最近、渡辺惣樹さんなどの著作でフランクリン・ルーズベルト大統領の実像が明らかになっているが、アメリカ人自身が戦争直後から既に問題視していたことが分かる本が2017年時点でも出版されている。しかしこの本も発表当時、アメリカ国内ではタブー視されてか読み広がってはいなかったようで、すでにリベラル勢力の萌芽が見られるのであろうか。

(以下読書日記)

以前から読もうとは思っていた本だったけど、何となく内容は分かっているつもりで繰り延べしていた。しかし、たまたま「戦争を始めるのは誰か」に続けて読んだことで、関係性も強く印象つけられてよく分かった。

これは1976年ごろ、アメリカで刊行された本、第二次世界大戦前からアメリカの外交とルーズベルトの人となりを知り尽くした有力下院議員フィッシュによって語られる、アメリカ国民すべてがルーズベルトに騙された大恐慌時代から第二次世界大戦中、そして戦後の真実である。

まずルーズベルトは権力志向の塊であり、死ぬまで一旦手に入れた権力を放すことを拒み、とても執務に耐えぬような病状を隠して、四選を戦い、もっと言うと三選時に既に執務にフルに耐えることも叶わぬなかで大統領になった、という。そしてアメリカ大統領の権力にとどまらず、ひょっとしたら世界の大統領を望んだのか、国際連合の設立とそのトップを目指して、自分が気を許すスターリンの協力を得るために、最大限のサポートを戦前、戦中、戦後も与えて、結果として不必要だった第二次世界大戦を起こし、またドイツを倒すことでソビエトに中央から東ヨーロッパを与え、更にはアジアでも中国の共産化を許し、それが朝鮮戦争、ベトナム戦争につながってアメリカ人の血をも流させることになった、と徹底的に非難する。

「戦争を始めるのは誰か」でもなぜ、ポーランドがあれほどドイツとの外交的妥協を拒んで結果的に大戦を引き起こし、全てを失ったか、でその裏にはイギリスがいたとあったが、さらにその裏にアメリカがいた、とするのがフィッシュである。住民の9割がドイツ民族であったダンツィヒを譲ればヒトラーは満足して東に向かい、ソビエトと死闘を始める、それによってヨーロッパは安泰であったはず、という。それなのにイギリスはドイツに対抗する陸軍など無い中でポーランドに自由を保障し、アメリカの参戦も約されたお蔭でベック外務大臣は強硬路線を継承した、実は彼も妥協したかったのに、とある。さらにドイツのポーランド侵攻の直前にフィッシュたちはヨーロッパの議員たちと共同声明を出してモラトリアムを提案することにしていたのだが、その構想もアメリカ政府のサポートなく潰えてしまった、と明かす。さらに戦争中の1943年にもドイツ国内の反ヒトラー勢力から名誉ある降伏を打診されながらもFDRに無視されてしまった事実を明かす。

フィッシュは日本がアメリカと戦うつもりはなく、最大限の譲歩をしていたこと、最後通告(ハルノート)はアメリカから提出されたこと、その事実を国民も議員もまるで知らなかったことなどを明かし、これもFDRが参戦するために弄した手段であると非難する。FDRは国民に対して嘘をつくことも全く気にせず、平気で反対を言い、国民をだました。ポーランド系も騙し、ユダヤ系も騙し、もちろんドイツ系のことも考えずにいた。ただ、共産主義だけを自分は共産主義者ではないのに信じた、という。これも実に不思議で、なぜなのか不明。

FDRの中国好きは有名であったが、それなのに蒋介石を途中で裏切り、毛沢東=共産主義に肩入れしたと言うがこの理由も不明。この本ではマーシャル将軍もただのFDRの腰ぎんちゃくという評価で、「史上最大の決断」という本での評価と違う。多くの見方があると言うことだろう。

それにしてもこれだけはっきりFDRの問題が語られているのに、なぜ、アメリカで、また日本で主流の考えにならず、未だにFDR神話が続いているのはなぜだろうか。本当に得をしたのか誰なのか?スターリンが得をしたと言ってもソ連、ロシア民族は多くの死者を出したし、それは中国も同じ。アメリカももちろんそうだし、ユダヤ人も戦争さえ起きなければアウシュビッツもなかったはず。

