こんにちは
中澤裕子に並ぶ
ダイエット成功者として語り継がれるであろう
GOU13痩せ気味です。
ライト兄弟は
せっかく空を飛ぶ技術を生みだしたのに
その技術を独り占めしようとし
結果、社会に認めてもらえず
最後は惨めな結末を迎えたと聞きます。
惜しいですね。
しかしながら
歴史上語り継がれる人の多くは
1を100にした人間より
0から1を生みだした人間のような気がします。
前置きに
キチンとリンクしているかは定かではありませんが
今日、私は、このブログ上で
とてつもないことをやってのけます。
何をするかと言いますと。。。
『ウンコ』を神の領域まで持って行きます。
つまり
『神様・仏様・ウンコ様』
にする。ということです。
ウンコをお釈迦様と同じフィールドに立たせる
ということです。
質問・苦情いっさい受け付けません。
全てを受け入れる無心で読んでください。
歴史上の偉人達は
自分の目にしたものに好奇心を持ち
仮説を立て、検証を重ね
1を生みだした。
私にとって『ウンコ』は
幼稚園時代から
好奇心の対象であり
『ウンコ』という言葉をただ単に連呼するだけで
なぜか笑いが止まらない
という現象は何度も経験し
その時の『ウンコ連呼』を家で思い出しては
また一人でニヤニヤしてしまうという
『ウンコ』の持つカリスマ的魅力に取り付かれていたのは
紛れもない事実だ。
だから今、『ウンコ』から『ウンコ様』にするために
全力を尽くそうと思う。
この試みは、もしかしたら
0から1を生み出すことよりも
難しいかもしれない。
『ウンコ』は
イメージにおいては
『汚い・臭い・お腹が痛い』という
負のオーラを発している。
つまりイメージは『ー3』くらいなのだ。
0から1を生み出すことと
ー3を1にすること
どちらのほうが難しいかは
今後、私にとって永遠のテーマになるだろう。
本題に入る。
まず皆様
『ウンコ』を漢字で書けますか??
書けないですよね??
書けるわけないんです。
漢字ないから。
『ウンコ』という言葉は
トイレで『う~ん』と力む様子から
生まれた、いわゆる幼児言葉です。
『うんち』もそう。
『ウンコ』はカタカナで
『うんち』はひらがな
という意味不明のルールは誰が決めたのかはわからないが
個人的には『うんち』のほうが
やわらかくて臭そう
というイメージを持ってることは
どおでもいい。
私はこの
『ウンコには漢字がない」という事実に
神的要素を組み込もうと思う。
そもそも皆、『ウンコ』は
入らないもの(排泄物)
捨てられるものだから
負のイメージを
持っているのではなかろうか。
でも、『ウンコ』には
ウンコなりの使命があるとしたら
それはなんだろう。
きっとそれは
自分の代わりに
自分の歴史を伝えるということだ。
健康診断でも、動物の連鎖の調査でも
必ず『検便』ってあるでしょ。
つまり、『ウンコ』の使命は
ウンコ主の健康状態や
昨日何を食べたのかという歴史を
色や形状・オイニーを持って
伝えるということなのではなかろうか。
そういう使命を持った『ウンコ』を
漢字にするとしたらきっと
『運故』
運・・・運命
故・・・理由
がベストアンサーではないか。
あなたがそうなる運命であった故(理由)
それが『運故』。
運命とは
本来、神のみぞ知ること。
その理由自体が『ウンコ』なのだ。
『ウンコ』はあなたがそうなることを
ずっと知っていたということだ。
こ
これは
なんか凄い。
間違いなくウンコが神の領域に入り始めている。
また
ウンコがしたくなると
必ずといっていいほど
お腹が痛くなる
これもある意味
神が与える試練と同じだ。
痛みをこらえて
放出したときの幸福感。
これに勝るものはそうはない。
『世の中の出来事は全てが必然』
という考えを伝える使命も
『運故』にはあるのかもしれない。
前述のとおり
ウンコ改め『運故』には神的要素が
たくさん含まれていることはよくわかる。
そして『ウンコ』のもつカリスマ性は
とてつもない。
『ウンコ』を連呼するだけで
子供達は笑顔と笑いで包まれる。
心の純粋な子供は
大人のような屈折した目で
『ウンコ』を見ない。
私の子供が
リビングで強烈な一本グソを放出し
それをいとも簡単に手に取り
『なーがそっ』
と一言つぶやき
トイレに向かう。
こんなことは
心の退んだ大人には
まず出来ない行為である。
真っ白な心と
汚れなき純粋な目を持ち合わせた子供は
ウンコの本来持つオーラに
魅せられているのだ。
全てをまとめると
一、人の運命を左右し
二、試練を乗り越えた人に幸福感を与え
三、圧倒的なカリスマ性を持つ
もう私には
ウンコは神にしか見えない。
私は今
自信を持って言いたい。
『神様・仏様・運故様』
と。。。。。。
【結論】
ウンコ味のカレーと
カレー味のウンコはどっちがいい??
