側はいつもそうした情報の確度について自分たちなりにわきまえておくことが重要なことは論を待たない。先日も某バラエティ番組が「やらせ」が原因で打ち切りになった。あれも「話半分」と楽しんでいる分にはいい。取り上げられた企業の「沽券」を嘘だらけにしたことを除いては。
私のこの泣き言にすぎない駄文も所詮「話半分」ということでお願いしますm(__)m