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周易・乾・大象を読む

ここ数日をかけて周易 乾卦の大象


象曰、天行健、君子以自強不息


とその疏を読んだ。いや、ロクに内容を理解できていないことを考えると単に目を通しただけと言ってもいいかもしれない。とにかく疏の部分が長い。わからないなりに疏の内容を整理する。


○正義曰、此大象也~
 易の十翼の中の象伝は、卦全体を論じた「大象」と各爻辞を論じた「小象」に分かれるらしい。孔疏を読んで始めて知った。まず最初に「象」という名前の由来や象伝が彖伝の後にくる理由等を述べる。
○天行健者行者~
 次に「天行健」についての解説。まず、「天行」を解説した後、「健」の字が特に問題にされる。なぜなら坤卦の大象の冒頭が「地勢坤」となっており、坤卦と対比してなぜ「天行乾」と書かれていないのか当時の儒学者には重要な問題であったらしい。ここで「詳其名也」という後漢の劉表の注が引用されており、かなり昔の時代から議論があったらしい。ちなみに「天というのは体の名で、乾は用の名、健とはその訓」だそうです。皆さんわかりますか?私にはさっぱりわかりません。
○凡六十四卦説象不同~
 ここも「天行健」の解説の続き。周易六十四卦の大象の冒頭の部分を類別して、各グループごとにそこに所属する各卦の大象を一々列挙して説明する。長ったらしい上に、正直各グループの特徴を理解する気力もおこらない。
○先儒所云~
 ここも前の続きだが、先儒に議論のある「実象」と「仮象」について
○天行健者謂天~
 ここから「君子以自強不息」の解説。最初にまた「天行健」の意味について解説しているのは、くどいというか重複に見えるが、自然の象である「天行健」に対比して「君子以自強不息」が人事についてのことだと言いたいがためらしい。
 ここで面白いのは孔穎達の君子の解釈。私のイメージだと君子というのは徳を備えた立派な人ぐらいに思っていたが、疏によると


言君子者、謂君臨上位、子愛下民、通天子諸侯兼公卿大夫有地者
(子愛下民は13巻本宋本では「子受下民」に作る)


であって、領地をもって民を治める立場の人物を指すらしい。ちなみに特に天子のみを指す場合は「先王」と言い、天子諸侯を指す場合は「后」を称するとのこと。

近況報告

 5月に少し更新しただけで、実質的には半年以上更新停止状態でしたが、ブログを続けたい意欲が多少回復してきました。

 5月には『續資治通鑑長編』を読んでいると報告しましたが、宋代の官制などの知識が不足していることを痛感して、現在は『宋朝典制』(張希清等著 吉林文史出版社 1997年)を亀のような遅さで読んでいます。

 また、漢文読解の基礎的な知識の無さを痛感したこともあって『十三經注疏』の『周易正義』をこれも無理しない程度に少しずつ読んでいます。二ヶ月近くかかってまだ乾卦の半分も終わっていませんが。

 まとまった記事を書く気力までは起こらないので、とりあえず、日記代わりに読書報告をしていこうかと思っています。疲れた日は「周易の××の部分を読んだ」の一行でもいいので出きるだけ毎日書いていくことを目標にします。

《長編》ゾウがうろつく

『續資治通鑑長編』巻3 太祖 建隆3年(962)八月


是月、安復間有象食稼、遣使捕之。


この月(八月)、安州と復州の間に象がいて作物を食い(荒らした)ので、使者を派遣して捕らえさせた。


安州は湖北省安陸市、復州は湖北省天門市(武漢市の西から西北)で、こんなところに象が出没するものなのだろうか、自分の読み間違いかテキストの誤りではなかろうかと不安になって、『宋史』を検索してみたところ、太祖紀の建隆3年(962)六月乙卯の記事の後に、


黄陂縣有象、自南來食稼。


黄州黄陂県に象がいて、南から来て作物を食い(荒らした)。


という記述が見える。黄州は安州の東に位置し、黄陂県は現武漢市黄陂区のあたりに位置する。『宋史』と『續資治通鑑長編』では出現した月と場所が微妙に違うが同じことを指していると見てよさそう。特に黄州の位置については現代の地図で確認すると復州の東北に安州があり、安州の東に黄州があるが、宋代に記された地図の『歴代地理指掌図』では復州と安州が横並びになっていて、復州と安州の間の下に黄州が位置しているように描かれている。当時の人の認識では黄州は復州と安州の間に位置するように思われていたのかもしれない。あるいはもっと単純に象が黄・復・安州一帯をさまよっていて、それがそれぞれの史料に省略して記事にされただけかもしれないが。(ちなみにこの黄・復・安州一帯は、それ以南の南唐や半独立勢力の南平王と境を接している地域で、当時の宋王朝の最南端であった。)
 また、『宋史』太祖紀の乾德二年正月辛巳の条に


