ハワイに入って5日目。パックツアーの日程は短い。明日の午前には機上の人である。レース後上さんは想定どおり動けない(^_^;)だいぶケアをしたので無理すればとは思うが無理することなく過ごすほうがいい。レースの前を長くするか後を長くするかはこうした事情から想定していた通り無駄にならずに済んだ。
夕方カラカウア通りの反対の2階にあったシーフード&ステーキという看板。アトランティスというレストランで夕食をとる。オーナーは中国系の方らしい。スタッフもほとんどChinese Americanのようだった。
となり合わせた日本人の団体さん。どこかの高校らしい。大人数でホノルルマラソン参加のようだ。ほかにもルアウパーティの時に大阪の興国高校の学生たちがテンションあげてたしレース中もボランティアとはしゃいでいた。学生たちには楽しい想いでになったことだろう。ほかにも九州の専門学校生とか親しくレース中話すこともあった。高校でハワイかぁ(-.-)広島や山口に行った私たちの世代とは比較にならない。
食後すぐ部屋に戻ってパッキング。翌朝6時半にはJALパックの手配したボーイがラゲッジをピックアップに来るので急がないと落ち着かない。ところがまだ娘たちへのまともなおみやげが無い。上さんは動けそうにないので、私一人ホテルに入っているテナントに行きロイヤルハワイアンのノベルティを仕入れてきた。1927年創業のこのホテルの80周年記念でオリジナルのテディベア(足の裏にホテルのロゴが縫いこんである)とネーム入りのピンク色のマグカップである。
これらを割らないようにクッションがわりに衣服やハワイアンキルトに巻き込んでトランクに詰めた。セキュリティの厳しいアメリカはトランクを開けるので気がかりだったが手荷物に入れるのも大変だった。万一割れていたらクレジットの保険で補償してもらう覚悟で梱包を済ませた。
翌朝精算書の明細が部屋のドアの下から投げ込まれている。予定どおりラゲッジを預け、朝食をハワイアンセンターのコーヒースタンドで済ませてからチェックアウトをする。事前にクレジットカードをホテルは登録してあるのでフロントに声はかけるが何も手続きすることは無い。
最後に改めてホテルの周辺で記念写真を数枚。
JALパックデスクに行って用意してあったワゴンで空港へ。名残惜しいが日本のB級グルメが恋しい。帰ったらうどんだな(-.-)ムショウにかつおだしがのみたい。
空港でローカル紙に載っているホノルルマラソンの特集記事を読んでいた。また来るだろうか?上さんは「もう2度とフルはしない」といいつつ、「今回一番楽しかったのは何?」という問いに「マラソン」という、、、、おかしくないか?
今度はしばらく英語脳が消えなくて戸惑っていた。空港のカウンターで日本語で話されても持ち前の度胸英語で返すほうが楽になってきている。もう1週間ぐらいいたらもっと楽に英語が使えるようになるんだろうにと思えてたが、近くに名古屋弁を話す日本人ばかりになってきたら日本語脳に戻るのに時間はそうかからなかった。
機中映画を4本みた。国際線の映画は国内未公開もあるから楽しみには違いない。がさすがに4本はくたびれる。TVゲームのポーカーもつまらなくなったころ霞ヶ浦上空に入った。
ディズニーランドとスカイツリーを翼下に見ながら神奈川から静岡へ。夕暮れがかって影が東に延びている神々しいまでの富士を見て日本はいい国だなと率直に思った。
28年ぶりに上さんと振り出しに戻ったつもりでハワイに出向いた。もうあの頃の初々しさもカワイらしさも上さんにはもうない。私も生意気な青二才でひょろひょろな若造でも無く。お互いしわを増やして帰ってきたハワイはやはりあの頃とは違っていた。特にワイキキは便利にもなり成熟したリゾートになっている(浪費くさいけど)
思い出を探しにいってももうそこに自分は、あの頃の自分たちは見つけられない。瞬間瞬間がすべてなんだと痛感する。だがその変化もまた楽しんで味わうことができたら、しかもそれを生涯の伴侶と過ごせたことはきっと忘れないことだろう。







