パリのアメリカ人・・・じゃありませんけれど、グラナダやセビリアにはとてもたくさんイギリス人がいます。観光客ではなくて、大体何年か前にアンダルシアに来て「素晴らしい!」と惚れこみ、本国での仕事を投げ打って移住してきた人たちです。その覚悟は確かに半端ではない。私の知人でももと弁護士、もと新聞記者、もとバス運転手、もと教師、と様々な人たちがいます。


なんといってもここは晴れている。イギリス人はどうも太陽のあるところに弱いらしく、マラガなんかには大挙して訪れます。でも旅行ではなく移住してきてしまう人たちは、太陽だけではなく、何か+アルファに惹かれて来るらしい。祖国と違って行列にきちんと並ばないここの「いいかげんさ」(おおらかさ、ともいいますが)に、実はひそかに惹かれているのではないか、と私は睨んでいるのですが。


理由はともかく、私が羨ましいなあ、と心底思うのは、そうやって「気に入ったからグラナダ(セビリアでも)に行くぞ!」と一度決めたら、あまり障害もなくすっと移住できる、という点です。もちろんEUだから滞在許可の問題も、労働ビザの問題もない。でもそもそも仕事がそんなにないアンダルシアでも、彼等には英語という最強の武器があるのです。三ヶ月も勉強してTESLという英語教師の資格を取れば、「英語ネイティブ教師」として怖いものなし。強敵のアメリカ人はビザの問題で、ここではなかなか就職できないのです。


スペイン人はかなりモノリンガルな人たちで、例えばベルギーや北ヨーロッパのように「余裕で四ヶ国語とか五ヶ国語できちゃう」というような人たちが一杯、ということは全然ありません。街で英語がほとんど通じないので、スペイン語を勉強するにはいいけど。でもそれだからか「英語を習わなきゃ!」という雰囲気はとてもあって、そこらへんに語学学校がごろごろしています。大体外国人向けにはスペイン語を、同時にスペイン人向けには英語やフランス語、その他の言葉を教えています。でもやっぱり一番の人気は英語なのです。


そして最強の英語ネイティブは、お給料はそれは安いにしても(アンダルシア全体で安いのですが)、そういった学校で英語を教えればとりあえず食べていける、という構造になっています。モラトリウムには最適だし、やってみたら気に入ったので十年以上英語を教え続け、どんどんステップアップしていった人もいます。大学で翻訳を教える教授になってしまった、という人もいますが、これは別格。


日本語でこれができるか、といったら無理ですよね。それに、せめてアジア域内でも労働ビザをなくしてどこでも働けるように・・・なんて言ったら多分日本がパンクしてしまうだろうし。そしてなんといっても言葉に対する需要が違います。


さすが世界の共通語、と英語ネイティブが羨ましい。それはそうとなぜ「共通語」は lingua franca というのでしょうか?昔はフランス語が強かったのだろうか(全然関係なかったりして)。なんとなく「英語は世界のリングア・フランカだ」、というとヘンな感じがするのですが。


実は阿刀田高さんの本は、これと続編「新約聖書を知っていますか」しか読んだことがないのですが、この二冊はスペインに持ってきている数少ない日本語の本の中でも、何度も繰り返して読んでいるものです。


私は無宗教ですが、ヨーロッパではものすごーく基本的なキリスト教の知識と、やっぱりものすごーく基本的なギリシア神話の知識がすごく大事だったりします。美術でも文学でも音楽でも建築でも、ただ「ふーん」と思って見たり聴いたりするか、「あ、これはあの話にでてくるあのヒトね。あれをしているところね」となんとなく思ってみるのと、かなり面白さが違うのです。


なんだかいやに人間くさい神様が一杯でてくるギリシア神話と違って、聖書の世界はどうもとっつきにくいなー、という感じだったのですが、この本はものすごくわかりやすい。その上笑える。そしてためになるのです。でもあまりにすらすら読めて、読後簡単に全部忘れちゃうのが問題といえば問題かも。ってそれは記憶力がないだけでしょうか。