ウンコ味のソフトクリームと
バニラ味のウンコはどっちがいい??
この2つの究極の選択は
古くから
老若男女を魅了してならない。
この究極の選択を迫られた時
私はある答えを見つけ出した。
ウンコは
前日食べたものに匂いや味が
近づくことは間違いない。
つまり
答えはこうだ。
前日にカレー食べた時の
ウンコ味のカレーであれば
限りなくカレー味のカレーということ。
前日に牛乳をたくさん飲んだ時の
ウンコ味のソフトクリームクリームは
限りなくバニラ味のソフトクリームということ。
私は
事前準備をしっかりしたあと
ウンコ味のカレーを食べたい。
美味しい美味しい
と言いながら。
サッカー選手を引退後
広告プランナーとして
約5年間、奮闘してまいりました。
それなりに結果も残してきたという自負もあります。
来年は30歳という節目の年を迎えます。
そして僕には
40歳までに自分の会社を立ち上げ
サッカーチームのスポンサーになると同時に
選手達の引退後の受け入れ先企業の一つになり
身体もお金もギリギリの戦いをしているサッカー馬鹿達が
引退後のセカンドキャリアに不安を抱えず
目の前のサッカーに没頭出来る環境を
与えてあげたい
という夢があります。
いつか出来る俺の会社は
悔いのないサッカー人生に満足し
サッカーを常に人生のルーツとし
ビジネスという新たなステージで
今までサッカーに費やしてきた
燃えたぎる炎を持った
元サッカー馬鹿達が
日本を変えるようなスーパービジネスマンに
華麗に変貌を遂げていき
結果サッカー界に恩返しをする
そんな幸せなスパイラルを創り出す
会社であり
いくつになっても
サッカー馬鹿でいられる
集団でいたい。
その夢を叶える為に
もっともっと勉強しなければ。。。
もっともっと真剣に働かなければ。。。
ということで
広告プランナーから
某総合研究所にて
経営コンサルタントに
転職することとなりました。
このタイミングでのこの巡り合わせ
これは間違いなく
何かのご縁だ。
経営者にとって一案大事なものは
間違いなく『情熱』です。
スキルや知識・学歴っちゅうものは
あればあるにこしたことはないのだけれども
そもそも魂のスタンスの部分で『情熱力』というものがなければ
そのスキルや知識はただの飾り物となります。
外見はめちゃくちゃかっこいいベンツやレクサスでも
ガソリンがなければ走りません。
走らない高級車は
子供のオモチャレベルです。
自分が
コンサルタントになることに関して
『経営者になりたい人間が進むべき道は
コンサルタントではありません。
なぜなら、コンサルタントはフレームワーク
がメインで、現場主義ではなくなるからです。
現場の感覚が第一です。』
とよくお叱りを受けますが
そんなことは重々承知しております。
情熱が伴わないフレームワークは
確かにガソリンのない高級車です。
でも
自分には『情熱力』はもうあると思っています。
ガソリンはあるんですわ。
今ほしいのは、いい車体です。
情熱と気合だけで戦えるほど
ビジネスの世界は甘くないと思っています。
サッカー選手がなぜ
トレーニングとは別に
自主的に筋トレをするのでしょうか?
