ラテン系の言葉なので、イタリア語やフランス語と同じく、スペイン語の名詞にも性があり、形容詞もその名詞の性によって語尾変化します(と言っても語尾が o で終わるか、a で終わるかの違いでしかありませんが)。なぜワインが男性でビールが女性なのか、コップは男性でグラスが女性なのか、などと考え出すときりがないのでやめますが。


語尾変化といえばもう一つ、「~ちゃん」とか「小さな~」としか訳しようのない修辞があります。男性名詞であれば -ito、女性名詞であれば -ita と語尾につけるのです(例外もありますが)。これをスペイン語でよく使う。なぜそんなに何でも親しみを込めるのだ、というくらい頻繁に使います。


例えば先刻のワインならばvino ですが、これだと vinito になります。「ワインをちょっぴり(飲んだ)」というような感じです(現実には必ずしもちょっぴりではなくてもいいのですが)。グラスはcopa なので copita になります。「ワインを(ちょっと)一杯」という感じで、una copita de vino という風に使います。


名詞でも e で終わる言葉だと、ita とか ito と付けにくいのか、l  や c を間に挟んで、例えばコーヒーだったら cafelito となります。なぜそこまでして縮小形(dimunitivo)を使うのだ、と聞きたいくらいですが、日常生活に良く出てくる単語であればあるほど、どうしても「~ちゃん」と付けたくてたまらないらしい。


「ちょっと」はun poco ですが、これも「ちょっとだけ」で un poquito となり、更になぜか変化して「ほんのちょっとだけ」 un poquitin となります。アクセントは最後の i につくのですが、スーツ姿の真面目そうなおじさまが、バルとかでコーヒーに「ウン・ポキティン」ミルクを入れてくれ、といっているのを聞いたりするとおかしくなります。


アンダルシアは特にこれを多用するらしく、「小さな」の女性形は chica ですが(名詞で「女の子」の意味もあります)、これが「ちっちゃな」で chiquita になり、さらに「すごくちっちゃな」で chiquitita になります。ita が二回付けられているのです。何がそんなに小さいのかは知りませんが。発音もアンダルシア訛りでは、ときどき ita や ito が、 illa  やillo になったりします。チキティータ は チキティーヤ になるわけです。


親愛の情だけではなくて、皮肉っぽく使われることもあります。 amigo は「友人」ですが、amiguito は、コネ入社などをさせてくれるいわゆる「オトモダチ」のような意味で使われたりします。


英語のmiss にあたる Senorita (セニョリータ)は、Senora (Mrs. かMadame)の縮小系なので、「奥さんの小さいの」が「お嬢さん」になるわけです。でもそれなら Mr. は Senor だから、Senorito が若い男性を指すか、というとそうではなくて、「金持ちのボンボン」という意味だったりするので油断できません。


・・と縮小形をやたら多用するスペイン語ですが、南アメリカでよく使うらしいけどこちらで使わないのが ahorita. Ahora は英語で言う now、「今」です。その縮小形って・・・「今ちゃん」?「今すぐ、ほんとにすぐ」というようなときに使うんですかね。謎です。



パペル、papel は紙、そしてそこから派生したパペレオ、 papeleo は・・・「紙の多いめんどくさい仕事」とでも訳すべきでしょうか。こういう単語が存在する、ということ自体既に問題なのよ!と私は思ってしまうのですが。


10月はパペレオの多い月です。


まず、滞在許可証の更新申請。私は学生として滞在しているので、滞在許可は一年更新となります。学生は大体10月に新学年を迎えるので、それに合わせて大体滞在許可は10月31日までとなっていて、期日を迎えるまでに更新の手続きをするのです。


必要な書類は以下のとおり。まさにパペレオ。


パスポートのオリジナル、およびコピー二枚

今までの滞在許可証のオリジナル、およびコピー二枚

去年の成績証明、およびコピー一枚

今年の学費支払い証明書、およびコピー一枚

去年10月以降の銀行口座の出入金の記録すべて、およびそのコピー ニセット

留学保険(医療保険)のオリジナルおよびコピー二枚

更新申請書、およびそのコピー一枚

パスポートサイズの写真三枚


この成績証明とかがまた入手するのに時間がかかります。大学に頼むと、大体10日くらいかかるのですが、「なぜそんなに時間がかかるのか?」と聞くと、「成績はすぐ出るが、サインする権限のある人が週に一回しか出勤しないのだ」というすごい答えが平気で返ってきたりします。誰なんだそいつは!と問いたい。