ただ、国際金融資本(多くはユダヤ系だろう)だけはアメリカの潜在能力を解き放ち、そこで大儲けをした、と言えるかもしれない。ソビエトを製造基地にできたかもしれないし(スターリンがもっと大人しければ)、中国も早めにそうできたかもしれない。しかし、毛沢東により中国もアメリカの脅威にまで成長したので、待つ必要ができた。今では中国は国際金融資本の勢力下にある、と言ってもいいのかもしれない。日本の欠点は国際金融資本の言いなりにならなかった(ハリマンの満州鉄道参入を断るなど、相手のメリットを理解したうえで一緒に儲けよう、という気持ちがなかった、外交、金融音痴の日本、ということか)ということであろう。

フィッシュは、アメリカは長い間日本に経済制裁を掛けることで挑発していた。真珠湾も日本の奇襲ではない、最後通牒をしたのもアメリカだし、暗号解読によって攻撃も知っていた、という。ここだけでも日本人は認識すべきであろう。それにしてもFDRとチャーチルさえいなければ、世界はまるで変わった、というのは壮大なIFとして記憶すべきことではないか。

この本を読み終えて考えるに、アメリカ人がヨーロッパへの二度の介入をつくづく馬鹿なこととして認識した結果、三度目の介入はしない、と決めたとすると、日本を守って中国や北朝鮮とも対峙しない、と割り切る恐れもある、日本も尖閣諸島くらいで中国と徹底的に戦うべきではない、妥協すべき、と言う流れになりかねない、そんな恐怖もちょっと感じた。

(読書日記終わり)

現時点ではトランプもバイデンも尖閣諸島は日米安保始動の対象になる、と表明しているが、いざというとき本当にそうなのか、日本政府もちゃんとプランBを考えているはず、だと信じたい。

正直言って太宰治は苦手でじっくり読んだことはないが、太宰作品を「笑える」、「泣ける」という視点で編んで、太宰知らずに太宰を知らせようという趣向のアンソロジー。僕は「眉山」が面白い、と齋藤孝さんの本で紹介されていたのを期待して読んだ。ちなみに、「眉山」は泣ける作品として分類されていた。

「燈籠」は、あまりに悲しい女性のひとり語り。24年間、市井にひっそり、家族と生きてきた女性が学生さんに狂って、彼に似合う海水パンツを出来心で万引きしてしまうという作品。まさにその心は少し病んでいるが、学生にも見放され、世間の好奇の目にさらされ、家族と以前以上に籠ってしまう、家族の中心に灯る電灯を燈籠としたのか。

「黄金風景」は子供のころ実家に奉公していた女中を徹底的にいじめていた太宰が後に作家となり、船橋に棲んだ時、たまたま訪ねてきた警官の妻がその女中だったということを知った時の恐怖を描く。三人の子供を持ち、ちゃんとした家庭を築いた女中に対して今の自分は、と赤面、反省する。しかし、その女中は家族に、実にすばらしい主人の家族だった、と美しく語っていたのだ。太宰自身の自己嫌悪が過剰に働いていたと考えるべきなのだろう。

「眉山」は自然と作家たちの根城になった食べ物屋にいた作家たちにミーハー(と軽く言っていいかどうか)な女給を描く。とにかく作家たちに憧れ、彼らの為なら何でもしてやろうと一生懸命尽くす眉山と彼女を眉山とあだ名してからかいの対象としか見ない作家たちとの交流ともいえない交流。彼女にトイレを我慢させながらサービスさせ、最後のトイレに駆け込むときに味噌を踏んでしまったエピソードが実にうまくて笑ってしまう。基本的にこの話はずっと笑っていて、最後の一頁で眉山が病気だったことが明かされ、それにもかかわらず一生懸命太宰たちに尽くしたその心情が現れて泣ける、流石の太宰たちも店に行けなくなってしまうというラストはありがちだけど秀逸。

「メリイクリスマス」はかつてよくお酒を目当てに通った女性の娘、当時は子供だったが、今は美しい女性と出会った話。母親を話に出しながら、その女性と楽しいひと時を過ごそうとする男性の自然な気持ち。ところが母親の方は広島の原爆で亡くなっていた、と知りシュンとなる。そこにたまたま通りかかったアメリカ兵に隣の酔っ払いが、メリイクリスマスと声を掛ける。なかなか味な話。