理由は2つあります。
一つは単純に、サッカーに必要な筋力を鍛えている。
二つ目が重要。
二つ目は
いざという時に自信を持てるために
心を鍛えているのです。
『自分はやることやってきた』という自信がほしいのです。
筋力はトレーニングすれば
鏡ですぐに効果を実感できます。
その鍛えた身体を見て
心の栄養とし
自信を持って勝負に臨む。
自分マインドコントロールです。
サッカーは
筋肉自慢コンテストではないので
ボディビルダーの筋トレとは
また別のものです。
ビジネスも同じ。
周りの人にどんなにいいことを言われようとも
自分の中に『やってきた感』がなければ
いざという時に
不安という魔物が襲ってきます。
自分に自信が持てなくなると
一気に負のスパイラルが生まれます。
ポジティブシンキングを維持するために
日々のトレーニングは大事なのです。
そのトレーニングの質が高ければ
もっと大きな自信が生まれます。
もっと大きな自信は
もっと大きな幸せのスパイラルを生みだします。
はぁ~~~
学びたいことがたくさんあるで。
経営戦略
経営戦術
マーケティング
人材ではなく
人財採用
人財育成
人事評価制度(モチベーションUP方法)
出来る奴の習慣
思考を学ぶ
などなどなどなどなどなどなどなど
いつか夢を叶えるその日まで
30代は死ぬほど働くで~!!!!!!!
【結論】
夢追い人を助ける仕事をすることを夢とする
聞こえがいいぜ
最近真面目なブログばかり書いている気がする
つまらないな
それだけでは
面白みのない奴になっちゃう
次は
最低な内容のブログを書こっと
広告プランナーとして
約5年間、奮闘してまいりました。
それなりに結果も残してきたという自負もあります。
来年は30歳という節目の年を迎えます。
そして僕には
40歳までに自分の会社を立ち上げ
サッカーチームのスポンサーになると同時に
選手達の引退後の受け入れ先企業の一つになり
身体もお金もギリギリの戦いをしているサッカー馬鹿達が
引退後のセカンドキャリアに不安を抱えず
目の前のサッカーに没頭出来る環境を
与えてあげたい
という夢があります。
いつか出来る俺の会社は
悔いのないサッカー人生に満足し
サッカーを常に人生のルーツとし
ビジネスという新たなステージで
今までサッカーに費やしてきた
燃えたぎる炎を持った
元サッカー馬鹿達が
日本を変えるようなスーパービジネスマンに
華麗に変貌を遂げていき
結果サッカー界に恩返しをする
そんな幸せなスパイラルを創り出す
会社であり
いくつになっても
サッカー馬鹿でいられる
集団でいたい。
その夢を叶える為に
もっともっと勉強しなければ。。。
もっともっと真剣に働かなければ。。。
ということで
広告プランナーから
某総合研究所にて
経営コンサルタントに
転職することとなりました。
このタイミングでのこの巡り合わせ
これは間違いなく
何かのご縁だ。
経営者にとって一案大事なものは
間違いなく『情熱』です。
スキルや知識・学歴っちゅうものは
あればあるにこしたことはないのだけれども
そもそも魂のスタンスの部分で『情熱力』というものがなければ
そのスキルや知識はただの飾り物となります。
外見はめちゃくちゃかっこいいベンツやレクサスでも
ガソリンがなければ走りません。
走らない高級車は
子供のオモチャレベルです。
自分が
コンサルタントになることに関して
『経営者になりたい人間が進むべき道は
コンサルタントではありません。
なぜなら、コンサルタントはフレームワーク
がメインで、現場主義ではなくなるからです。
現場の感覚が第一です。』
とよくお叱りを受けますが
そんなことは重々承知しております。
情熱が伴わないフレームワークは
確かにガソリンのない高級車です。
でも
自分には『情熱力』はもうあると思っています。
ガソリンはあるんですわ。
今ほしいのは、いい車体です。
情熱と気合だけで戦えるほど
ビジネスの世界は甘くないと思っています。
サッカー選手がなぜ
トレーニングとは別に
自主的に筋トレをするのでしょうか?
