夜の暗い道を歩いていると、ふと金木犀の香りにつつまれる。この季節のもっとも好きな時間のひとつだ。駅からの帰り道、少し遠回りをして生垣の多い小径の方へ。
その昔、古文の授業で「にほふ」という語には、香りだけではなく、目に映るあざやかさに対する感覚も含まれていたのだと教わった。万葉好きの老教師は「色は匂へど……って言うでしょう」と、いろは歌を引いて教えてくれた。
その言葉どおり、金木犀の香りは、夜の濃い闇の中にあって鮮やかな色を持っているように思える。しばらく立ちどまっていると、秋の夜の冷たい空気が、金木犀の香によってひそやかな華やぎで満たされているような気がしてくる。
金木犀というと思い出す小説がある。
戦後まもなく、困窮した生活がつづく日々のこと。ある幼い兄弟が父の代理で鮨屋に米を売りにいく。だが、米には混ぜ物が入っていると断られ、失意の兄と弟は米を手に打ちひしがれた気持ちで夜道を家へ向かう。その時、不意にどこからか金木犀の香りが漂ってくる。一体、この金木犀の香りはどこからくるのだろう……。その思いが幼い二人の心を一瞬のうちに幻惑し、兄と弟は香りを追って夜道を駆け出す。つかの間、二人の心は現実を離れ、金木犀の甘くつややかな香りの漂う闇の中で、解放感に満たされる。
野呂邦暢氏の『白桃』の中の印象的な挿話だ。
金木犀の香に秋の深まる気配。家に帰るとすっかり体が冷えていた。お風呂をいれながら、お湯を沸かして熱いジンジャーティーを淹れる。時丸がピンクの鼻をすり寄せてくる。