先月家族中胃腸炎に侵されていた。85歳になる父の検査中、胃の中央部に腫瘍が見つかった。良性か悪性かの判断に時間を要したが昨日担当医との面談で悪性のものだと告知された。
まだ初期の段階であり手術をすれば発見個所は根治できる可能性が高いという。だが父ももう85歳である。除去、摘出手術自身が体に与えるダメージ、術後の運動機能の低下などのリスクもあって家族の総意と何より本人の同意が必要で強制できないという。しばらく家族で相談するといって時間をもらった。
父はこの数年寝付いているわけではないが、あれほど好きだったゴルフも5,6年前からできなくなり、胃腸炎のための入院で1週間入っただけでもぐっと歩行機能が衰えたのを覚えている。帰宅してからはとにかくテレビのお守りはやめて足腰を動かすようにWii Boardを渡して踏み台昇降運動をするように勧めた。
そんな簡単なことよりも生きる覇気の無いほうが問題で、自分に自ら負荷を課すようなことはもうできない様子だ。父は尊厳死協会にずいぶん昔から入会していて今更手術は受けたくないともいう。一番大事なのは当人の意志に違いない。とはいえこのまま手を下さないまま進行がんになって食べたいものも食べられず不自由でなおかつモルヒネずけの時間を過ごす覚悟が本当に本人にあるのかどうか疑わしい。
手術をしない場合に想定できるシナリオはほぼ読めている。手術をした場合、最悪もあれば最良もどちらの可能性も残されているわけで家族の大部分は施術を望んでいる。
Quality of lifeとはよく言われる。天から頂いた時間をどう過ごすか?生きてさえいれば自分の体が不自由だって孫の嫁入りも拝めるかもしれない。まだまだおいしいものも食べられるかもしれないと言っても当人に「もう十分だ」と言われると病気に「挑め」と叱ったところでいじめにしかならない思いも抜けない。
何の前触れもなく「ポックリ」逝くのが一番幸せだが、3人に一人ががんになると言われる時代である。この年になるとたくさん友人や先輩を見送ってきた。他人様にはいつも最後まで「闘う」ことを勧めてきた。家人が直面するといかに無責任だったかと嘆かわしく思える。
病と「闘う」のか「つきあう」のか?いずれは訪れる終末。年老いた父ができるだけ安らかに受け入れられるほうを望むしかなく、父の決断を尊重したい。