笑えるほうの話では「親友交歓」が何とも言えぬ。親友を自称して作家の家に現れた幼馴染は、かつて一度喧嘩したことだけを頼りに好き放題を言い、作家の妻の酌を求め、とっておきのウィスキーを残らず飲んで帰りに最後の一本を土産に所望する。もう太宰はあきれ果て、どうせやられるなら徹底的にやられよう、とでもいう開き直りをもってそれを爽快とまで言う、笑える話ではない気がする。人の弱さをさらけ出す太宰に親近感を持ち、親友と呼ばれる悪友に怒り爆発。それにしてもよくまあ、これだけタップリと親友の悪意を描写できるものだ、このディテイルに感心する。

「美少女」はああ、こんな世界も日本の昔にはあったのだなあ、という田舎の素朴さ、湯けむりの中に立つ美少女の裸体が美しく描かれる。

とにかく太宰の現代性、というか都会人の繊細さが感じられ、これがいまでも太宰が人気な理由なのだ、と初めて納得した。

 

今は懐かしいトランプ大統領誕生前後、世界中がアメリカの今後の動向に戦々恐々とするなか、僕もたくさん、トランプの本を読んでいた。

この本の少し前に「トランプが日米関係を壊す」(日高義樹)も読んでいて、ここではアメリカの中にトランプを求めるコアな支持層があり、大統領選は接戦になるだろう。でもマスコミがトランプを大嫌いなので最後はヒラリーの勝ちだろう、と日高さんが予想していたが、結果はご存知の通り。

 

それに続いてトランプ大統領就任半年ごろ、古森義久さんという産経新聞特派員で超ベテラン、在米何年という記者の本で、よりアメリカの政治、マスコミに食い込んだ内容になっていると期待した。

最初に言っているのは、リベラルであるアメリカのマスコミはトランプに完全に敵対しており、その報道を丸のみで流す日本の報道だけを見ていてはアメリカの実情は分からない、とまず釘をさす。

タイトルにあるように、中国の膨張を許さない行動が本当になされるかどうか、古森さんもはっきり分からないようだが、少なくとも「一つの中国」ポリシーについては、中国の理解の通りではなく、アメリカ自身の理解において尊重する、ということであり、中国からすると、ここを維持してもらうために妥協しなくてはいけない、という結論。

後半でもいかにアメリカのマスコミがリベラルに偏ってトランプを報道しているか、アメリカ国民の半分以上はトランプの政策を支持している、とくにイスラム圏からの入国管理を厳しくするのに関しては55%以上賛成である、などと話す。またアメリカのマスコミ以上にひどいのは日本のマスコミ、特に朝日新聞で、トランプ憎しの一念から彼の言動を反ユダヤ的と言ったり、テロと同列に扱うなど、日本語なのでアメリカ側に気付かれないからいいようなものの、非常に失礼なことを書いていると明らかにする。

マスコミは中韓に日本政府の日本ファーストな言動を注進して騒ぎを起こすのが好きだが、マスコミの反トランプ的報道をトランプに注進するのもありかも。朝日新聞、トランプに切り捨てられる、などとなれば面白い。

古森さんは、トランプの言動は非常に分かりやすい、国民に話したことを一生懸命、実現しようと頑張っている。決して恐れすぎることもなく、安住することもなく、是々非々で対応すればいい。トランプがアメリカファーストなら、日本は日本ファーストでいけばいい、もはや経済問題が安全保障とからんで揉める時代ではない、経済では言いたいことを言い、安全保障では同盟国として積極的に関与していけばいい、という。

日米間の戦後総決算は終わったのだから、あとはきちんと話し合っていけばいい、ということで終わる。

 

トランプ大統領就任直後に古森さんは語っていたがまさにその予想の通りに世界は動き、日本は安倍-トランプの良好な関係を作りだし、それを生かして、まあ幸せな時期を過ごしていたと言える。

これらが武漢型ウィルスの蔓延からトランプ再選ならずで突如終わってしまったが、さてこの後バイデン大統領でどうなるか?