おお!そうだったんだ!といやに感動してしまったくだりを抜粋。


ローマ市内の名所サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ聖堂に行くと、ミケランジェロ作のモーセ像がある。ローマに行った人はたいてい見ているはずである。これは山から降りた、そのときのモーセの姿であり、神を信じない大衆に対する怒りと侮蔑が表情に溢れている。だが、

「あら、モーセって、角が生えてるの?」

なるほど、額の上に角らしいものが二本突き立っている。むしろ異教徒的に移る。チャールス・ヘストンには、こんなもの、ついていなかった。

「牛になっちまったのかなあ」

金の雄牛を火中に投じたので、それでばちが当たって・・・そんなはずがない。どうもおかしい。

種を明かせば、これは製作者ミケランジェロのまちがい。神との交わりで、モーセの顔は光を放っていた。この「顔が光る」と「角」がヘブライ語でよく似ているらしく、まちがったラテン語訳が流布していたせいである。モーセが牛になったわけではない。

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そう、そういえば美術史の教科書の写真が印象に残っていたのでした。鬼のような角が生えている・・・。疑問氷解、と気をつけてみてみると、スペインにも角の生えたモーセが時々いるのです。面白いでしょ?・・・と記憶に残るのはこんな部分だけだったりするのですが・・・。







グラナダ名物の一つに、テテリアがあります。カフェテリアではなくて、テテリア。そう、お茶を飲むところです。大体紅茶ですが(日本の緑茶がおいてあるところもありますが、緑茶だとミントと砂糖がたっぷりのモロッコ風のほうが主流です)、「ああ、カフェの紅茶版ね」というと、一味違う。なんといってもここは、アルハンブラのある街、ヨーロッパのオリエントが「売り」の街ですから。セビリアにもコルドバにもテテリアはありますが、グラナダは数が違います。うちの近くだけで10軒以上あるんじゃないかしら。


テテリアは大体こんな外見をしているのですぐわかります。↓


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アラブ風というか、イスラム風なのです。メニューを開くと、なんだかすごい名前の紅茶がたくさんあります。「千夜一夜」「アルハンブラの夜」「サハラの夢」等々・・・ミルクたっぷりで、カルダモンの入ったいわゆるインドのチャイは、なぜか「テ・パキスタニ」と呼ばれており(そのほかに「インド風」というのもあるのですが、何が違うのかよくわかりません)、そのほかにも「アルジェリア風」「エジプト風」などいろいろあります。私は八角の入った「エジプト風」が好きです。


外見だけではなく、内装も凝っています。インテリアや小物は、大体モロッコから持ってくるらしい。

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あ、見知らぬカップルを撮ってしまった。失礼。天幕にアルハンブラ風のアーチ。椅子やテーブルも全部アラブ風です。紅茶もこんなので出てきます。↓


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これも全部モロッコからもってきているものです。一応ムスリム風なので(?)お酒は置いていませんが、この写真に写っているような水タバコが吸えます。果物の味のついているタバコがほとんどで、私は林檎と苺を試したことがありますが、おいしいんだけど、すごくまわりがはやい。何人かで座って、ぼけーっと吸いまわすものです。紅茶は大体3ユーロくらい、水タバコは10ユーロくらいだったと思います。あとはものすごく甘い、アーモンドなんかを使ったアラブ風のお菓子もおいてあります。


このテテリア、実際に働いているのも北アフリカや中東の人が多いのですが、モロッコ人の友人に「本当に向こうではああいうところでお茶を飲むの?」と聞いたら「違う」ときっぱりと言われました。普通のカフェで飲むそうです。これははっきりと、グラナダで育った観光産業らしい。なんでもテテリアをはじめたのは(当然グラナダです)、モロッコ人でも中東の人でもなく、オランダ人だったんですって。なーんだ。でもこれはこれでいいよな、という気もします。なんというか、ここはどこだ?という気分になれるのです。グラナダにいらしたら、是非どうぞ。

