河合隼雄の長男である著者が父と同じ分野の心理療法家として、村上春樹を分析したこの本は、現代思想や文化人類学の初歩的な知識を前提として書かれている。著者は村上春樹の作品がミリオンセラーになった人気ぶりを高く評価し、何故かを探る。著者はポストモダンの作家として村上春樹を位置づけている。、いわゆる純文学が心理描写をメインとしてきたことに対し、村上春樹は違和感を表明し、[面倒なことを面倒に書く]とさえ批判している。神話や昔話のような大きな物語は部落で共有されていたが、村上春樹の1Q84の場合、関係が逆になっていて、小さな物語の中でプレモダンな世界や超越的なものを感じさせると評している。著者の立脚点は、心理学的な理論を当てはめるのではなく、物語の動きと共に、作品の世界を内在的に明らかにする事だという。著者は、近代意識とは観察する意識とし、自分の視点からその他を対象化する事を指し、前近代的なあり方から自分を解放する事で確立するものとしているが、1Q84の主人公はこのような近代意識で貫かれていると評する。1Q84では、共同体や親からの葛藤や闘いを通じて、近代意識を獲得しているのに対し、それまでの村上春樹の作品ではこうした意識はなかった。ただし自立はしても、繋がるという要素が見られないので、近代意識と呼んでも良いか分からないとする。また近代意識は、自分で自分を意識し、責任を持つ事を意味するが、1Q84の主人公達は責任を持たない。これは村上春樹の作品に一貫して認められると指摘する。村上春樹の作品では、現実と非現実や、夢と覚醒の境界が簡単に越えられるプレモダンな存在のあり方を描いている。だから村上春樹は現代日本の意識のあり方であるポストモダンの意識と前近代の意識の解離を描いているのかもしれないという。多くの村上春樹の作品において、向こう側の世界は喪失され、手の届かないものとして描かれていると指摘する。その後、ユングの転移の心理学における結婚の四位一体性の理論で分析したり、三者構造で分析しながら、道徳観念で測りきれない実態を論じ、またそのような理論からも逸脱する状況を語った。著者は仮定による論理を幾度も投げ掛けながら、かもしれないと常に断定しないところも特徴的だった。