孫娘の泣き落としに一度負けた父だったが、手術の同意書まで来たら一転翻してこのまま何もせずに余命を過ごすと手術を拒否した。私の子供たち全員が説得を試みたが頑として聞かない。
私はあるNHKの職員OBのご夫婦がこれもお二人とも末期がんで闘病生活をつづった手記を自費出版した「二本の木」という本をNHKがドキュメンタリー番組にしたビデオを持っている。ギリシア神話に出てくる老夫婦の話をタイトルにしたこの話は末期がんと緩和ケア、終末ケアのご自身の体験である。奥さんが最期あまりの苦痛に耐えかねて24時間睡眠のための投薬を医師に乞い続いて意識を失いかけている奥様に最期の言葉をかけるご主人のシーンは壮絶としか表現できない。
私は両親にこういうことがこれから自分に起きることを覚悟してもなおかつその選択支を選ぶなら受け入れると言ってこのDVDを見せることにした。
父は数年前に前立腺に腫瘍が見つかったときに手術をしている。術後の経過が悪く以来排尿困難のために紙おむつになり、それでも粗相が絶えず自身も母も苦に病んでいる。ために長い外出に自信がなく控えがちになり、特に事業をやめてからは庭や近所を歩く以外は表に出ることがない。時代劇と相撲を見ることぐらいしか普段の楽しみは無い。母も今年になって背骨を圧迫骨折をしてからはそんな父の介護ができる体力も無い。
私たち夫婦ができるだけそばにいて手を貸そうとするのだが、プライドが高いのか、恥ずかしいのか、あるいは遠慮なのか父も母もよほどのとき以外は私の妻や私の助けを求めたりしない。
ギリシア神話の二本の木の話はある善良な老夫婦がゼウスに願いを聞かれると「私たちは老いました。もう何も願うことはありませんが、どちらが先に逝ってもつらい思いをお互いするので逝くときは一緒に」と語ったのでゼウスは二人を同時に木に変えてしまう話である。番組のドキュメンタリーでもご夫婦は亡くなったあと火葬して残った二人の遺灰を混ぜてどこかの木の下に蒔いてほしいと自然葬を願い「リンゴの木になるのもいいわね」という奥様の言葉で結んでいる。
今回見つけた腫瘍はまだ早期がんである。状況によっては内視鏡手術だけで術後のダメージは最少にとどめることができるかもしれなかった。
ビデオを見せて翌日。やはり意志は変わらなかった。私は正式に手術のキャンセルを担当医にお願いした。介護を必要とするような余生を父は望まない。このまま自然に寿命をまっとうしたいということのようだ。
あとどれぐらい今の状態が続くのかわからない。耐えがたい終末ケアが待っていることだろう。「もう生きていたくない」という介護の実態がこれほど身近であるし誰にでもやってくる。Quality of lifeというのは人それぞれ。どう支えていけるのか家族全員で努力しないと一人ではつぶれてしまうことだろう。