グラナダに来たばかりのころ、この仕事をやっていてよかった、と思えた一件がありました(そのときは、まだ仕事を再開していませんでしたが)。


スペインにおけるイスラム文化の授業を取っていたのですが、ムスリムからスペインを奪い返そう、というカトリックのレコンキスタ運動のさなかの12世紀、キリスト教側の街トレドには翻訳者たちの集団がありました。トレドのライムンド大司教、そして13世紀にはアルフォンソ10世がさらに力を入れて育てることになるこの集団は、一般に La escuela de traductores de Toledo と呼ばれています。Escuela は学校ですが、翻訳を教えていたというよりは、実際に様々な文書をアラビア語からラテン語に、後には直接スペイン語(というか当時はロマンス語)に翻訳し、キリスト教世界に知識を広めていたのです。


翻訳者にはユダヤ人が多かったようです。でも何よりすごい!と思ったのは、キリスト教徒側が集め、翻訳し、普及したアラビア語文書の中に、なんとアリストテレスの哲学書があったということです。古代ギリシア語で書かれたこの文書は西欧世界では一度は失われてしまったのですが、ムスリム達がこれをアラビア語に翻訳していたのです。しかも盗作なんかせず、きちんと原著者名を残して!そして気が遠くなるような時間のあと、これが再びトレドで翻訳され、西欧世界に戻ってきたというわけです。ちょっと感動しませんか?


トレドでの翻訳は、口頭で行われていたようです。つまりアラビア語の文書を前にして、まず一人目の翻訳者がそれを読みながら口述でラテン語に直していきます。それを二人目の翻訳者が、ロマンス語に直しながら筆記していったらしい。なんだか同時通訳と翻訳を同時にこなすような、すごい作業ですよね。


ムスリム達がアラビア語に訳した文書は多岐にわたり、遠くはなんと中国のものまであったそうです。薬の作り方か何かに関するもので。あとインドの文書とかもあったのですって。中国語の漢字で書かれた文書が、そんな大昔にアラビア語に直されていたなんて!とまた感動してしまったのでした。


ちなみに大学の語学センターの近くには、この街出身の翻訳者の銅像が立っています。

この人です↓


Tibon


イブン・ティボンさん。1120年の生まれですから、上記の翻訳者たちの一人です。この人もユダヤ人です。何かの文書を持っているところがいいですよね。何か訳し終わったところなんでしょうか。


そばを通るたび、あやかりたいわ、と思って彼の靴のあたりに触ってみたりします(変か?)。実を言うとこの仕事に初めてついたときは何も考えていませんでした。でも、今では私の仕事は、アリストテレスの再発見(西側から見ればね)につながった大仕事の、末裔の末裔の末裔の末裔・・・・(中略)・・・の末裔に連なっているんだ、と思ったりします。そうするとなんだか嬉しいじゃないですか。



ここでは、急いではいけません。


要領が悪いのか、貧乏性なのか、私はいつも何かに遅れそう!と急いでいます。今朝も先生に会うのに遅れる!とものすごい早足で大学に向かっていたのですが、これが実はここでは難しい。何が、って早足で歩くことがです。


別にそんなに人でごった返している街ではありませんが、問題はそこではない。そうではなくて、誰も真っ直ぐに歩かないのです。なんというか、道の右端に寄ったり左端に寄ったり、ちょっと漂っている感じ。そして知り合いとか、面白い店とかを見つけると予告もなしに、道の真ん中でぴたっと止まってしまうのです。後ろにいる人は、そんな場合に備えてちゃんと車間距離(というか人間距離)をとってゆっくりと歩かなければなりません。


私のようにセカセカと早足で歩いていると、誰かにすぐぶつかります。ぶつからなくても、さーっと誰かを追い越したりしたときに、「ケ・プリサ!」と言われてしまったりします。「なーんて急いでるの!」くらいの意味でしょうか。急ぐのはどうもよろしくない、優雅でないことなのです。


これを感じているのは私だけではなく、以前イギリスに留学していた友人が遊びに来たときも、うん?という感じで「何だか歩きにくいなあ」とつぶやいていました。私の連れも皆が真っ直ぐさっさと歩く(?)イギリスの出身なので、衝突が絶えません。


