石垣便の搭乗ゲートで待つ間、懐かしい現役時代の町工場の社長が連絡をくれた。私よりは若い世代だが、真剣に事業の整理を考えているらしかった。役にたったかどうかわからないが私の体験をお話させていただいた。国内の中小企業の置かれている状況が報道されている実態とは解離して切り捨てられようとしているのでは無いかと痛切に感じている。
先日NHKを見ていて震災復旧のVでこんなコピーが気になった「今有ることに感謝しよう」と。確かに人道的には一つの真理に違いない。だが以前NHKの職員の平均年収がとても高くてようやく少し削減するというニュースを読んで「お前には言われたくないな」と思った。税金や公共料金で食べている人達には競争社会で僅かなその日の糧を得るのに必死になっている庶民の哀しさなど理解はできまい。
ある日突然誰のせいで故郷をすてさせられて難民生活をしなければいけなくなったの??安全だと地域の人達を欺き莫大な税金を注ぎ込んで未だに捨て場の無い核廃棄物を出し続けようとしている国策だったのでしょう!「そんなつもりはなかった」では済まないはずでは?faxに猫がオシッコをかけても責任をとるメーカーとはえらい違いだ。
その政策責任者を選んだのも庶民、国民だというのか?想定しなかった?国民に正確な情報を提供してこなければ自分達に都合の良い事だけしか流してこなければ政策責任者の誘導尋問に過ぎない。その責任者たちが懺悔しそんな政府広報に終始するNHKも誰も処分されずに安穏と暮らすどころか「今有ることに感謝する」は無いだろう。
株価は上がっただろう。人から預かって金庫がわりで手数料だけふんだくる銀行のような金融資本家たちは潤うことだろう。持たざるものは蚊帳のそとで飢え死にしろというのか?弱肉強食のモノポリーな経済社会。淘汰されるのは歴史の必然だ。理不尽なこと、不条理なのは社会の仕組みなんだと断じるまま末路を迎えるのはもういい加減にしないか?
かつて搾取された農民たちは打ちこわしをした。暴力に訴えるのはよくない。暴力は暴力を呼ぶだけで終わらない輪廻に落ちる。いましむべきは将来を諦め無関心で行動しようとしないことだ。毎日同じことを続けるのは楽である。昨日と違うことをするのは勇気も努力もいる。失敗も挫折も言い知れない孤独も待っている。
しかしこのまま終わって良いのか?確かある調査で90以上の老人に人生を今振り返っての感想で一番多かったのは「もっと冒険すればよかった」という事だと聞いたことがある。彼が一歩踏み出すのもとどまるのも正解は無いだろう。あるのは自分の信じることを実践して守るに価値のある信念とその自負だけだ。
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