有象入南陽、虞人殺之、以齒革來獻。


鄧州南陽県に入ってくる象がいた。虞人*はこの象を殺して、歯(象牙?)と革を献上した。


*虞人…『漢語大詞典』の虞人の項に山沢園囿を司る官の意味に解釈して『宋史』のこの部分を引用する。


とあって、鄧州南陽県は現河南省南陽市で復州のかなり北、洛陽の南に位置する場所で、太祖建隆3年の時よりかなり北の場所で象が出現している。

 最近、洛陽と開封の間に位置する河南省の鄭州市で西周時期の象の臼歯が出てきて、殷周時代に黄河以南に象が出没していたのが実証されたという中国語のニュースを目にしたが、


鄭州挖出大象牙齒 證實商周時期黄河南有象出沒 (繁体中国語)

後世の中国でも象が普通に見られる動物であったとは考え難い。
 南宋・羅願『爾雅翼』の象の項目には、「南越の大獣」とあり、『宋史』の本紀部分をちょっと検索してみたところでも上の2条を除いては、「占城國」や「交州」といった現在のベトナムあたりから象が献上されたという記事ばかりで、当時の象の生息地はベトナム等の南方であったと考えてよさそう。
 では、上の長江以北に出現した象はいったいどういう経緯で来たのだろうか?
 はるか南のベトナムから長江を渡って迷い込んできたのだろうか?
 謎は深まるばかりである。

《長編》護岸のための植林

前に述べたように『續資治通鑑長編』をちょっとずつ読んでおります。
面白かった話やなんとなく気になった話などがあればメモってみたり。


『續資治通鑑長編』巻3 建隆3年(962)九月丙子
詔、黄汴兩河岸、毎歳委所在長吏、課民多栽楡柳、以防河決。


黄河と汴河の川岸に、毎年その地の長吏に命じて、民に多く楡や柳を植えさせて、河の決壊を防がせた。


あまりちゃんと辞書をひいたりせずに適当に訳して見た。
護岸のために植林をするという行為が中国でいつごろからあったのか知らないが宋初にすでにあったみたい。ちょっとメモ。

2008年1月の購書録

まずは、今年1月に購入した本の報告から


逸周書彙校集注(修訂本)(中華要籍集釋叢書)(上下2冊 黄懷信等撰 上海古籍出版社 2007年 縦組繁体)
校訂五音集韻(金・韓道昭著 甯忌浮校訂 中華書局 1992年 影印本)
春秋左氏傳舊注疏證續(全4冊 呉静安撰 東北師範大学出版社 2005年 縦組繁体)
資治通鑑(上)(上下2冊 宋・司馬光編著 元・胡三省音注 上海古籍出版社 1987年 影印本 本文のみ断句)
福建省地図冊(福建省地図出版社 1990年 横組簡体)
爾雅音訓(黄侃箋識 黄焯編次 上海古籍出版社 1983年 縦書繁体)
敦煌音義滙考(張金泉 許建平著 杭州大学出版社 1996年 縦書繁体)
王摩詰文集(宋蜀刻本唐人集叢刊)(全2冊 唐・王維撰 上海古籍出版社 1994年 影印)
張承吉文集(宋蜀刻本唐人集叢刊)(唐・張祜撰 上海古籍出版社 1994年 影印)
李太白全集(華夏青史文人全集叢書)(唐・李白著 清・王琦注 中国書店 1996年 影印)

金匱玉函經二註(明・趙以徳衍義 清・周揚俊補注 人民衛生出版社 1990年 縦組繁体)


 『逸周書彙校集注』は、もともと逸周書の信頼できるテキストと注釈を長らく探していてなかなか入手する機会が無かったところに、『逸周書彙校集注』の修訂本が出版されたので購入。1995年に初版が発行され、今回原本の誤りを初版の担当者の一人である黄懷信が修訂したものとのこと。
 『五音集韻』は、金の韓道昭の編纂した韻書。正確には『改併五音集韻』と言うよう。それ以前の韻書が韻の中での小韻(子音も含め発音が完全に一致する字のグループ)の排列がランダムであったのにたいし、『五音集韻』は「見・渓・群・疑…」の所謂三十六字母の子音の順番に整理された韻書として現存最古のもの。甯忌浮の解説によれば、現存の『改併五音集韻』のテキストには、金崇慶新彫本・元至元新雕本・明成化庚寅重刊本・明弘治甲子重刊本・明正徳乙亥重刊本・明萬暦己丑重刊本・明翻刻崇慶本の7種類が知られるとのこと。現存の金・元本には残欠や不鮮明な所があったため、この『校訂五音集韻』は「明成化庚寅重刊本」を影印。原本には誤字が多数見られるが、『廣韻』『集韻』等の『改併五音集韻』の基になった史料等と比較して明らかな誤字等については、横に▲印等を附して欄外上部に正しい文字を書して直接訂正し、説明が必要な部分については書後の校勘記で解説する。また、この『改併五音集韻』は明代の仏学者の重視を受けて研究が進められ、この成化本も『古今韻會擧要』に基づいて注文を大幅に増加する等、原本を大きく訂補したものらしい。また巻末に四角号碼索引を附す。索引の説明によると成化本は(恐らく延べ)56556個の単字が収録されており、そのうち45字が重複や誤増。また成化本では脱落している文字が42字あるとのこと。