イギリス人といえばもう一つ、行列にキチンと並ぶことに情熱を傾けることで有名ですが、これもここではダメ。店でも市場でもバスでも、なんだかごちゃっと人がいて、新しく来た人は「誰が最後?」と一応聞きますが、別に列を作るわけではないので、「次誰?」と聞かれたときに「あたしあたし!」と自己主張しないとすぐに飛ばされます。のんきなようで、サバイバルだったりする。時々ずうずうしく割り込む人がいるので、「あたしが先よ」としっかり言わなければなりません。


連れは非常にイギリス人らしく行列を愛するヒトなので、こんなところで妙なストレスがたまるようです。


私は別に日本人らしくキチンとしてるから、というのでは全然ありませんが、短気だしいつも急いでいるので、やっぱりいらいらしたります。でもせかせかしているのって美しくないよなあ、という劣等感がどこかにあるので、真っ直ぐじゃなくてふらふら歩いていたり、列をきちんとつくらないでごちゃごちゃしていたりする人たちがちょっと羨ましいかな、などと実は思っているのです。ちょっとだけですけど。


いつでも真っ直ぐにキチンと早足であるいて、キチンと列に並ぶ立派なヒトに、「ケ・プリサ!」と言っちゃう脱力文化、ってなかなかいい・・と思いません?


こちらに戻ってきて楽しみなことのひとつは、料理です。食材が新鮮で安いから。手の込んだものはつくれませんが、もともと料理は結構好きだし、なにより新鮮な野菜とかを見ていると嬉しくなってきてしまうのです。


まあ人を呼んだときは結構たくさんいろいろ作ってみたりするのですが、一人のときはチーズを切って、トマトを切って、パンにえいっとはさんだだけだったりします。でもおいしい。あとサラダね。


この頃なんだかたてこんでいて、外は晴れているのにココロがすさんでいるので、今日は一人だけどちゃんと食べよう、と決めて、大学に行った帰りにお昼の材料を買ってきました。グラナダのメルカード(市場)は、大聖堂の近くにあります。なんだかいろいろと売っています。八百屋が軒を並べている道があって、トマトやピーマンがつやつやと光っています。

この写真は南瓜ですが、なんだか異様に大きく、鮮やかなオレンジです。これは水っぽくて、煮付けにするとまずいのですが、スープにすれば絶品です。形は瓢箪(本物をみたことないけど)をちょっと丸くしたような感じ。

マーケット1

いつも野菜は買いすぎてしまいます。今日はトマト、ピーマン、長ネギ、クルジェット(化け物のように大きい)、ベビーレタス、パセリ、などなどを買い込んでしまいました。あとはメインに魚を買うか。


マーケット3


・・・とこんな感じで売っています。結構新鮮で、お店によっては生で食べられそうなマグロが売っていたりしますが、怖いので試したことはありません。この魚がほしいなー、というと、えいっと切ってハラワタを出し、ウロコをとって、セビレなんかもぜんぶ切って売ってくれます。でも今日はシャケを買ったので、このくらいの厚さね、と言って輪切りにしてもらうのです。


ここでなんといっても安いのはムール貝で、一キロ2.5ユーロとかで売っています。350円くらい?因みに今日のシャケは、1.5センチくらいの厚さの輪切りで1.8ユーロでした。安い・・・。


新鮮な食べ物を買うとなんだか嬉しくなります。今日のお昼は、パセリとニンニクとサーモンのワイン蒸し焼きに、トマトを一個ただ輪切りにして塩胡椒したサラダ、あとご飯をたきました。今日も快晴だったので(雨が足りないのです)、屋上でぼーっとそれを食べていたら、少しのんびりとした気持ちになりました。

大学生の半分がコカインを試したことがある。


・・・って平気で言われても、びっくりしますよね、普通?スペインはEUの中で一番、人口比でコカインの消費率が高いのだそうです。上記の「げげっ?」というような発言は、同居人のアントニオ君(弱冠23歳、アンテケラ出身、心理学専攻だけれど今年から文学もダブルで専攻)がのたまった言葉です。全然ちゃんとした統計でもなんでもないですが、妙に信憑性があったりする。


