第五どんとこい 「俘囚」 | ナメル読書

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時にナメたり、時にナメなかったりする、勝手気ままな読書感想文。

「俘囚」(海野十三、徳間文庫『日本ミステリーベスト集成1』所収)


こんにちは てらこやです。


今回は昭和9年、つまり1934年に発表された作品、海野十三「俘囚」を紹介したいとは思います。「俘囚」とは聞き慣れない言葉だと思いますが、「俘」も「囚」も捕らえられるという意味を含んでいます。それでは一体なにが捕らえられたのでしょうか?


話は「私」こと魚子のある犯罪計画から始まります。死体をいじりまわす研究に没頭する夫、室戸博士に飽き飽きした魚子は、愛人の銀行員松永とともに夫を殺害します。ある夜、夫を実験用の死体を遺棄していた井戸へと巧みに誘い出し、突き落とし、あまつさえ巨大な石を落としてとどめをさすのです。


これで松永との生活が始まる!そうした期待は早々に水を差されます。松永の勤務する銀行で怪事件が起こるのです。鉄格子のはめられた空気窓と、人間の体では絶対に通り抜けできることができない送風機の口以外に進入口のなかった金庫に何者かが入り込み、倉庫番を殺害し、金を奪ったのです。


ようやく手に入れたふたりの愛欲の生活に立ちこめる暗雲。不安は現実のものとなり、愛人松永は犯人の手によって唇と鼻を奪われ、いずこかへ行方不明になります。そして、魚子自身にも犯人の魔の手が忍び寄ります。犯人によって肢体を切断され、あまつさえ愛人松永の唇と鼻を接合され醜悪な姿とされた魚子は、研究室の天井裏にて捕らわれの身となるのです。



──ここから先、ネタを割ります──



まあ、読み手もすぐに推測できるものと思いますが、愛人松永の銀行を襲撃し、松永自身を殺害し、魚子を醜き囚人としたのは、夫である室戸博士です。


博士は妻の凶行によって死んではいなかった。このあたりどのように生き残ったのか、井戸から這いあがったのかは説明されてはいないのですが、とにかく生存した博士は復讐のためにとんでもないことをしでかします。


それは、自身の人体改造です。


帆村探偵は説明します。


「みなさん。これは博士の論文にある人間の最小整理形です。つまり二つある肺は一つにし、胃袋は取り去って腸に接ぐという風に、極度の肉体整理を行ったものです。こうすれば、頭脳は普通の人間の二十倍もの働きをすることになるそうで、博士はその研究を自らの肉体に試みられたのです」


最小限のサイズとなった博士は、通常の人間ではとうてい入ることの出来ない密室にまんまと進入するのです。しかし、ねぐらにしていた壷を警察の捜索中に「偶然」ひっくり返された結果、博士はそこから出てくることができなくなり、帆村探偵が真相を明らかにするころにはすでに餓死しています。そのやり取りを終始見ているのは、天井裏に捕らえられれ、声を出すこともできない魚子なのです。しかも探偵帆村は、博士の残した偽の手がかり(アルプスの山中にて絞め殺したという記述のある日記)にまんまと騙されてしまいます。


この作品は探偵小説とは言えないでしょう。少なくとも、理智を代表する探偵が勝利を収める作品ではない。捕らえられた魚子が言うとおり、「ああ、馬鹿、馬鹿!帆村探偵のお馬鹿さん!」なのです。帆村は真相には行き当たりますが、その頃には犯人はすでに死亡し、魚子も救うことができません。実質なんの役にも立っていないのです。


しかし、それも仕方のないことです。今回帆村探偵が相手にしたのは、通常の探偵小説やミステリーの犯人、理智において戦いを挑んでくる相手ではなく、人体改造をほどこしたモンスターだったのですから。本来ならこのモンスター=アンチヒーローに対しては、同じく人体改造をほどこしたヒーロー(バットマンのようなもの)が立ち向かわなくてはなりません。


海野十三の描いたモンスター=アンチヒーローは、戦後特撮ものへと受け継がれますが、小説にはあまり受け継がれていないように思われます。今さっと頭に浮かぶのは山田風太郎の小説群ですが、あれも舞台は現代ではありません。


ではなぜ現代において、人体改造をほどこしたモンスターは描かれないのでしょうか?(精神の奇形=サイコは腐るほど描かれるというのに!)


ひとつの理由は、この小説が描かれた前後において、総力戦(二つの世界大戦)を人類が経験してしまったからでしょうね。総力戦とは、職業軍人のみならず、国民全員がなんらかの形で戦争に荷担することを意味しています。能力を修練した武人以外の一般人が戦争に参加できるということ、つまり言ってしまえば誰にでもできる戦争というわけです。


誰にでも参加可能な戦争、それを支えたのは科学者の台頭です。機関銃、毒ガス、空爆、原子爆弾、ミサイル。科学の分野におけるエリート集団は、それがいかに使われるのかという想像力を、非政治家であるというエクスキューズによって放棄し、せっせと能率的な兵器を生み出していきました。使用法は簡単、どんな凡百な人間でもボタンひとつ押すだけで、トリガーひとつ引くだけで、大量にひとを殺戮することができます。ここにおいて、モンスター=アンチヒーローなど不効率きまわりないものとして、時代に却下されるのです。


一発のミサイルを前にして、密室空間に入り込むことぐらいしか能のない化け物などにどんな需要があるものか。そんなモンスターなど滑稽きまわりない。


実は、海野十三の唱える人体の最小整理形という人体改造の思想は、平成の超有名某作において受け継がれています。しかし、読んでいただければお分かりのように、それはやむなく行わざるを得ない人体改造でした。決して、海野十三が描くような、探偵すら凌駕する超人性=アンチヒーロー性を有してはいません。


やはり現代において、人体改造を行ったモンスターのいるべき場所はないのでしょうか?


今年文庫本化された山口雅也「モンスターズ」(『モンスターズ』所収)の中で、ヒトラー政権下で極秘にモンスター=人狼を研究していた博士は次のように言います。


「どんな怪力モンスターを創ったところで、戦場に出れば、ひとつ前の大戦の遺物のような火炎放射器程度の武器で火達磨にして、簡単に退けることができるんだからな」


そして次のようにも言います。


「しかるに、今、一人の独裁者が死んだとしても、この戦争から生まれた真のモンスターー殺戮兵器は生き残る」


ここから、例の震災とその後の事故を経験したわたしたちは、さらに次のことに思い当たります。どうやら現代のモンスターとは、限りなく拡散していて、不定形であり、非常に静的で、そして一切の人格化を阻むものであるらしいということを……。


海野十三の描いたモンスターから、ずいぶんと遠くにきたものです。


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