早稲田大学所蔵の明萬暦本『改併五音集韻』と同じく韓道昭の編纂した『改併五音類聚四声篇海』がオンラインで公開されている


http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ho04/ho04_01313/


また京都大学所蔵『近衛文庫』でも明萬暦本『改併五音集韻』と明萬暦刊『四声篇海』がも公開されている


http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k63/k63cont.html
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/k64/k64cont.html


 『春秋左氏傳舊注疏證續』は清・劉文淇『春秋左氏傳舊注疏證』の続編として編纂された『春秋左氏伝』の注釈。私は『春秋左氏傳舊注疏證』は未所蔵だが、1959年に科学出版社から出版され、また中華書局から十三經清人注疏シリーズで出版される予定があるらしい。


http://www.karitsu.org/kogusho/13jing-qingrenzhushu.htm


この『春秋左氏傳舊注疏證』は未完成のまま著者が亡くなり、襄公5年までで終わっているため、南京教育学院の呉静安教授が『春秋左氏傳舊注疏證』の体例に従って、襄公6年以降の注釈を完成したのが、この『春秋左氏傳舊注疏證續』。
 『資治通鑑』は、1935年の國學出版社の影印本を上海古籍出版社が重印したもの。清・嘉慶年間に胡克家が元刊の胡三省注本を覆刻したものに、断句を施して(本文のみ)影印。併せて胡三省『通鑑釋文辯誤』12巻と宋・劉恕『資治通鑑外紀』10巻(いずれも世界書局本の影印)を巻末に収録。よくいく本屋の店頭で見つけたものの、下巻が在庫の山に埋もれて行方不明。とりあえず上巻だけ貰ってかえり、下巻はいま探してもらっています。
 『福建省地図冊』は、福建省の分市(県)地図。
 『爾雅音訓』は、黄侃が郝懿行『爾雅義疏』を訂補しようとして原書にいろいろと校語等を書き込んだものを、彼の死後に甥の黄焯が整理したものらしい。本文は手書きの縦書繁体字で、日本風の句読点がはいっている。また、漢籍風に上中下の3巻に中身が分けられている。
『敦煌音義滙考』は、敦煌出土文書のうち音注の記されたものを集めて校語を記す。一部を除いてマイクロフィルムや『敦煌寶藏』等に収められた原文を影印して収録しているが、かなり縮小されて印刷されているうえに、文字がかすれていたりするために、判読が困難なものも多い。ちょっと残念。本文は手書きの繁体字。
 上海古籍出版社の宋蜀刻本唐人集叢刊シリーズは唐の文集の宋蜀刻本を原寸大で影印したもの。完全な白黒印刷ではなく原本に押された朱印もきっちり朱色で印刷されているのも嬉しい。自分は漢詩は苦手なのだが、宋本の影印が古本で安く入手できたのでとりあえず購入。
 『李太白全集』は、通販で注文してから中華書局の標点本をすでに持っていることに気づく。ただし、中国書店のものは断句本で、出版説明等の解説が一切ない。中華書局の出版説明によると清・王琦注『李太白全集』には2種類のテキストがあり、中華書局は後出のものに基づいているのに対し、この中国書店のテキストは早くに出版されたものらしく、注文に多少の違いが見られる。
 『金匱玉函經二註』は、通販の目録で見かけて、なんとなく聞いたことのある書名で安かったので他の本を注文するついでに購入して見た。書名から道教系の書籍かと思っていたら医学系の書籍でした。本書の解説によれば、元明間の医師の趙以徳が漢・張仲景原著の『金匱要略』の全25論のうち1~22論を取り上げて注釈を付けた『金匱玉函經衍義』という書籍に、さらに清の周揚俊が注を補って『金匱玉函經二註』として刊行したもの。校点者によると『金匱玉函經衍義』は3巻の抄本が現存しているらしく、この人民衛生出版社の校点本にはこの抄本『金匱玉函經衍義』等を利用した校勘記が入っている。