そしてこの山のような書類を抱えて警察に行くと、お決まりの長蛇の列。ここでも割り込みしようとする図々しい奴がいるので、睨んだりして忙しく(?)待ち時間を過ごします。グラナダはそれでもいいほうで、大体1時間くらい待てば窓口までたどり着きます。


窓口ではおばさんなりおじさんなりが、持ってきた書類をご丁寧にすべて調べ、判を押した控えを返してくれます。やれやれ・・・と思うのはまだ早い、ようやく「書類を受け取ったよ」というところまでしか終わっていないのです。ここから大体1-2ヶ月で「指紋を取るから来い」という手紙がきて、その後更に1ヶ月くらいすると「新しい滞在許可証ができたから受け取りにくるように」というお手紙がくるのです。その間実に三ヶ月。一年の滞在許可証でも、実効期間は9ヶ月ということになります。


おそるべしパペレオ。日本に滞在している外国人の人がどんな手続きをとっているのかは知りませんが・・・。これほど要領が悪くないのではないか、と思います(思いたい)。以前セビリアにいたときはもっとすごくて、警察が私の提出した書類を「失くした」(ひどい・・・)ため、気がついたら期限切れの不法入国者になっていた、ということもありました。さすがにそれは、向こうが悪いので速やかに解決してもらいましたが。


私は事務仕事がとてもとても苦手なのですが、なぜか年々事務処理が増えていくような気がします。なんでだろう?! 好きなところで好き勝手なことをして生きていく、ということは、ひょっとして事務処理がものすごく増える、ということなのでは・・・と思う今日このごろです。


戻ってまいりました。といってもグラナダではなくて、セビリアにおります。


大きな街に住んでいない不便さというのは、どこに行くにも帰ってくるにも「直行じゃない」ということがありますよね。今回も、グラナダのバスターミナル→マラガのバスターミナル→マラガの空港→ブラッセル空港、帰りがブラッセル空港→マラガの空港→マラガのバスターミナル→セビリアのバスターミナル、だったので、移動にものすごく時間がかかりました。しかもコンピュータとか持っていたので、重いし。でも移動時間は大体熟睡していたので、結構体調が以前よりよくなったかも。


マラガは移動だけでしたが、雨続きのグラナダと大違いで、行きも帰りもすかーんと快晴で、気持ちが明るくなりました。強烈な陽射しと椰子の木ですよ、やっぱり。こうでなくっちゃ・・・じゃないけど、人間の気持ちって絶対天気とか気候に影響されますよね。


というわけで、マラガの話など。


いかにも海辺、ビーチ!という感じでセビリアやグラナダほど風光明媚ではないかもしれませんが、とにかく明るい街で、私はここがとても好きです。ピカソや詩人のアルベルティ(グラナダ出身の大詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカの友人です)の出身地です。新しくピカソ美術館などもできて、見所もたくさんあります。


カテドラルは例によってモスクの跡に建てられたものです。16世紀から18世紀までかかって建築されています。大聖堂の建築に何百年もかかるのは、普通のことのようで、自分が生きている間には絶対に完成しないものを設計する建築家の気持ち、ってどんなものかなあと思います。なんでも一番奥の祭壇のある部分から建て始め、入り口の方へと建て進めていくのだそうです。そんなに完成を何百年も待っていられないので、祭壇の部分ができたらすぐに礼拝に使い始めるんですって!最後に入り口まできたらファサードでぴたっと閉じるわけです。半分青空の見える教会でのミサってどんなでしょうねえ。


とにかく。マラガの大聖堂は非常に大きく、中に入るときんきらきんの礼拝堂が一杯あって圧倒されてしまいます。バロック時代にかかっているので、とにかく豪華なのです。


でも私が好きなのは外観です。特に塔の部分。↓


malagacatedral1


綺麗ですが、別に珍しくもない塔だ、と思います?実は塔はこれ一つではなく、二つあるのです。


↓二つ目

malagacatedral2


・・・そう、未完成なんですよ。この塔の向こう側に、完成しているほうの塔の先端が見えています。本当は二つとも同じ形のはずだったのですが、予算がなくなった(!)のだそうです。何百年か前に。