なんといっても、「コカイン」とか「ヘロイン」っていったら私の世代だったら「ものすごく高価でものすごくヤバい麻薬」という印象だったのですが・・・なんでもグラナダでは1グラム60ユーロ(1ユーロ今140円弱ですね)、ギリシア人の知り合いの話によればギリシアでは1グラム80ユーロなんだそうです。でも1グラムがどれくらいの使いでがあるのかはわかりませんが。


そこまでハイレベル(?)なドラッグでなくても、マリワナやハシッシュなんかはもう当たり前、という感じで家の近くのアラブ人街で売っています。いいんだろうか・・・。どれだけ当たり前か、というと、前述のアントニオ君が去年、うちの屋上でマリワナを育てる、と言い出したくらいです。育てて乾かして、売って収入を得るつもりだったらしい。それって売人?! だってちゃんとお金を稼いで親から独立したいんだ、という見当はずれなことを言う若造を、あんたのお母さんがなんて言うと思ってるの、と説得せねばなりませんでした。


なんだか異常にドラッグの消費量が多いのはなんでなんでしょうね。大学の校内新聞なんかちらっと見ても、「マリワナを吸い過ぎると試験勉強によくない」とかいう記事が載っていたりして、大丈夫かスペイン人?!と問いたくなります。なぜだ?!






なぜかいろいろなことが起こるときは一度に起こるもので、今大きめの翻訳を二つ抱えてちょっときゅうきゅうになっています。とても面白い仕事なのですが、大学の手続き、滞在手続き、日本からの来客・・・と全部いっぺんにくるとかなりぱんぱんになります。


こちらに来ると仕事は在宅翻訳がメインになるので、たくさん仕事があると外に出られないうちに一日がすぎていってしまったりします。今日も同居人たちはみんな出払っていますが、私は午後6時だというのにまだ部屋着で翻訳三昧。近所のサバ猫が遊びにきて、さっきからずっと私の部屋の窓の外に座って、外をながめています。


このどうしても引きこもりがちになる仕事、できるだけ外でできる部分は外でやるようにしています。私の場合、原稿を受け取ったらよっぽど短くない限り、一旦全部プリントアウトしてしまい、それをとにかくまず読むのですが、それを外でやる。わからないところに線は引きますが、特に辞書は使いません。これをどこかに出かける予定があれば長距離バスのなかで、なければ意地でも出かけていってそこら辺のバルで読んだりします。


そこからが引きこもり。PCは一応ノートですが、外でやるには電源の限界があるので(それでも長距離バスのなかではやったりしますが)、大体家でとにかくひたすら翻訳します。ここではPCに内臓してある辞書は使いますが、固有名詞や専門用語はあとでまとめてインターネットで調べるため、まず一度とにかくざっと訳してしまいます。流れと勢いが大切だ!と思うので。だって話の途中でいきなり campylobacter とか言われたってわからないもの!それはあとでまとめて調べるのです。


で、一旦訳すところまで訳してしまったら、プリントアウトして、もと原稿と翻訳原稿を抱えてまたどこかに出かけます。大体バルですね。コーヒーか何かを飲みながら、今度はじーっとオリジナルと翻訳を読み比べ、絶対にある間違いを直し、抜けているところ(これも絶対ある)を入れます。そして家に帰って打ち直し。またこれを打ち出して外に持ち出し、今度は日本語の流れが悪いところ(これも山のようにある)をどんどん直していくのです。鉛筆で。その直しを反映させて、最後に画面上でさーっと読んで、ひっかかるところがなければ終わりです。


なぜそんなに何度も打ち出すんだ!紙の無駄!と思わないでもないですが(インク代も高いし)、ひたすら外に出るためです。たとえそれがバルであっても。外にでれば明るいし、人がいて、おいしいコーヒーを飲みながら、時々道ゆく人とか犬とかを眺めながら仕事ができるからです。


というわけで、今日はまだ外に出られていないのですが、そろそろ着替えて意地でも出ようかと考えているところです。まだ夏だから日は出ているし。残念ながらプリントアウトするところまでは行き着かなかったので、大学のほうの資料でももって出かけますか・・・。

