正直言って太宰治は苦手でじっくり読んだことはないが、太宰作品を「笑える」、「泣ける」という視点で編んで、太宰知らずに太宰を知らせようという趣向のアンソロジー。僕は「眉山」が面白い、と齋藤孝さんの本で紹介されていたのを期待して読んだ。ちなみに、「眉山」は泣ける作品として分類されていた。

「燈籠」は、あまりに悲しい女性のひとり語り。24年間、市井にひっそり、家族と生きてきた女性が学生さんに狂って、彼に似合う海水パンツを出来心で万引きしてしまうという作品。まさにその心は少し病んでいるが、学生にも見放され、世間の好奇の目にさらされ、家族と以前以上に籠ってしまう、家族の中心に灯る電灯を燈籠としたのか。

「黄金風景」は子供のころ実家に奉公していた女中を徹底的にいじめていた太宰が後に作家となり、船橋に棲んだ時、たまたま訪ねてきた警官の妻がその女中だったということを知った時の恐怖を描く。三人の子供を持ち、ちゃんとした家庭を築いた女中に対して今の自分は、と赤面、反省する。しかし、その女中は家族に、実にすばらしい主人の家族だった、と美しく語っていたのだ。太宰自身の自己嫌悪が過剰に働いていたと考えるべきなのだろう。

「眉山」は自然と作家たちの根城になった食べ物屋にいた作家たちにミーハー(と軽く言っていいかどうか)な女給を描く。とにかく作家たちに憧れ、彼らの為なら何でもしてやろうと一生懸命尽くす眉山と彼女を眉山とあだ名してからかいの対象としか見ない作家たちとの交流ともいえない交流。彼女にトイレを我慢させながらサービスさせ、最後のトイレに駆け込むときに味噌を踏んでしまったエピソードが実にうまくて笑ってしまう。基本的にこの話はずっと笑っていて、最後の一頁で眉山が病気だったことが明かされ、それにもかかわらず一生懸命太宰たちに尽くしたその心情が現れて泣ける、流石の太宰たちも店に行けなくなってしまうというラストはありがちだけど秀逸。

「メリイクリスマス」はかつてよくお酒を目当てに通った女性の娘、当時は子供だったが、今は美しい女性と出会った話。母親を話に出しながら、その女性と楽しいひと時を過ごそうとする男性の自然な気持ち。ところが母親の方は広島の原爆で亡くなっていた、と知りシュンとなる。そこにたまたま通りかかったアメリカ兵に隣の酔っ払いが、メリイクリスマスと声を掛ける。なかなか味な話。

笑えるほうの話では「親友交歓」が何とも言えぬ。親友を自称して作家の家に現れた幼馴染は、かつて一度喧嘩したことだけを頼りに好き放題を言い、作家の妻の酌を求め、とっておきのウィスキーを残らず飲んで帰りに最後の一本を土産に所望する。もう太宰はあきれ果て、どうせやられるなら徹底的にやられよう、とでもいう開き直りをもってそれを爽快とまで言う、笑える話ではない気がする。人の弱さをさらけ出す太宰に親近感を持ち、親友と呼ばれる悪友に怒り爆発。それにしてもよくまあ、これだけタップリと親友の悪意を描写できるものだ、このディテイルに感心する。

「美少女」はああ、こんな世界も日本の昔にはあったのだなあ、という田舎の素朴さ、湯けむりの中に立つ美少女の裸体が美しく描かれる。

とにかく太宰の現代性、というか都会人の繊細さが感じられ、これがいまでも太宰が人気な理由なのだ、と初めて納得した。