今日は、『花組トップスター明日海りお』について、考えてみようと思います。

以下、基本的に敬称を略しています。

語尾も、敢えて「です・ます」と「〜だ」を混ぜています。

きつく感じる文章表現も出てくるかと思います。
傷つけてしまったら、ごめんなさい。

どうぞご寛恕を賜りますよう、お願い致します。


……唐突ですが。

社会人として、組織で働いている方々はご存知ですね。

「人事は、上意下達」

上長から本人に内定の通知(通告)があり、その後、全体に発表がある……という流れが主流。

ほとんどの場合、内定を伝えられた時点で、ほぼ従うしかありません。

断る選択肢は、ほとんど無きに等しい。

組織で働いている者にとって、ごくごく当たり前の話です。


宝塚歌劇団もまた、企業の一部門。

生徒の人事も、企業人事の一環です。

トップスター人事とて、例外ではないでしょう。

仮に、明日海りおがトップの座にしがみついた(←この表現はアンチ記事より)と仮定しましょうか?

劇団が辞めさせたければ、引き剥がす事でしょう。

歌劇団の生徒は、入団当初こそ阪急電鉄の社員ですが、研6を境に雇用形態が変わります。

一年毎のタレント契約に切り替わるんですね。

基本的に無期限雇用で容易に解雇できない正社員と異なり、タレント契約は有期契約。

「期待通りの成果を収めた」と受注側に納得して貰えなければ、次は無くなります。

本当に、明日海がトップの座にしがみついてるなら。

本当に、劇団が辞めさせたがっているなら。

どうすれば良いと思いますか?

……って。
小学生にもわかる質問ですね、ごめんなさい。
実際のところ、

「明日海がトップにしがみついてる」

…そんな非現実的な発想に囚われる方は、まずいないと思います。
社会人なら、なおの事。

(もしいらしたら、ごめんなさい)
(宮仕えが長いと、社会通念の刷込が強いもので…)

ただ、前提として、一般的な日本社会の企業組織の在り方や、宝塚歌劇団の雇用形態を解説しました。

宝塚ファン歴が長い方ほどお詳しいですし、ここで私が書いた事はとうの昔にご存知の方も多いでしょうけれど、おさらいという事で。


今回の明日海の決断に対して、冷ややかな目を向ける方はいらっしゃるかもしれません。

その中には、宝塚ファンを自認される方や、社会経験も豊富な方もいらっしゃるかもしれませんね。

実際に今の花組、今の明日海りおを、生で観劇されての感想であり、考察に基づいた批評でしょうか。

もしご覧になっていないなら、ぜひ観劇してみて頂きたいと願って止みません。

映像ではなく、可能であれば、生で。
独特の空気感、圧倒的な迫力を体感してみて下さい。

明日海りおと、今の花組を味わってみて下さい。

インターネットには多くの情報が出回っていますが、それらに振り回されず、自分の感性を信じてほしい。

何年も該当者の舞台を観劇していなくて、インターネットの情報を頼りにされているなら、ぜひ。

諸事情で生観劇が難しく、インターネットや映像でしか触れられない方にとって、酷な事を申し上げている自覚はあります。

たとえ観劇できる環境にいても、明日海さん率いる花組は人気絶大ゆえ、チケットが取りにくく、生観劇はハードルが高いとは思いますが…。


なお、薮下哲司先生の宝塚歌劇講座が、ここで書きました知識の源です。
薮下先生、ありがとうございました。

薮下先生に加え、某国立大学の講師(宝塚歌劇研究者)のお話も参考にさせて頂きました。
ありがとうございます。


明日海が、華優希を相手役に迎える事。

それは4度目の嫁取りというより、次期トップの為の『トップ教育』が目的でしょう。

依頼者はもちろん、劇団でしょう。

明日海はそれを受けた。

明日海の決断を、その表面だけで読み解くことは難しいでしょうか。


何かで読みましたが…

「どんなに苦しくても大丈夫。 その人に耐えられる苦労しか来ないよ」

明日海りおは、下級生時代から抜擢を受け続けた水面下で、苦難の道を歩んで来ました。

準トップ就任、主演の役替わり公演など、何故そんな事をさせる?…と驚くような過酷な処遇。

表面的には華やかな大抜擢とも呼べるだけに、苦痛は大きかった事でしょう。

明日海は分かっていたはずです。

4人目の相手役を迎えること。
その相手が華優希であること。

それらが、何を意味するのか。
誰もが予測するでしょう……例えば。

「華ちゃんのトップ娘役の大劇場お披露目公演を、ご自分の退団公演にはしないよね?」

華優希のお披露目を、己の退団と重複させる事。

その選択の可能性は、明日海さんの場合、低そうな気がします。

ご自分のお披露目を、相手役の退団公演として見送った経験があるだけに。

お披露目はお披露目として祝福し、就任したての華優希のサポートを優先されそう…と推察します。

(あくまでも私個人の推測です)
(実際の退団時期は、現時点で不明です)


明日海は必ず、挨拶ではこう言います。

「花組をよろしくお願いします」

明日海はトップになってから、自分を宜しくとは言わなくなりました。

自分個人ではなく、花組を盛り立てたい。

その強い意思を感じます。

おそらく、自分個人の事より、組を主眼において判断しているんですね。

そもそも、視点が違うのでしょう。

同じく組織人としてであっても、俯瞰して、広い視野から判断している。

「明日海りお」単体が叩かれようが、おそらくビクともしないでしょう。

花組を背負い、責任をもって次へ繋げる。

それを主眼におき、劇団の意向を受け容れたのだと思います。

明日海はおそらく、全てわかっていると思います。

いつ、どのタイミングで去る事が最も惜しまれ、最も美しい花道となったか。

(具体例としては、絶賛された『ポーの一族』を経て、『Messiah』で仙名彩世と共に去るコースでしょうか)

ただ、それは「『明日海りお』個人単位」での話。

視点が異なれば、おのずと選択は変化します。

山頂から見える景色は、ふもとや谷底からは見えません。

明日海は責任を背負い、山を登った。

今も、これからも、すべての山を越えていく覚悟があるのでしょう。


仙名彩世を見送った明日海は、次世代の教育に集中していく。

その決意は、多くの人に透けて見えていますよね。

宝塚を愛していても、ずっと宝塚にいられない。
だからこそ限りある時間の中で、後進を育て、伝えられる事を伝えていく。

そう、明日海は決意を固めているのでしょう。

非難や中傷もすべて一身に受けとめる覚悟をもってしての決断だと思います。

美しい容貌と華やかな衣装の下に、満身創痍の細い体躯と心を潜ませている、明日海りお。

かかる火の粉を振り払いもせず、業火の前に敢えて立つ姿が見えるような…。


明日海が背負っているものは、私なら到底担い切れないものばかりです。

私には、明日海のような強さはない。
覚悟も、包容力も、明日海の足元にも及ばない。

その瞳に映る景色を、私が見る事はないでしょう。

……視点の高さ…?
…いいえ、高さだけではない。

次元が違うのだ。
きっと。


※ 関連記事「明日海りおは神か?」

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