今度こそ日本も他力本願でなく自力で国の尊厳を取り戻し、新しい日本として復活してほしい。

たまたま新聞のテレビ欄で、フジテレビ新シリーズの紹介に気付き、面白そうだなと感じて借りた本。結果として正解。

最近はこんな感じの、探偵役の設定に特徴のあるライトミステリ(事件の謎自体は軽くて、主人公である謎を解くコンビ、トリオのやりとりが面白いもの)が流行している気がする。このシリーズは警視庁捜査第一課の敏腕刑事須藤友三が重傷を負ってリハビリ中、警視庁内で比較的楽な部門(と思われた)動植物課に配属になって、そこの女性警官薄圭子とコンビを組んで動物絡みの謎を解く、という設定だ。

シリーズ第二話なので既に主人公たちはいいコンビで動き始めている。

 

こんなイントロで読書日記を残していたが、このシリーズは橋本環奈と渡部篤郎主演のTVドラマ「警視庁いきもの係」で知って原作を読み、ほぼ同時にドラマも観たがどちらも楽しめた。

 

(蜂に魅かれた容疑者)

あっという間に読み終わったが、まあこの手のミステリとしては成功、満足。特に須藤友三と薄圭子の掛け合い漫才のような会話が絶妙、薄が須藤の言葉を次々と誤変換して聞き直すところが愉快で楽しい。これはこのあとの作品でも続いてお約束のギャグに。

トリックと言うか仕掛けもなかなか考えてあって、犯人側の計画も巧妙、登場人物もほとんど無駄なく活用されている点も僕の好みだ。ラストの活劇的なところも含め、TVドラマになじみやすい、そんな風に思えた。このシリーズはすでに4作出ているので、しばらく楽しめそう、さっそく1作目を借りてきた。

 

(小鳥を愛した容疑者)

たまたま読んだ「警視庁総務課動植物係」シリーズ第2冊「蜂に魅せられた容疑者」が結構楽しくて面白かったので、シリーズ最初の本から読み始めた。こんな風にして読む幅が広がるのはうれしい。

第一作は短編集だった。小鳥、蛇、カメ、そしてもう一種類の動物が登場する。「蜂に魅かれた容疑者」で感じた須藤警部補の行動力から割と若い印象を持っていたのだが、ここでは50歳、事件で怪我をしてしまい、現場復帰が困難なことから総務課に異動になってここで静かに定年を待つ、という設定だったことが分かる。独身で二階建てのアパートに住む、というのはちょっと可哀そう過ぎる気もする。でも今後、薄巡査と年の差恋愛の可能性も感じられ、それはそれで楽しいかもしれないが。

二人の掛け合いの面白さは、こちらが第一作ということもあってボチボチ、でも萌芽はみてとれる。謎もある程度、説得力はあったが、結局、一話の手乗り十姉妹は犯罪の証拠を持っていたのかどうか、よくわからなかった。

第2話では蛇を飼っていた対象者が自殺をしたのか、それとも殺害されたのか、がポイント。ここでもてきぱきと残されたペットの世話をしつつ、観察力の鋭さで次々と不審な点を発見して真相に近づいていく。この作品は蛇の描写があってあまり気持ちはよくないが、謎自身はなかなか工夫されていてよかった。事件の流れだけ綴ると、蛇の飼い主は自殺を試み、望んだ方法とは違ったけれども目的を果たす。ところがここに偶然、介入することになったのが容疑者。自分に遺贈されることになっていた蛇が、このまま自殺者の発見が遅れると世話を受けずに死んでしまう。また、自分は時効を目前にした逃亡犯罪者であるため、言いだすことができない。やむなく別の場所で自殺したように偽装するが、薄圭子のペットに対する知識、人脈と推理によってあばかれ、最後は蛇を守るために現場に現れ、逮捕されてしまうというもの。こじつけではあるけれど、まあまとまった作品だった。

次はカメの話。爬虫類続きだが、蛇と亀では須藤も僕もずいぶん感覚が違ってくる。カメはまあ許せる。カメ好きの一族、代々カメを飼い、死ぬと土に埋め、甲羅を残すようにしていた、というのがこの話の設定。二人の兄弟もカメを飼っていたが、兄は3年前にワニガメを死なせてしまい、もう飼っていないと言う。弟は息子と二人暮らしだが、入院している息子を残して突然失踪した。その家にカメを世話する為に行ってみると、どうやらそのカメは最近、死んでしまい、代わりに似たカメを購入したものだったことが判る。(これ自身も薄の特別な知識、観察力があって初めて判ること)