実は塔が出来上がっていないカテドラルは他にも結構あって、グラナダもそうです。でもグラナダの場合は、塔がひとつだけ、それもキリのいい節目で終わっているので、マラガほど露骨ではありません。マラガは柱の途中で唐突に終わっているので、「できてないじゃないの」というのがとても明らかにわかってしまうのです。


それでも別にそんなことを気にしないで、立派に大聖堂として機能しているところが素晴らしい。正面ファサードの前の広場には、カフェがたくさんテーブルを出していて、夜ワインなど飲みながら、大聖堂のまん前でライトアップされた塔を見あげると、これはこれで味があるよなー、という気になります。でもなんとなく笑ってしまうけど。


明日(というかもう今日ですね)19日より、ヤボ用で数日間留守にいたします。


10月は滞在手続きも大学の手続きも、なにやら仕事関連の試験も(これを受けにいくのです。ほんとにヤボ用)、翻訳の仕事も、家族の訪問(それもばらばらに来るんですよ、うちの家族というのは)も、何から何までいっぺんに起こってしまい、ちょっと怒涛のような月です。やれやれ。


でもこのブログははじめてとてもよかったです。きゃー終わらないー(何でも。なぜか何も終わらないのです)、きいいいっとなりそうなときでも、何か書いていると落ち着くし、今この瞬間にも、いろいろなところで、いろいろな暮らし方をして、いろいろな考え方をしている人がいるんだなあ、と思うと、なんだかほっとします。


お付き合いくださっている皆様、どうもありがとうございます。これからもどうぞよしなに。

いろいろ観察、といっても今回はスペイン人の観察ではありません。


今日は朝から事務手続きでばたばたと走り回っていました。ようやく先ほど一息ついて、そこら辺のバルに入り、カウンターに座ってコーヒーをぼーっと飲んでいたのですが・・・。


"Please, one coffee, with lots of milk, you know, lots and lots of milk...you know Cappuchino? Ca-pu-chi-no.."

"..And a shandy, you know, beer and lemonade. Beer and..le-mo-na-de.."


といきなり隣で注文している輩がいる。ものすごいロンドン訛りで、Lemonade はほとんど「レモナイド」と聞こえました。昼から飲むなよ、ってまあそれはいいのですが。


実は私はこの「いきなり自国語」というのが、かなり許せません。旅行中なのはわかるけど、ここはイギリスじゃないんだから、せめて「すみません」の一言くらいスペイン語で言ってくれ。もしくは「英語わかる?」とか。


この怒りは、日本にいるときに培われたものです。東京にいたとき、このように「いきなり自国語で」話しかけてきた英国人や米国人と話す機会がありました。最初は、旅行でもしてるのかなー、と考えて話していたのですが、会話の途中で「日本には三年住んでるんだ」とかとんでもないことを言い出す。大体トレーダーのヒトとかでしたが。三年?!だったら少しぐらい日本語を習え!と怒りを感じたのでした。だって本当にできないんですよ。「アリガート」とか言うくらいで。許せん!というわけで、だんだん意地が悪くなり、そのうち道をいきなり英語できかれても必ず日本語で答えるようになってしまいました。意地悪ですかね、やっぱり。


旅行中だろうとなんだろうと、他人の国にいるんだということは自覚するべきではないでしょうか。その国の言葉ができないのは仕方がないとして、「●●語わかる?」とか「すみません」の一言くらい現地の言葉で言うべきだと私は思います。その国に対する礼儀として。


これは別に英語のヒトだけに感じたのではなく、モロッコを訪ねたときはフランス人に対して同様の感想を抱きました。えいっとレストランで座って、いきなりフランス語で注文している。まあ通じるんだからいいんでしょうけれど、なんというか、宗主国根性をみた、と思ったのは考えすぎでしょうかね。


