何にフォーカスするかで気持ちが安定する。

自分の努力で変えられないもの、理不尽なできごとや災厄について
ぐるぐると考えを巡らせてみても、前には進まない。

もちろん、感情に蓋をせずに向かい合い、感じきることは一番大切。
だけど、そこに留まらず、執着せずに、痛みにはまらずに
未来を信じて歩きだすことも大切であると思う。

自分で線引きをする「時時計」をもとう。

周りの人に対して不満をもつときは、
その自分を感じ、気持ちを受け止め、線引き手裏剣をしたら、
その人たちがそうするしかなかったのだ、と、
それがその人たちのその状況下での精一杯だった
ということを理解する。

そして、自分が感じたいやな気持ちや悔しい気持ちなどを
天に丁寧にお渡ししようチューリップ紫
私は彼らを裁く人ではないのだから、
後は神さまの采配にお任せしようチューリップピンク

そして、
彼らのいいところ、私に向けてくれたよかったことを
たくさん思いだして感謝するアップ

憎しみの気持ちに負けないくらい、
憎しみを受け止めながらもそれ以上に感謝する。

ポイントは将来を信じること。
感覚としては、ご先祖さまや亡くなった人たち、
神さまなどを含む大きな存在に
いつも温かく見守られていることを常に感じていること桜

感謝の気持ちはそこから自然と湧いてくる。
少しは落ち着いたけど、
この時期、新年度に向けていろいろな不安が出てくる。

自分の所属する部署のメンバーが少し変わったりすることもあり、
その中でどんなふうにやっていこうかな、と思ったりする。

みんなに愛されることを一番に持ってくるのではなく、
自分に誠実に生き、発言し、行動する、っていうところに
もっとフォーカスする。

そして、誰よりも自分を愛していく。
自分のいやな部分を嫌わず、そこから目を背けず、
そこを受け入れ、愛し、大切に育んでいく。


自分から逃げない。

大事に、大事にしていく。
先日、試験を控えた後輩を直接指導する機会があった。

そういう時、私はいつも
励まそうとするあまり、
相手にプレッシャーをかけすぎてしまう傾向にある。

前々からその傾向には薄々気づいてはいたのだが、
今回もすっかりそのパターンになってしまい、
何とその後輩を涙ぐませてしまった。

彼女にかけた言葉は純粋に心から
「頑張ってほしい。」「あなたならできるはず。」
と思って、の言葉。
そのことに偽りはない。

しかし、
たとえスタートが「善き思い」からだったとしても、
それを言葉にし、伝え続ける過程において
「コントロール」つまり、「支配」があったのではないか?

確かに
彼女に試験に合格してほしい、という思い以上に
「合格したいという気持ちが弱い。
こんなんじゃ、気持ちの上で合格できない。」

という、じれったい思いがあった。

後輩のペースを考えて、彼女の辿るプロセスを信頼して
それをすべてコントロールできない自分の限界を理解して
彼女に声をかけることはできなかったのか?

完全に自分の思ったとおりにならなくても、
一時的に彼女が幸せにならなくても、
少し先の未来に幸せがあるならそれでいいじゃないか。

私は神さまではない。
全てをコントロールしようだなんて、何て傲慢なのだろうか。

プロセスを信頼し、目に見えないものに委ねることを体得した時
次の扉が開かれる気がする。
結婚。
この事象にどれだけの時間とお金を費やしてきただろうか。

納得のいく人を求めてあちこちに行き、いろいろな人に会った。
でも、納得がいかなかった。
全く。


ある程度の年になり、今更ながら最近、
「結婚しない」という選択肢があることに気づき、
自分のこととして考えてみる。

結婚したいとずっと思い続けてきた、
と思っていたけど、いや、思い続けてきたけど、
その兆しが全く見えない状態がこんなにも長く続くと、
何にコミットしているのだろうと思う。

また、今起こっていることが
自分が選択してきたことの結果だという前提にたつと、
実際、今のところは自分に結婚は必要ないのでは、
とちらっと思ったりもする。

新しく相手の親との関わりができることについて
面倒くさいなぁと思っていたが、
ふと、それも悪いことばかりじゃないような気もする
体験もした。

相手がいてもいなくても自分でいたらいいんじゃないか、
と思ったりもした。
休日にどこかに出かけるにしても、1人じゃつまんないよなぁ
と思ったりもする。

意識の上では、1人でいることが寂しいと思ったことはないと思う。
他人といる時の煩わしさに比べれば、1人の方が何て楽なんだろう、
と思っている。

病気の時は誰かに気を遣わずに、
ただただ、自分のペースで食べたいタイミングで食べ、
入りたいタイミングでお風呂に入り、
寝たいだけ、寝たいタイミングで寝ていたい。
誰かがいてくれるからといって
その人が頼りになるとは限らないもの、って思う。
何より、誰かを頼りにしている自分が居心地が悪い。

その人がどこかにいってしまったら
どうしたらいいんだろう、って不安にもなる。

それなら、最初からいなければ、あきらめもつくし、、、
ってそんな感じかな。

だけど、だけど
こころは正直。

時々、理由もなくわびしい気持ちになる。

自分の中にある、誰かの役に立ちたい、とか、
誰かと何かを共有したいとかって部分が
満たされなくて、乾いているんだろう。

自分のことも大事。
でも、自分だけでは満たされないのだろう。

内側だけに向かっている意識が外側にも向かう時
人は輝くのだと思う。

私はもっと輝きたい。
もっと、「生きている」という実感を
リアルに味わいたい。

自分の存在意義をもっと感じたい。

そのために結婚は必要なのか?

いつかはもしご縁があれば、なんて中途半端に、
これまでと同じようにズルズルきてもいいのか?

引き続き考えていく。

数年前に大好きだった先輩が亡くなられた。


死の少し前に、

「私、もう、誰に遠慮することもなく、好きなように生きることに決めたの。」

っておっしゃられていた。


先輩が亡くなられてから、そのことをずーっと忘れていた。



先日、ひょんなことから生前の先輩を知っている人に出会い、

先輩の話になった。


そして、そのことばを先輩が、その人にも話していた、ってことを知った。


あらためて考えてみた。

自分の好きなように生きる、ってどういうことだろう?


まずは、自分のこころの声に耳を傾け、好きなことをはっきりさせること、

誰にも遠慮せず、下した決断に責任をもつこと、、

全てがプロセスだと信じること、

どんな結果も長い目で見ると失敗などない、と知ること、


そして、覚悟を決めること。



振り返ってみると、


何かそれまでと違うことをしようかな、って思った時、

こんなことをしたら、他の人にどう思われるんだろう?

とか、

誰かとつきあってそれが結婚へとつながらない場合、

どうしたらいいんだろう?

とか、

結婚したからって幸せになれなかったらどうしよう?とか

そんなふうに、思うことも多かった気がする。


怖れが現実になったとしても、それは必然なんだろう。


自分を小さく扱うのは、もうやめよう。


私はどんな状況におかれても

そこできっと幸せに、私らしく生きられる、


という前提に立てば、

すべてを受け入れることができる。


私はこれまで自分が思っていたよりも

きっと、もっと大丈夫、