僕は善とか悪とか正義とかいう言葉を安易に使うのを控えている。

若い頃、そうした美しい言葉を語る人が、正義だとか善だとか言いながら自己満足に耽り、偽善に陥っているのをたびたび見て、嫌気が差したためだ。

 

一方で、世の中を眺めれば、あまりに人の道に外れた行為が平然と行われているのは確かだ。

一つは政治家やメディアが垂れ流す嘘と、その嘘によって起きた結果に対する無責任な態度。

過ちを認めて謝罪すらしないどころか、過った行為をやめようともしない。

コロナワクチンの被害や、ウクライナ支援など、わざわざ例を出すまでもないだろう。

 

あまりに不善な行為が世の中に蔓延し過ぎて、何が正しくで何が正しくないかという基準さえわからなくなっているようにすら見える。

それは政治家やメディアに限られない。

もはや嘘をついて人を騙す程度のことは、良心の呵責すら感じない人が多いのではないだろうか?

 

ここ2,3年、水道管修理や屋根工事、白アリ駆除、スズメバチ駆除などで、最安値を謳いながら、実際に自宅で作業に取り掛かると、なんだかんだと理由付けをして高額請求を行う悪質業者に対して、注意を促すような記事がたびたびネット上で散見された。

これらなどいい例だろう。

いったい、どういうつもりでそういう騙しを行うのか、悪質業者の心情をあれこれ想像してしまう。

金を稼ぐためなら何でもやってやろうということなのか。

 

一昨年2022年の夏、コロナワクチン接種に反対する人達の集まりで知り合った女性でこういう人がいた。

彼女はコロナワクチンを接種していないし、コロナワクチンの有害性をよくご存じだった。

本人から直接聞いた話ではないのだが、同じ集まりに参加した仲間から伝え聞いた話では、彼女はコロナワクチン接種会場でアルバイトをしていたらしい。なんでも、本人が接種会場でアルバイトをしていたことを話していたらしいから間違いないだろう。

それを知った時は愕然とした。

コロナワクチンに関連する仕事の報酬は高額だ。おそらくバイト代が高いからやったのだろう。

自分から接種会場でバイトをしていたことを話すくらいだから、自分のやったことが悪いことだという認識はないに違いない。

もちろん、国がやっていることなのだから、犯罪にはならないが、倫理的には大問題だ。

彼女は、人に障害や病気を起こし、人を死に至らしめるような行為に加担したのだから。

コロナワクチンの有害性を知らないでいたならともかく、彼女はそれを知っていた。

これなどもいい例だろう。

 

人は、往々にして、罪にさえ問われなければ、他者から後ろ指を指されなければ、どんな悪どいこともできてしまうのかもしれない。

昔、精神病院にスタッフとして勤めていた女性から聞いた言葉を思い出す。

その女性は、病院側が患者をひどく虐待しているという話を聞かせてくれた。

虐待の内容はよく覚えていないのだが、話を聞いてゾッとしたのは覚えている。

ただでさえ精神的に弱っている患者を、さらに苦しめるようなことを、病院側が行っていることが、どうも腑に落ちなかった。そんな残酷なことが出来るものだろうかと思った。

 

「そんなひどいことが起きてるなんて、何だか信じられないな。」

僕がそう言うと、彼女はこう言ったのだ。

「人間っていうのはね、人に見られていないと思えば、どんなひどいことだって平気でやるんだよ」

 

善とは何か?

それを改めて問い直してみることは、今の世の中を見れば、意味のあることだ。

 

仏教にも八正道という教えがある。

正しい見方、正しい思い、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断、正しい考えのことだ。人生の苦しみから脱する方法としての教えだ。

正しくあれということだが、何が正しいかもわからないのに、正しくあれという漠然とした教えに意味はあるのだろうかと思ったこともある。

しかし、少なくとも正しくあろうという心がけは大切だ。

たとえ、国の政策だろうと、たとえ法的に罪に問われないことだろうと、たとえ誰もがやっていることだろうと、自分の良心に照らして悪いことだと思うのであればやるべきではない。

 