こちらに来たばかりのころ、よく耳にしたけれど意味のわからなかった言葉のひとつに、 oposicion というものがありました。英語のoppositeと関係あるのは間違いない、という音と綴りなのに、「反対」とは全然関係のない文脈で使われている。こういうとき、本当はすぐ辞書で調べるべきなのでしょうけれど、なんとなく「耳につく言葉は意味が自然にわかってくるまで待つ」という変なクセがあって、ずっとナゾが続いていました。単なる怠慢だろうか・・・


結果から言えば公務員試験のことでした。しかしなぜ「公務員試験」という言葉がそんなに耳につくほど使われているのか。それはここがやたらと公務員志向の高いところだからです。大学でも、インテルカンビオ(語学交換)の相手と話していても、とにかく公務員になりたがっている。なぜだ?! と非常に不思議だったのを覚えています。


その謎は今でも完全に解明されてはいないのですが、ひとつには公務員職がとても多いからではないか、と思います。教師や大学講師に職員(スペインにももちろん私立の大学はありますが、日本とは数も割合も比べ物にならないと思います)、役所にもやたらと人がいるし、もちろん観光名所の職員も、心理学者までみんなみんな公務員です。人気職だけあって、条件も民間よりいい場合が多いらしい。一年間休職して外国で他のことをしてみたり、給料がよかったり。バイオをやっていて研究職の友人は、「絶対国立の研究所よ!」と力説していました。もちろん彼女も公務員です。


あとは大学にいると、年齢が若くてもとにかく安定志向が強い人が多いのを感じます。これはひょっとしたら地元意識の強い街に住んでいるからかもしれませんが。生まれたのもここだし、育ったのもここ、働くとしてもこの街かせいぜいアンダルシアの中でしか移動はしたくない。私はおととし一年間文学部で勉強したのですが、周りのいい若者(24,5歳くらいまでですかね)が卒業後の職さがしをしていて、「語学教師のインターンがあるんだけど、遠すぎるからやめた」というのを何度となく耳にしました。どこ?と聞くとモロッコだったり中国だったりします。一年くらい行って来い!と私などは思うのですが。英国やフランスならとにかく・・・って、フランスよりモロッコのほうが近いのにね。それに日本から来た私が目の前にいるのに、中国が遠すぎるってことがあるかい。


ということで、安定志向だから、金銭的な理由でも地理的な理由でも公務員職が非常に人気なのかしら・・と考えたりもします。人気職だけあって試験は非常に難しいらしく、フルタイムで試験勉強をしている人もたくさんいます。もちろん公務はとても大切ですが、民間職よりもそんなに条件がよくていいのか?! と私などは思ってしまいますが。



本日10月3日が新学期なので、学生の街グラナダはどこも若者で一杯です。我が家の同居人たちも、ワタクシを除けばみんな学部生なので、今日からばたばたしています。


私は博士課程の二年目なので、まだ正式には新学期は始まっていませんが、今日から一週間の間に今年の論文のテーマ、および指導教官をきめて登録しなければなりません。


これがストレス・・・。今朝もはよから先生の一人と話をしてきました。あと明後日に一人と、木曜日に一人・・それにしても、指導教官一人を決めて、その先生とだけ一年間論文を書くのだと思うと、かなり悩みます。


私は文芸翻訳の分野を研究したいと考えているのですが、最初この先生につくのかなー、と思っていた担当教官の一人に対し、どうもこの人で大丈夫だろうか・・・と疑問を持ってしまった瞬間からまた仕切りなおしです。


今年度は博士課程前期が終わるので、来年の9月にはまだタイトルも決まっていないその論文について、先生達の前で発表することになります。ああ恐ろしい。一体なんでこんなことに足(首かな?)をつっこんでしまったんだ、と思わないでもありませんが。


それでも仕事でも翻訳をやっているので、趣味と実益を兼ねた(?)勉強ができるのはラッキーだと思わなければなりませんね。指導教官を決めるくらいでびびっていてはいけない・・・


と今回はあまりグラナダともスペインとも関係のない話になってしまいましたが。ストレスのたまるのは、どこで勉強していても仕事をしていても同じですねえ・・・