京都の送り火問題の進展と内藤湖南著「日本国民の文化的素質」
被災地の松が京都の大文字焼き送り火で燃やされることが中止になった件で、多くの批判を受けた結果、5つの送り火保存会の内、今回問題になった大文字保存会を除き、被災地の別の松を16日の送り火で燃やすことになった。
陸前高田の松、一転受け入れ=送り火連合会、批判受け-京都(時事通信)
東日本大震災の津波で流された岩手県陸前高田市の名勝「高田松原」の松を、京都の伝統行事「五山送り火」の一つ「大文字」で燃やす薪として使う計画が中止になった問題で、五山送り火の各保存会でつくる「京都五山送り火連合会」(京都市左京区)は10日までに、陸前高田市から別の薪を受け入れ、16日の送り火で燃やすことを決めた。
福島原発事故による薪の放射能汚染を懸念する声が寄せられたため、「大文字保存会」(同)が使用中止を決定。しかし、これに「被災地の思いをなぜ酌めないのか」など、京都市に対してだけでも900件以上の批判や苦情が相次ぎ、同市が連合会に受け入れを要請。連合会が協議し、他の四つの送り火保存会が受け入れを了承した。
当初、大文字に使用される予定だった震災犠牲者や復興に向けた思いを被災者らが書き込んだ薪は、8日に陸前高田市で盆の迎え火として燃やされたため、京都市は、新たな薪500本をボランティア団体を通じて取り寄せる。(2011/08/10-11:17)
ひとまずの決着の方向に向け動きつつあると思う。これまで抗議された京都市民及び関係者のご尽力には敬意を表したい。
ただ、肝心の大文字保存会は京都市との感情のもつれなどから、意固地になっていることが気になる。
市長が「残念」…納得できない 大文字保存会理事長(京都新聞)
被災地のマツの受け入れ中止に批判が続いていることについて、大文字保存会の松原公太郎理事長(58)は9日夜、「私たちにも責任はあるが、検査をすべきと言ったのは京都市で、サンプル検査の段階で京都市が専門家の意見を付け、燃やすのは問題なしと周知してくれれば放射能汚染の不安の声にも説明できたかもしれない」と市の対応に不満を述べた。
松原理事長は「批判がここまで広がるとは思わなかった。市には逐一、方針を報告していたが、中止を決めた時も何とかならないかという話はなかった。今になって京都市長が残念と言うのは納得できない」と語った。
(引用終わり)
コメントの中もご指摘があったが、京都市の初期対応に問題があったことが、この問題をこじらせていることは間違いない。ただ、大文字保存会にも京都市当局にも考えていただきたいのは、今回の問題は、福島の原発震災を巡る考え方について、あまりに被災地と一部とはいえ京都とのギャップが大きかったことを浮き彫りにしてしまった、ということである。日本の象徴たる京都によってこのような愚劣な事件が引き起こされたことは、日本の統合にも関わる問題なのである。
善意で動いていた大文字保存会の特に理事長からすれば、腹にすえかねる何かがあるのだろうが、ここはこらえるのが筋である。こらえて、決定を翻し、被災地の松を受け入れ再度謝罪すること。それ以外区切りを付ける方法はない。
それができたとしてもしこりは長年残り続け、毀損した京都のイメージは以前のようには戻らないだろう。しかし、その程度のリカバリーもする気がなければ、この問題に区切りがつかず、ずっと燻り続ける。
今後も永遠に京都の送り火という行事は残り続けるのだろうか?努力がなければそうとは限らない、ということについてかつての京大文学部教授の内藤湖南は応仁の乱以降の文化の衰微について、「日本国民の文化的素質」の中で以下のように語っている。
「これ一枚脱いだら凍えて死ぬからというので手放さないものは、自分の作った物と同様に値打ちがあります。・・・それらがつまり日本人が暗黒の時代でも離さなかったならびに生み出したところの文化であります」
「その当時朝に夕をはからざる危難の間に、文化階級の人として、そういうものをどうしても失ってはならないという考えで、皇室なり公家なり、諸職の人々が一所懸命になって暗黒時代にも保存して、それだけでは日本がどんなに乱れても失わなかったものであります。」
今が暗黒時代かどうかは別として、危難の時にあるのは間違いない。そのような中で、全会一致にこだわって誤った決定をした保存会、それを傍観したと言われる京都市に、絶対にこの送り火を守るという覚悟があったとは思えない。おごりがあり、油断があったと思う。この程度の覚悟で行なわれている行事であれば、近い将来消え去るのが必然である。
今回の事件の処理を誤れば、大文字焼きなど日本人の大部分から見放され、多くの脱ぎ捨てられ消え去った文化の一つと成り果てるだろう。特に関係者はつらくても、今回の事件の収支に全力を尽くすべきである。そのことが陸前高田を含む多くの被災地住民への唯一の謝罪方法であり、文化保存の唯一の手立てである。