ここから兄は3年前に誤って人をひき殺した。その死体を隠すためにワニガメが死んだ、と偽って一族のカメの埋葬場所に埋めた。ところが弟のカメが死んでしまい、それを埋めに行くという。埋葬場所を掘られて死体が出てくることを恐れ、兄がこれらの犯罪を計画した、というもの。実にいろいろな事象を盛り込んで話を複雑にしているが、最後の謎解きでまあ、一応は収まるところに収まる。こんな謎は逆から考えると案外簡単なのは経験上分かっているが、須藤と薄のやりとりも含め、なかなか楽しい。あまりに薄圭子が優秀すぎて、須藤が狂言回し的になっているのが残念。

次の動物はフクロウ、この話の冒頭で須藤は鬼頭管理官(須藤を動物植物係に異動させた上司)から捜査一課への復帰を打診される。須藤が復帰すれば薄は動植物課以外に回す、それが厭なら解雇する、という鬼頭の言葉に、復帰が嬉しいはずの須藤はなぜか悩みながら(なぜかと書いたが、理由は明白)、事件の現場に向かう。

フクロウの話もなかなか面白かった。フクロウの飼育者とその鳴き声でもめていた隣家の主人が殺される。容疑者としてフクロウの飼育者が逮捕され、残されたフクロウの世話をするために彼らが出動する、と言う状況。いつものように現場に対する薄圭子の鋭い観察力から犯人は被害者の妻とフクロウ飼育者の友人であると見抜く。推理と理屈つけはなかなかしっかりとしていたが、ただ、妻と友人が仲良くなったいきさつなどもう少し丁寧に説明した方が良かった気もした。

いずれにしろ、最後に須藤は鬼頭から捜査一課への復帰を内示されるが、それを断る。途中にちゃんと伏線もあり、まあ共感できる選択だった。続くシリーズ2作目が最初に読んだ蜂の話になるが、ここまで推理力の冴えを示し過ぎた(と作家も考えた?)薄は次作ではややコミカルに転換する。それもよし。シリーズ第三作も楽しみ。

 

こんな風に当時書いているが、そのあと、シリーズ全作読み切る。どんどん、薄の実力、人脈の凄さが出てきて印象も少し変わるが、面白かった。期待した?薄と須藤のロマンスのようなものはなく、まあ穏当な展開かな。

これはしばらく前から気になっていた本。兵頭さんは軍学者を自称し、いつもユニークな考えを示してくれて好きな人の一人。この本でも結構ハッというようなアイデアを読むことができた。

尖閣列島を守るための最も簡単な方法、トリップワイヤーについて。

現代社会では大義名分なしに攻撃を仕掛けることはまずできない。だから日本は少数の警戒部隊を尖閣に常駐させるのが一番、というのだ。中古の戦車を砲塔だけ生かして地中に埋めて簡易砲台にする。そこにもし中共が侵入を企てれば、きちんと大砲で反撃する。滅ぼされる可能性もあるが、その時は全世界に侵略者の非を訴えて戦う。そうすればアメリカも迷いなく共同防衛体制に入れる。

誰もいないところに中国漁民団などが上陸して居座り、国民保護の名のもとに中国軍が占拠してしまえば、逆上陸は大変だし、世界もその様子を見よう、となって、下手をすれば竹島のようになってしまう。

トラップワイヤーを仕掛ければ、戦争のセンスのある中共はやってこなくなる、と断言する。確かにそうかも知れないな、と思う。第一、逆上陸を前提の訓練は馬鹿みたいではないか。守る方が有利なのだから、最初からそこにいる方がずっといい。素人でもわかること。

次の驚きは、尖閣列島周辺海域にはそれほど石油は埋蔵されていないということ。天然ガスは少々あっても北海油田のように国を富ますほどの埋蔵量はない、という。もし採算性のあるエリアであればアメリカのメジャーがやってくるはずであり、来ないのだからない、と言われると説得力あり。だから日本も積極的にいかないのかもしれない。そこまでの情報と戦略を日本が持っている、と思いたい。

本当に資源が豊かなのは南沙諸島の先、ボルネオの海域であり、中共もそこを狙っている、と言われればそうかなと。だから日本は中共の侵略の相手になりうるブルネイ、マレーシア、ベトナムなどを戦略的なパートナーとして個別に支援していくべき、としてそのあとの中国撃退の秘策につながるのだ。彼らを一つにまとめるのは、それぞれの国同士も対峙している部分があるので難しい。

