うつと読書 第25回 「お召し」 | ナメル読書

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時にナメたり、時にナメなかったりする、勝手気ままな読書感想文。

『お召し』(小松左京、ハルキ文庫「物体O」所収)

こんにちは てらこやです。

7月26日に小松左京さんが亡くなられました。巨星堕つという感じですね。非常に残念です。ご冥福をお祈りいたします。

小松左京の多くの作品は、当時次々と文庫化されていたハルキ文庫で読みました。「復活の日」や「首都消失」などにとても興奮したことを覚えています。それは本当にSFでした。SF(Science Fiction)で、SF(Speculative Fiction)で、SF(少し不思議──ホントはだいぶ不思議な話なのだけれども、不思議さが明快というわけで──)なのです。

ただ、はじめて小松左京を手に取ったのは小学生か中学生の頃。近所の書店で夏のフェアで再版された角川文庫「召集令状」という短編集でした。この短編集には、「地には平和を」をはじめ、戦争に関連のある短編が集めれています。

その中で、ひとつ異質で、けれどももっとも印象に残った短編があります。それが今回紹介する『お召し』です。

ある日、三千年以上前のものとされる文書がみつかり、長官のもとに報告されます。それはとても不思議な文章でした。その文書によると、歴史が記述される暗黒時代よりさらに以前には、「現代」よりもはるかに高度な文明があり、さらには12歳以上の人類が存在したことを示唆していたのです。

短編はこの文書、世界規模の異変直後の小学6年生であるぼくの記述を中心に書かれます。

「ぼくの消える日に……/これを書いているぼくは、わずかの間にひどくおとなになったような気がする。あれが起こってから、考えてみると、まだ半年ちょっとしかたっていないんだ。だけど、この半年の間に、なんだか何年も何年もたったような気がする。それなのに、あれがおこった時のことは、きのうのようにはっきりおぼえている」

ある夜、世界中に「空とぶえんばん」が現れます。その翌日、小学校を訪れたぼくたちは、ある瞬間を境に大人が、後で分かったところでは満12歳以上の人間すべてが消失したことに気が付きます。当然のことながらうろたえる子どもたち。しかし、やがてクラス委員の高山くんや、隣の小学校の代表藤井くんや天才の山口くんを中心に、子どもたちだけでなんとか協力して生きていくことになります。

もちろん作品中の「現代」は、ぼくたちの異変のあった時点から三千年先の世界です。その間に文明は失われ、野生の暗黒時代を通過しますが、なんとか独自の文明を築くことに成功していることを、読み手は知ります。しかし、この異変が一体どのような存在によって、どのような意図のもとに引き起こされたのか(そもそも意図などあるのか)は明らかにはされません。

この作品で好きな場面は次のシーン。いよいよ明日消えるという日、ぼくが次世代の子どもたちに託すメッセージです。

「さよなら、弟たち、妹たち──しっかりやるんだ。子供たちだけだって、力と知恵をあわせれば、きっとすばらしい世界がつくれるよ。君たちは、おとななんだ。おとなにならなければならないんだ。ムチャな話だけど──これは運命ってものかも知れない。──またひょっとして、突然もとの世界にもどるか知れない。だけど──それはどっちみちぼくたちの力ではどうにもならないことだ。今のところ、そんなあてのないことを考えず、君たちの世界を、少しでもりっぱにすることを考えるんだ」

どんな超危機的状況下でも、懸命に人間らしく生きることを描き続けた小松左京らしい言葉ですね。3,11後の日本でこそ、再び読まれるべき作家だと思います。

この短編のエピグラフはとてもひねりがきいています。

「──養魚池というものをご存知だろうか?孵化された稚魚は、養魚池にはなされ、一定の大きさになると、別の池にうつされる。──魚にしてみたら、何のために、そんな眼にあわされるか見当もつくまい」

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