リンゼイ・ケンプ・カンパニー | 脚本家/小説家・太田愛のブログ

先日、リンゼイ・ケンプ・カンパニーの『エリザベスⅠ世~ラスト・ダンス』を観た。リンゼイ・ケンプは英国イングランド地方のリヴァプール生まれ。ダンス、パントマイム、劇などのさまざまな要素を織り交ぜた独特の舞台をつくることで知られた人で、あのケイト・ブッシュやあのデヴィッド・ボウイの先生でもある(と、パンフで知って驚いた)。ケンプの舞台を観るのはこれが初めて。


リンゼイ①

開幕して早々に「しまった……!」と激しく後悔。もっと早くからこの人の舞台を観ておけばよかった……! ケイト・ブッシュは大好きな歌手だし、ケン・ラッセルの映画『狂えるメサイア』でも、出演していたリンゼイ・ケンプを見ているはずだった。けれども80年代から90年代にかけて来日したカンパニーの公演はどれも見逃していた。(新聞で何度も公演告知を見た記憶があるのに……)


今回の舞台では、ケンプが老いたエリザベスⅠ世を演じる。ケンプ自身もすでに74歳らしい。だが、ひとたび動き出した途端、ケンプの身体は重力がなくなったかのような浮遊感を漂わせ、すばらしく雄弁にエリザベスの悲喜を表現する。手の指先までコントロールされたその動きに、若い頃はどれほどか素晴らしかっただろうと思うと、見逃してきたのがほんとうに悔やまれる。


リンゼイ②


演出・振付・照明・美術のすべてをケンプがデザインし、それにサンディ・パウエルの絢爛たる衣装とカルロス・ミランダの音楽が加わる。『アビエイター』『恋に落ちたシェイクスピア』で二度、アカデミー衣装デザイン賞を獲ったサンディ・パウエルは、もともとケンプのカンパニーでキャリアをスタートしており、音楽を担当するカルロス・ミランダも80年代からのケンプの盟友だ。


全編を陰鬱で甘美なミランダの音楽が流れ、ダンサーたちが歌い、踊る。異形の音楽劇といった風情の舞台は、時間を忘れて何とも魅力的だった。連想するのは、時にピーター・グリーナウェイの映画だったり、マイケル・ナイマンの音楽だったり、またイタリアの道化師コロンバイオーニだったりで、なぜかというか、やはりというかヨーロッパのものばかりだ。高貴と猥雑、絢爛と虚飾、官能と諧謔がないまぜになったような世界には、舞台ならではの「芝居じみたニセモノっぽさ」の中に芸能本来の美と毒があるように思えた。


帰り道、どういうわけか思い出したのが、ポオの『跳び蛙』という短編小説だ。ある国の宮廷で王の道化として一人の小人が仕えている。彼はその奇妙な歩き方ゆえに「跳び蛙」と呼ばれている。贅沢に肥満した王と七人の大臣は、ことあるごとに「跳び蛙」に屈辱を味わわせ、笑いころげているのだった。が、やがて、あることをきっかけに小人はついに復讐を企てる。それは宮廷での舞踏会の夜。小人は巧みにもちかけて王と七人の大臣を、鎖につながれたオランウータンに仮装させる。そして、舞踏会の客たちの目の前で鎖ごと大広間のシャンデリアに吊り上げ、炬火で火をつけて彼らを焼き殺してしまうのだった。


初めてこの物語を読んだのは小学生の時。恐ろしすぎて、記憶に焼きついてしまった。ケンプの舞台を観て、なぜこんな恐ろしい物語を思い出したのか、自分でもわからない。けれども、明治・大正の頃、「曲馬団が人をさらう」という噂が流布したように、かつて芸能には日常を逸脱した異界の匂いがあったのだと思う。それは妖しく恐ろしく、だからこそ魅力的だったのだろう。リンゼイ・ケンプの見た目あでやかな舞台の奥底にも、そんな妖しく恐ろしい異界の匂いが確かにあった気がする。


今月24日までユーロスペースのレイトショーで、リンゼイ・ケンプの『真夏の夜の夢』の映画版を上映している。こちらも、何とか時間をやりくりして観に行きたいと思う。興味のある方は、ぜひ。