先日家族中感染性の胃腸炎に振り回され自宅謹慎していた。少し回復したころビデオにとりだめておいた「オイコノミア(ギリシャ語でエコノミクスの語源とされる)」を見ていた。
タイトルは経済学的幸福論。大阪大学の大竹教授と芸人の又吉が深夜にやっていたもの。政府の統計調査をもとに「幸せ」の本質に対する考察を展開していた。
自分の幸福度を0から10までで評価するとという質問の回答調査に日本全体の平均点は6.6だそうだ。世代別でいくと点数の一番高かったのは10代。一番低かったのは50代。20代になっていったん落ちてから30代後半にかけてのびていくが50代をそこに落ちて行くらしい。一般的に幸福度は男性より女性のほうが高く、県別では幸福度が最も高いのは兵庫県、2位は熊本、3位は岡山。当地愛知はベストテンにも入っていない。またこの50年ぐらいGDPは数倍のびたにも拘わらず、満足度はあまり伸びていないこと。年収別でも満足度に一定の相関はあっても必ずしも幸福度の決定的な要因だとは言い切れないらしい。
一方現代の20代へのアンケートでは失業率が高いにも拘わらず不満度、満足度ともに以前とほとんど変わらないという。ここで「相対比較仮説」なるものが説明される。身の回りが自分とあまり変わらない境遇であれば不満を感じることが少なく、同時に幸福度も変わらないというもの。人間というのは他者との比較で「幸福」を認識しやすいという。家康のいう「不自由を常と思えば不自由でなく、、」ということか?
幸福を「満足度/欲求」と定義することもある。欲求があるのか?無いのか?言えば欲得でやってないところは分母が「0」だから幸福度も「0」になってしまう。
パスカルのいう「人生は気晴らしの連続。ただのひまつぶし」と言い切るのも虚しい。般若心経のいう現実はすべてすでに決まったこと人の叡智は遠く宇宙の真理には及ばないとうそぶいてしまうことも。
走っていて人によく「なんでそんなにつらいことを?」と問われることは多い。確かに。いつやめるか約束するつもりもない。理由や言い訳をつけることは簡単だ。
ビジネスなどチーム、組織で何かを達成するとき、いろんな異なった考えの集まりを一定の成果に導くにはテーマも理由も必要かもしれない。
でもこと個人的なしごくプライベートな成果に理由や言い訳も、ましてやよそ様の評価も必要だとは思はない。自己満足大いに結構ではないか?いくつになっても好奇心と欲求を抱き続けること、が私の幸福の源泉だということだろうか。