出られない | 脚本家/小説家・太田愛のブログ

昨日は夕方から渋谷にあるホテルのラウンジで佐藤信介監督にお目にかかる。とても繊細で叙情的な映像を撮られる方で、今年東宝系で公開された映画『砂時計』も佐藤監督の作品。以前、お仕事でご一緒させて頂いた縁で、お知り合いのIさんとSさんを紹介して下さった。

Iさんは話し上手の知的な紳士、Sさんは聞き上手のとても美しい方だった。二時間ほど歓談した後、佐藤監督とIさんとSさんはお仕事の話で残られ、私は先に退席。

ここから思わぬことが起きる。ラウンジからロビーに出ると、ふと、どちらの方向から来たのか解らない自分に気づく。私は来た時と同じ入り口から出ないと駅までの道に迷う癖がある。そこで、落ち着いていったん立ちどまり、ええと、どっちから来たっけ、と辺りを見回した。と、いきなり背後から「大丈夫ですか?」と声がかかる。体調は良いし、気分は上々だ。それよりも自分は今、そんなに『大丈夫』じゃなさそうに見えているのだろうか、とやや動揺して振り返ると、満面の笑みを浮かべた見上げるような外国人のコンシエルジュの方がいた。お客様のお役に立つゾという情熱が全身に漲っている。思わず気圧されて、自分でも訳の解らぬうちに「あ、化粧室は……」と妄言を口走る。

「真っ直ぐ行って右でございます」。その通りに行く。化粧室で無意味に化粧直しをして同じ道を戻って来ると、同じコンシエルジュの方が満面の笑顔で待ち構えている。今さら出口を聞くのは恥な気がする。反射的に笑顔で会釈を返しつつ、何も考える余裕なく真っ直ぐに通り過ぎ、すぐ先のエレベーターホールに至る。ロビーから満面の笑顔の人がこちらを見ている。

エレベーターに乗っちゃダメだ!と心の中でもう一人の自分が叫んでいた。来る時にはエレベーターに乗ってない、エスカレーターに乗ったんだ、そいつに乗ると迷うぞ!だが、ロビーに他のお客様がいないので、満面の笑顔の人はずっとこっちを見ている。

エレベーターに乗った。とりあえず一番下のボタンを押す。扉が開いて外に出ると、広いフロアは無人。廊下も不気味に静まり返っている。急いでエレベータに駈け戻る目の前でエレベータが閉まって上に上っていく。この段階で、完全にホラーになった。壁にある▼のボタンを叩く!叩く!叩く!

後ろのエレベータが来て飛び乗る。とりあえず人のいる階だ!とフロントの階を押す。ややあって扉が開くと、見覚えのある風景。もしや、と手でエレベーターの扉を押さえ、そおっと首だけ出して外の様子を窺うと、満面の笑みの人の後姿がある。

戻ってきてしまった。

もうだめだ。

その時、正面のエレベータからうら若い女性のコンシエルジュの方が出てきた。私は相当に『大丈夫』じゃない顔をしていたのだと思う。うら若い女性は会釈しつつ近づいてきてくれた。ああ、この人に出口を聞こう、と思った。

「あの、入った所から出たいのですが」と、またしても妄言を口走る。


ラウンジを出てホテルの建物を出るまで、十五分近くを要した。

致命的な方向音痴と自分の妄言によるプチホラー体験。

思いがけぬハプニングはあったけれど、昨日はIさんとSさんとの新しい出会いがあった。

新しい出会いにはいつもワクワクする。

この出会いが素敵なものになるといいな、と思う。


追記・本日深夜2:15~佐藤監督がフジTVの『映画の達人』に出演されます。テーマはスピルバーグの映画について。お時間のある方は是非!