ナメル#19「溶けてゆく名前」、「素晴らしい食卓」 | ナメル読書

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時にナメたり、時にナメなかったりする、勝手気ままな読書感想文。

「溶けてゆく名前」(砂田麻美)
「素晴らしい食卓」(村田沙耶香)

 雑誌"MONKEY vol.13"は、「食の一ダース 考える糧」と題して、食に関する小説を集めている。

 上にあげたふたつは、特に印象に残った作品であるのだが、両者の中に出てくる道具としての料理が、あるひとつの対照、すなわち「完成させないための道具ー完成のための道具」という対照を描いており、このふたつの項による作品、つまり「完成を避ける作品ー完成された作品」は、私の中での相反するふたつの好みを示している。

 「溶けてゆく名前」は、ある特定の名字の持ち主にのみ発現する遺伝子疾患があるという設定の作品。当の名字をもつ主人公は、自分の名字を変えることを決意するのだが、改名の日、これまで調整役をしてきた役所の人間より、バニラアイスをふるまわれる。改名から二週間ほど経過し、無気力な状態に陥った主人公は、ふるまわれたバニラアイスを思い出す、という話だ。

 名字の変更といえば、現在でも多くは女性に降り懸かることなので、あたかもジェンダー上の問題意識において読んでしまいがちであるが、私にはそれ以上の問題意識があると思える。それは「強い制度」から「強くて弱い制度」への認識の移動といえる。

 例えばM・フーコーは、衛生管理制度などを叙述することによって、殺害可能性によって担保される権力より、生を付与することによって担保される権力(生権力)へと権力観を転換させた。具体的には、「健康」という言葉・概念を生み出し、それを軸とする制度によって維持される近代国家という権力である。

 この作品においても、生存のために名字の変更を国是として進めているのだから、生権力は働いているといえよう。しかしこの作品が入り組んでいるのは、改名させる権力が、近代国家において欠くことのできないとされる氏名の同一性を、婚姻や養子を原因とすることなく、断ち切っているということである。つまり、戸籍制度を潰しているのである。いやいや名字くらい変わったって、台帳にその履歴は残る訳なのだから、それで戸籍制度が潰れることはないし、ましてや近代国家を脅かすことなどないではないかと思うひともあるだろう。私だってそう思う。

 しかし、ステートとしての国家はともかく、ネーションとしての国家がどうやらそれを忌避しているのは、夫婦別姓の議論(これは変わるべきなのに変えない者を問題とする議論)や氏名の変更の困難から伺うことができる。あるいはこの困難は、単に法、特に契約の安定性のために要請されているのかもしれないが、だとするならどうやらステートとしての国家による忌避となってしまうのである。さらにマイナンバーがかくも浸透せず、さらに単に番号によって社会的同一性を保つことなどとても不可能な状態にあるのをみると、私たちにとっても文字を配した固有名へのこだわりは強いらしい。

 名字によって発現する遺伝子疾患という、やや都合のよすぎる設定により、しかし、自然因子によって、生権力が行使されると同時に、その制度が潰されるという状況を作り出した本作品は独特であると思う。名字の変更によって主人公らのアイデンティティがどうなるかなど、どうでもよい問題である。

 「素晴らしい食卓」は、異文化共存を冷笑的に描いた作品。主人公である「私」と夫はハッピーフューチャーフードという、宇宙食のような近未来的バランスフードを普段食している。ある日、婚約者の両親を招いて食事会を開きたいので私に同席してほしいと、実の妹より連絡がくる。私は不安になる。なぜなら、妹は、自分が実は異世界の住人であるというフィクションに依存しており、魔界都市の料理というでたらめを作るからだ。しかし妹を説得できないままに食事会に出ると、婚約者はお菓子とフライドポテトによる食事しかできず、その両親は地域特産の昆虫の甘露煮を持参しているのだった。皆が皆、互いの料理の不気味さに呆れつつ、しかし、開き直っているところへ、食に関する研修を受けて考えの変わった夫がやってきて、という話だ。

 「素晴らしい食卓」を見ると、「ハッピーフューチャーフード」・「魔界都市の料理」・「お菓子とフライドポテト」・「昆虫の甘露煮」という道具としての料理が、律儀に異文化を示すという機能を果たしている。好悪含めて、無駄なく、分かりやすい。

 一方、「溶けてゆく名前」の「バニラアイス」はどうだろう。あるいはこの道具としての料理も無駄なく、分かりやすいものであるかもしれない。例えば、タイトルの「溶けてゆく」にかけて、名字を変更することによって、アイデンティティが変容していく主人公を示しているのかもしれない。しかしそうだとするなら、主人公のアイデンティティの変容は単なる無気力でしかなく、実生活においては大変だろうが、小説作品としてはさして独特なものではない。またそうなると、どうやらこの作品の主題は名字の変更によるアイデンティティの変容となってしまい、そうであるなら、端的に失敗である。

 ひいきの引き倒しかもしれないし、その可能性も高いのだが、この作品が「強くて弱い制度」を描いているのだとしたら、この状況と「バニラアイス」との間には単なる偶然以外の何者もなく、ただ「バニラアイス」はまたひとたび制度が弱められる瞬間を刻む役割を果たしているに過ぎない。またはだからこそ「バニラアイス」という特定の料理に、特別で過剰な、しかし故のない意味が付与されている。