三番目の驚きは(ある意味で分かっていたことかもしれないが)、米中にはお互いを核攻撃しない、という密約があるということ。それはニクソン時代になされたという。日本は非核三原則発表などの不適切な対応もあって、アメリカに核の傘を外させる理由を作ってしまった。ただし、その密約では中共は日本を核では脅さない、何となく無言の圧力を浴びせることだけを許している、ということのようだ。日本もそれが分かっているからややのんびり構えているのかもしれない。

そして兵頭さんがいう、核攻撃から逃れる方法は、アメリカは中共が一党独裁から国が乱れて群雄割拠になりそうになった時、自分たちを核攻撃される危険を除くためのプログラムがある、それを使えと言う。一旦急あるとき、特殊部隊が中国全土に散らばる核施設を急襲して核を無力化してしまうよう、準備しているというのだ。だから日本は中共の民主化を支援して国がバラバラになる流れを作ればいい、という。ちょっとギャンブル的だけど面白いかも。

そして次にローテク兵器が中共を滅ぼす、という話題に到る。

中共はある程度豊かになった現代、自国だけで必要な食料、エネルギー、原材料、工業製品を満たすことはできない。また、鉄道など陸上輸送とパイプラインだけで海外からそれらを入手することもできない。海外から船で輸送するしかない、というのが大前提であり、大きなネック。これには良港が不可欠だが、大河からの堆積土によって大陸の東海岸の水深は低く喫水線ギリギリの状況で大船舶も航行している。だから沈底式機雷をばら撒けば中共は動きが取れなくなるという。これが秘策。

一旦、機雷戦を始めると中共も防御のために機雷を撒くようになる。そうすると、戦争中もそうだが、戦後も長くこの機雷が残って中共経済は壊滅してしまう。中共海軍には掃海能力はほとんどないのだから。

この機雷戦を仕掛けるのは、必ずしも日米でなくてもいい。非常に技術的ハードルが低いので(撒くことに関しては)ベトナムやマレーシアなど東南アジアの弱小国でもできることだという。そしてこのような弱小国がやる行動には世界の目も厳しくはなりにくい、と言うことで行動スタートのハードルも低いという。これらを中共には全部わかっているので、戦えない。少なくともこの本で兵頭さんが明らかにしたからみんな分かってしまった、とも言えるし。

でも本の最後で種明かしがあったが、この機雷戦戦法はすでにアメリカが研究済であるというので、みんな知っていることなんだ。アメリカは潜水艦に雷撃させるのさえ無意味、徹底的に機雷戦を仕掛けるべきであった、と判断している。考えてみれば日本こそが旅順港封鎖時の機雷敷設などこの機雷戦でも先駆者だったのだ。今、アイデアが浮かんだのだけど、日本海海戦完勝の真相は対馬海峡に仕掛けた機雷であった、などということはないか。

その次の話は、台湾は本当に日本の味方なのか、と言うこと。台湾が装備する様々な軍備をみても、中共と戦うつもりはない、という。もちろん民間レベルでは親日だが、軍隊、とくに国民党系の軍人は中共とは戦わない。逆によしみを通じていざという時、取り立ててもらおう、というような気持ちの方が多いとか。ちょっと寂しいが、覚悟はしておくべきことだ。兵頭さんは台湾を援助するよりベトナムを援助した方がいいと言う。

そして最後、日本の切り札となる兵器について解説する。

離島の攻防において最も有望なのはヘリコプターであり、日本には優れたヘリコプターが多くある。強襲艦や陸上兵力は役に立ちにくい、という。また日本の飛行艇はオスプレイに勝る能力、活用方法があるという。そして宇宙開発で使っている固体燃料式ロケットはいざという時、弾道ミサイルとして使える、というのは面白い話。それで日本は再び、固体燃料ロケット開発を再開したのかもしれない。

あとがきで兵頭さんがいうのは、核武装は地域紛争を解消しない、と言うこと。インドと中共、インドとパキスタンも紛争はやまず。だから無意味、だと言うが本当にそうかどうか、にわかにはわからない。

こんなことを全て日本の偉い人たちがチャンと考えていて、いざというとき、粛々と実行してくれることを願う。