因みにモロッコに旅行したときは、アラブ語の「こんにちは」(マルハバ、ですよね)「ありがとう」くらいと、「英語もスペイン語も(もちろん日本語も)通じないかも」と心配して苦手なフランス語のフレーズをいくつか練習して行ったのですが、「この道は・・・」とかなんとか用件を拙いフランス語で切り出した途端、何ヶ国語にも堪能なモロッコの人たちに流暢な英語で返され、がっくりきた覚えがあります。そういう国もあるから、一概には言えないのかもしれないけれど、でもいきなり自国語を押し付けるのは・・・イカン、ですよやっぱり。





下界、グラナダ市街まで降りると街路や公園には普通の木が生えていますが、私の住んでいるここアルバイシン、そして更に上にのぼった洞窟フラメンコ、ジプシーなどで有名なサクラモンテには、普通の木というものがあまりありません(ゴッホの絵に出てくるようなイトスギはたくさんあるので、花粉症の私は春には死にそうになりますけれど)。普通の木は、ヒトの家の庭には植わっているけれど、なぜか自生しているのは馬鹿でかいサボテンが多いのです。それもすごくたくさん生えている。


↓こんなの

chumbera


大体この写真に写っている二種類が多いです。ソテツみたいなのと、丸い葉っぱのと。丸いほうは、葉っぱの一枚一枚がゆうにヒトの顔よりも大きな感じで、太いトゲがたくさん生えています。しかもとても厚い。見上げると丘一杯にこれが生えていたりして、結構荒涼とした感じです。それも幻のサボテン「月下美人」のような優雅なイメージはなく(見たことありませんが)、形がなんとなく滑稽で、しかも名前が「チュンベラ」と、これまたあまり素敵じゃない。


花は黄色くて小さいのがたくさんついて、平べったくちょっと不恰好なチュンベラの葉に比べればとてもかわいらしいのですが、実がまたヘン。赤くて、ごろごろして、トゲが生えています。


↓こんな感じ

higo chumbo


なんか気持ちの悪いムシみたいですが、この実はイーゴ・チュンボと呼ばれ、トゲを抜いたものを八百屋で売っています。そこらへんにいくらでも自生しているのですが、トゲを抜くのが嫌で自分で取ろう、という気にはならないのです。味は・・まずくはありませんが、甘みのないキウイのような感じでしょうか。イーゴはイチジクのことですが、イチジクのほうが全然美味しいですね。


なんというか宇宙っぽい、というのもヘンだけど、初めてアルバイシンに住んだときは「スペインってこんなだったけか」と妙な気がしました。宇宙とまでいかなくても、巨大サボテンがたくさん、というとなんとなくメキシコとかのイメージだったので。


しかしこのチュンベラはアルバイシン地区のシンボルらしく、フラメンコのステージショーも頻繁に行っているサクラモンテのジプシー記念館(?)は、その名も「チュンベラ」です。これもグラナダ名物の一つらしい。どうも妙ちきりんな外見で、私はいまいち慣れないのですが。ときどきこのチュンベラの林で、アルバイシンにこれまたたくさんいる野良猫たちが会合を開いていたりします。


<全然関係ありませんが>

インターネットでNHKのニュースを聞いてびっくりしました。またやってくれましたね、首相。そしてこの首相を圧勝させたのは私たち国民だ、というところがなんとも言えません(私は今回一時帰国中で選挙権がなかったけど)。



短い週末はあっという間にすぎ、再度グラナダです。明日からまた忙しい一週間が始まる・・・って実は既に今夜から始まっているのですが、そんなことを言ってても仕方ない。今回セビリアで見つけたお店の話でもしましょう。


さすがに州都だけあって、グラナダよりはいろいろなものがあります。中華食品店もかなり充実していて、キッコーマンの醤油なんかは1リットル入りのものをここで買ったりします。中国料理のレストランはセビリアにもグラナダにもたくさんありますが、それよりずっと小さな町や村にも一軒は必ずあって、中国人のすごさ、というのを実感します。こと食べ物に関しては保守的なアンダルシアには、セビリアでもインド料理のレストランは一軒だけ、タイ料理もベトナム料理も韓国料理もありません。日本料理はかろうじて何軒かありますが、オーナーが中国人で、すぐ隣に同系列の中国料理のお店があったりします。恐るべし中国人。