そして、善ということを考えると、自分の行いの過ちを悔いてそれを告白することが大切になる。

 

映画「ジャンヌダルク」は、14世紀、ジャンヌダルクが、神の啓示を受けて、フランスを脅かしていたイギリスと兵士として戦う少女の姿を描いた作品だが、映画ではジャンヌが度々、神父の前で告解するシーンが出てくる。

信仰心の篤いジャンヌは、幼い時からほんの少しでも自分の言葉や行いや思いに正しくないものがあると感じると、神父のもとに駆け出していく。

「私は罪を犯しました。」

まず初めにそう切り出してから、自分が罪だと思う行いについて告白する。

たいていの人が罪とも思わない些細なことでも、ジャンヌは自分の罪を告白し、自分の行いを正そうとせずにはいられない。

神父はジャンヌの罪の告白をすべて聞き終えると、ひざまづくジャンヌの頭に手をかざし、

「汝の罪を許そう」

そう言葉をかける。

ジャンヌがイギリス軍に捉えられ、異端の罪として火あぶりの刑に処せられる直前にも、ジャンヌは自分が罪と思うことを告白する。

あんなにも神のもとに正しくあろうとしていたジャンヌが死ぬ間際に、自分は傲慢で思いあがっていたと告白する場面は、あまりに切なく感動的だ。

 

真言宗の中興の祖と言われる覚鑁上人にも密厳院發露懺悔文というものがある。

現代語訳すると、以下のような内容になる。

真言宗智山派真福寺のHPから引用する。

密厳院發露懺悔文 - 真言宗智山派青龍山真福寺 (okaya-shinpukuji.jp)

 

◆我は懺悔する。妄想にとりつかれて、もろもろの罪を犯してきた。

◆身と口と意(こころ)の行いは常に正しくはなく、多くの悪行を誤って犯してきた。

◆財産を惜しんで人に施さず、気の向くまま節度ない生活をし、戒めなど守らなかった。

◆よく腹を立て、我慢ができない。怠けてばかりで少しも努力をしない。

◆心が乱れていて座禅のこころが落ち着かない。

◆真実にはずれているのに、智慧を観ようともしない。

◆六波羅蜜行をしないのは、地獄・餓鬼・畜生への輪廻のもとをつくっている。

◆僧侶の名を借りて寺院を汚し、僧侶の格好をしてお布施をもらっている。

◆授けられた戒律は忘れてしまい、学ぶべき修行は嫌いになっている。

◆諸仏が忌み嫌うことを恥とせず、菩薩たちを悩ませていることを恐れない。

◆遊び楽しんで年をとり、心にもない言葉、嘘や悪口を言っている間にむなしく日は過ぎていく。

◆善き友を避けて愚かな友と親しみ、善いことをしないで悪いことをしてしまう。

◆名誉欲しさに自画自賛をし、徳高い人を見てはねたましく思う。

◆自分より劣った人を見ては高慢になり、裕福な暮らしにあこがれ、貧しき人を見てはおぞましく思う。

◆故意に、あるいは誤って命を奪ってしまい、公然とあるいは密かに他人のものを盗んでしまう。

◆触れても触れなくても、不倫な行為は不倫である。

◆悪い言葉や心の働きが重なり仏を観想しても心が落ち着かず、経を読んでも間違える。

◆善い行いをしてもその見返りを期待するから、かえって迷いの世界に入るもととなる。

◆毎日の暮らしのなかで、知らないうちにたくさんの罪を犯している。

 

 いま、仏・法・僧の三宝の御前で告白いたします。

 どうか慈悲のお心で御許しください。

 ここに、すべてを懺悔いたします。 

 自らの行い、言葉、心の働きによって生じた罪を、

 私はすべての人に代わって懺悔いたします。

 

参考記事

最安値うたい高額請求 トイレ修理、業者名公表―消費者庁:時事ドットコム (jiji.com)

 

悪質リフォーム業者に注意! 屋根工事の相談5年で3倍―不安あおり契約、相次ぐトラブル・警視庁:時事ドットコム (jiji.com)

 

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吉井豪
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