先日、野田地図の公演『南へ』を観た。
舞台は「無事山(ブジサン)」と呼ばれる火山の火口近くにある観測所。そこに二人の人物が現れ、物語が始まる。一人は火口に身投げしようとした虚言癖の若い女・あまね(蒼井優さん)、もう一人は新しく赴任してきた「南のり平」と名乗る青年(妻夫木聡さん)である。二人の登場とともに一帯で噴火の予兆のような地震が頻発。折も折、この火山に天皇の行幸ありとの噂が流れ、その先触れらしき人物も登場し……。
野田さんらしい複雑な構成の芝居で、現代の火山観測所を中心に、富士の噴火した三百年前、第二次大戦下と複数の時間を行き来する。しかも物語には幾多のモチーフが詰め込まれ、混沌としている。歴史と記憶、情報とメディア、天皇制と共同体、嘘と祈り、朝鮮半島と日本、死者と生者……。現実と虚構が重層化する濃密な時間の中で、とてつもない場所に連れて行かれる。
印象に残ったのは、妻夫木さん演じる青年の「名前」をめぐる展開だ。劇の冒頭「南のり平」として現れた彼は、やがてそれが自分の本当の名ではないことに気づくのだが、それでは自分はいったい何者なのか、それが彼にはとんとわからない。自分はどこから来て、どこへ行くのか。何ひとつ思い出せないまま、彼はついに自分を「日本人」と名乗ることになる。主人公が個の証しである「名前」と、自分の過去=記憶を失った果てに、「日本人」と呼ばれる者でしかなくなっていく、という作劇が妙にザワッとした感触で胸に残った。
『南へ』という劇の世界は、「南のり平」の名前と記憶の喪失を、蒼井さん演じるあまねという女が嘘で埋めようとすることで大きく転回する。あまねは「日本人」の空白の記憶を埋めるべく次から次に嘘を重ねる。メディアに求められれば、そのたびに嘘を嘘で塗りかえ、虚言を語り=騙り続ける。あまねの壮大な虚言の中に、次第に「日本人」の記憶の深層があらわになり、忘れられつつある過去、目をそらしてきた歴史が立ち上がってくる時、舞台はクライマックスを迎える。
観終わった後、以前に観た別役実さんの『山猫理髪店』の舞台を思い出した。朝鮮半島から強制連行され、北海道の炭鉱で働かされた人物が暴動を起こして脱走、その後、日本の敗戦を知らぬまま十数年かけて南下し、海峡を望む町で発見されたという事実をもとに、別役さんが書かれた戯曲だ。
劇中、電柱の高い所にあるスピーカーから突如、「声」が流れてくる場面があった。半島の男のものと思しき「声」は、戦争のあった「あの過去」を忘れかけた私たちに無表情に呼びかける。「おい、ニッポンジン。おい、ニッポンジン」 歴史をのがれて存在できない以上、私たちはまず「日本人」として認識されるのだという事実を生々しく突きつけられ、慄然としたのを覚えている。
劇場からの帰り道、10年以上を隔てて演じられた二つの舞台の「日本人」という呼び名と「南へ」という言葉が重なり、いろいろなことを考える。そしてもうひとつ。『山猫理髪店』は、初演時に理髪店の親方を演じた「三木のり平」さんに当てて書かれたものだったことを思い出す。いくつもの符合に、描く世界も手ざわりも全く異なる二つの舞台がまだ頭の中で響き合っている。