でも食べ物ばかりではない。ここ数年、セビリアに東洋趣味の家具やインテリアを扱うお店が増えてきた気がします。この場合東洋とは、広くインドくらいから東が全部含まれてしまったりするのですが。でもそこらへんの食器とかのお店で「日本風」と銘打たれた、なんだかやたらと四角いお皿と(日本にだって丸いお皿はあるのに・・・)お箸のセットが売っていたりします。色はもちろん「ゼン」の白黒モノトーン。時々(塗りのつもりだろうか)真っ赤と真っ黒、というなかなかすごい組み合わせです。大体の場合、南部鉄瓶もどきがとなりにおいてあります。


しかし今週見つけたのは、食器や家具もさることながら、「東洋と言えば、やっぱり仏陀だろう!」というポリシーがびしばしと伝わってくるオープンしたばかりのお店でした。店中ブッダだらけ。なかにはまだ包装をといておらず、タイの新聞紙にくるんだままの仏頭らしきものが転がっていたりました。こんなにブッダばっかり、どうしろっていうんだ。こんな感じに飾ってあるのですが、なんか違う・・・。

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こんなにごろごろ並べては、ありがたみがないじゃあないですか。というかなんだか笑ってしまうんですけど。でもそれだじゃない。ブッダ模様のかばんだとか、バッジとか、なんだかよくわからないものがたくさん売っていました。そして極めつけがこれ。特注なんでしょうか。アジアから輸入したとは、私にはとても思えない。


buddas2


・・・ブッダクッション。怖い・・・。


それでもアジアに興味を持ってもらえるんだからよし、ということなのか、何か違うんだよなー、と違和感を持つべきなのか、わかりませんが。こちらの人たちから見たアジアって、一体どんなところなのか聞いてみたい気がします。

セビリアに来ています。


三年半前アンダルシアに着いたとき、最初に暮らしたのがセビリアでした。5ヶ月ほどここでスペイン語を勉強しました。そもそも仕事を辞めて「スペインに住むぞ!」と決めたのは、今から6年前に初めてアンダルシアを旅行したときに、この道にオレンジが鈴なりになっている明るい街にほれ込んでしまったからなのです。


グラナダから長距離バスで二時間半、アンダルシアの州都セビリアは人口80万強の地方都市です。建物が全体に白っぽく、なんとなく静かで内向的な感じのするグラナダに比べ、この街は明るく開けていて(平らな土地にあるせいかもしれませんが)、光に溢れています。建物の色も黄色や赤が主流です。


建築物はやっぱりムデハル様式(ムスリム風)のものが多く、なんとなくヨーロッパ離れした美しい建物がたくさんあります。

↓こんな感じ。


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これは単なるお菓子やさんなのですが、なんだか非常に豪華ですよね。細いアーチや柱がムスリム風です。気のせいかもしれませんが、イタリアのヴェニスにも似たような様式の建物が多かったように思います。


でも私がセビリアで一番好きな建築物はこれ!!


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大聖堂の鐘楼、ヒラルダの塔です。セビリアの大聖堂は、バチカン、ロンドン(聖ポール)に続いて世界に三番目に大きなものですが、例によってモスクの跡に建てられています。鐘楼はその昔のミナレットに、鐘の部分(一番上の部分ですね)を付け足したもので、二つの全く異なった建築様式が見事に調和しています。


塔のほかの教会部分はモスクを壊して建て直したので、ゴシック様式です。こちらは塔とはあまり調和していませんが。


ムスリムは一日何回お祈りするんでしたっけ・・・確か5回だったと思うのですが、この塔がミナレットだったころは、ここからお祈りの時間を知らせたので、一日5回上らなければならなかったわけです。歩いて上るのはとても大変なので、なんと馬で上ったんですって!そのためこの塔の中には、階段ではなく回廊があります。塔の四面の壁にそってぐるぐる歩きながら上っていくのです。


この塔は、モロッコのマラケシュにあった王朝、アルモラビデ(だったかな?)の建築様式なのだそうです。

夜にはオレンジ色にライトアップされて、それもとても美しい。


グラナダとはまた違う、ここは明るくて元気で美しい街です。



グラナダで、


住むところを探したい

家を借りたので同居人を探したい

家にペンキを塗りたい

ベビーシッター、または高齢者のヘルパーを探している

アラビア語、スペイン語、ロシア語、日本語、フランス語、英語等を教えたい、習いたい

陶芸、ダンス、歌、数学そのほか何でも教えたい、習いたい

翻訳者を探している

何か音楽でも聴きに行きたい


といった場合どうするか。電話ボックスに行きます。別に電話をするわけではありませんが、街のどの電話ボックスもこーんな風にお手製の広告で埋まっています。


ads


最初グラナダに来たときは、あんまりに何でもかんでも電話ボックスだのバルの店先だのに貼ってある広告で探すので、正直「大丈夫なんだろうか」と思いました。学生や長期滞在旅行者の多い街だけあって、部屋の又貸し、知らない同士でいきなり同居、なんて当たり前なのです。はじめは不安でしたがそのうち慣れました。その伝で、習い事もペンキ塗りも翻訳もすべて電話ボックスで探してしまう。


そして気がつくのは、このちまちましつつも数多い経済活動に、通常はレシートが存在しない、ということです。部屋を借りるときも、現金で家主か又貸ししてくれている人に直接払い、そこには書類は残りません。言葉を習っても(大体一時間7ユーロとか10ユーロとか、悲しくなるような値段で教えてくれます。日本語のようにちょっと変わった言葉だと12ユーロくらいかな)同様。それが陶器でもダンスでもマッサージでも同様。そう、これは定義上は「ヤミ経済活動」なのです。


というのも、スペインでは自由業の社会保険料がぎょっとするほど高い、というのが一因のようです。それでそんなものを払わないですむよう、確定申告をしない。ので当然レシートは出さない。ということらしい。そこには全く罪悪感はないようで、上の写真のように開けっぴろげになんでも広告しています。


まあ会社に就職しよう、と言っても今は非常に就職口が限られているので、なんとか自活の道を探る!というのでこういうことになるのかもしれない。でも稼ぎはあるのに「収入ゼロ!」とか言って失業者を対象にした無料のコースとか(これがものすごく充実していて、いろいろある)にちゃっかり行っていたりしそうで、なんとなくいいのかね、という気はしますが。いいんですかね、やっぱり。

10月12日付けのエルパイス紙より


数日前、モロッコ政府がサブサハラ(サハラ砂漠以南のアフリカ)から、モロッコを通ってヨーロッパ(スペインですね)に入り込もうとしていた不法移民数百人を逮捕し、バスに乗せ、モーリタニアとの国境や、砂漠に置き去りにした、という事件がありました。国境無き医師団をはじめとした団体がモロッコ政府を非難し、救出された難民の話が毎日のようにスペインの新聞に載っています。


今日は、スペインのサパテロ首相が、モロッコとの間に常設の移民対策委員会を設ける、という記事が掲載されていました。


今回のことでは当初モロッコ政府を非難する声が大きかったのですが(置き去りにされた不法移民達の中には、妊婦や子供もいたのです)、他国からモロッコに入り込み、モロッコからヨーロッパへ入る不法移民たちをモロッコでどう対処したらいいかわからない、というのも事実のようです。実際、つかまった人たちをどこの国に帰せばいいのかわからないらしい。


彼等の多くがブラックアフリカの人たちですが、モロッコまで来た後、それまで海も見たことがないような人たちも、イカダのようなちゃちなボートで海図とコンパスを頼りにカナリア諸島を目指すのです。当然転覆することも多いし、溺死した人たちがスペインに流れ着いた、というニュースも毎週のようにあります。最近では、スペイン領モロッコである二都市、メリーヤとセウタに入り込もうとして、モロッコ側の兵隊に撃ち殺された人たちがいました。


それでも移民の流れは止まらない。それだけ貧しく、将来に希望の持てない生活をしている人たちが山のようにいるということです。ここはヨーロッパの南端で、アフリカは目と鼻の先です。第一世界と第三世界の差はこうも激しいものか、そして先進国に生まれ住んでいる私たちが、どれだけ必死に既得権を護ろうとしているかを常に考えさせられる場所でもあります。


私たちが住んでいる世界はとてもとても不公平にできていて、持てる者と持てない者をわけるのはただどこに生まれるか、という運のみに思えます。私たちがたまたま先進国で享受している生活は到底すべての人を支えられるものではなく、この生活を続けているだけで(おそらくはとても不当に独占している)恩恵を受けているのだ、ということを肝に銘じておこうと思います。