理由は2つあります。
一つは単純に、サッカーに必要な筋力を鍛えている。
二つ目が重要。
二つ目は
いざという時に自信を持てるために
心を鍛えているのです。
『自分はやることやってきた』という自信がほしいのです。
筋力はトレーニングすれば
鏡ですぐに効果を実感できます。
その鍛えた身体を見て
心の栄養とし
自信を持って勝負に臨む。
自分マインドコントロールです。
サッカーは
筋肉自慢コンテストではないので
ボディビルダーの筋トレとは
また別のものです。
ビジネスも同じ。
周りの人にどんなにいいことを言われようとも
自分の中に『やってきた感』がなければ
いざという時に
不安という魔物が襲ってきます。
自分に自信が持てなくなると
一気に負のスパイラルが生まれます。
ポジティブシンキングを維持するために
日々のトレーニングは大事なのです。
そのトレーニングの質が高ければ
もっと大きな自信が生まれます。
もっと大きな自信は
もっと大きな幸せのスパイラルを生みだします。
はぁ~~~
学びたいことがたくさんあるで。
経営戦略
経営戦術
マーケティング
人材ではなく
人財採用
人財育成
人事評価制度(モチベーションUP方法)
出来る奴の習慣
思考を学ぶ
などなどなどなどなどなどなどなど
いつか夢を叶えるその日まで
30代は死ぬほど働くで~!!!!!!!
【結論】
夢追い人を助ける仕事をすることを夢とする
聞こえがいいぜ
最近真面目なブログばかり書いている気がする
つまらないな
それだけでは
面白みのない奴になっちゃう
次は
最低な内容のブログを書こっと
今日はとても辛い出来事がありましたが
神がくれた試練ということで
とても前向きな自分がいることに
己の成長を喜んでいます
人生は山あり谷あり
苦しみの向こうに
喜びがあることは
間違いないと思っています
苦しみWelcomeです
突然ですが
私の尊敬している人は
父と兄です。
母は尊敬していません。
表現が違いますね。
母親と言う存在は
尊敬するとかしないとか
そういう対象にないということです。
母親という生き物は
子供を危険にさらすことはしません。
どんな理由があろうとも
子供に苦労をさせまいとする生き物です。
『試練を与える』という行為をあまり好まない気がします。
つまり、母親にとっては子供が何歳になっても
ずっと『子供』という考え方から
いい意味で脱却できないのです。
逆に父親(男親)はある歳を過ぎると
息子を自分と同じ一人の男として見ます。
兄貴もそう。
『自分の子供』『自分の弟』というより
『一人の男』という見方に切り替えてくれるんですね。
『同じ父親』という見方をしてくれる。
一人の男として見てくれるので
もちろん、俺に試練を与えたりすることに対して
いい意味でドライでいてくれます。
辛い思いをしてでも
その壁を乗り越える事が
男にとって必要なことだ
結果、それが家族を守る事だ
と考えるのですね。
高校時代
父親がボソッと言った言葉を
今、大切にしています。
その言葉は
『子供のやりたい事を、親の理由で我慢させる事が、親にとっては一番辛いこと』
この言葉が
今、父親としての自分の根幹にあります。
兄貴からもらった言葉は
俺がサッカーを引退して就職先を
探していた時のこと
『今のお前が大手行ってなにすんの??
試合に出れる会社を選べよ』
その通りだったよ。
シンプルで迷いが吹っ切れた瞬間だったね。
母親のくれた言葉で大切にしている言葉は二つあります。
サッカー選手時代に新潟にいた自分に
電話でかけてくれた言葉です。
『若いのにそんな苦労する道を選ばなくてもいいのに。
他の大学生はもっと楽しく遊んでるよ』
もう一つは
『あなたはチュン(愛犬)が、一人で日本海の荒波を泳ぎたいと言っても
泳がせないでしょ!!?それが親心ってものよ』
母親らしい温かい言葉だ。
大人になると
様々なシーンで
色々な情報を得ることが出来る
でも結局
その情報を
自分の中に取り込むか
排除するかの判断基準は
常に家族にあるような気がする
『三つ子の魂百まで』
使い方は様々だけど
結局そういうことだと思う
今日この頃です
【結論】
父親は尊敬し
追いつき
追い越すもの
母親は
一生大事にするもの
神がくれた試練ということで
とても前向きな自分がいることに
己の成長を喜んでいます
人生は山あり谷あり
苦しみの向こうに
喜びがあることは
間違いないと思っています
苦しみWelcomeです
突然ですが
私の尊敬している人は
父と兄です。
母は尊敬していません。
表現が違いますね。
母親と言う存在は
尊敬するとかしないとか
そういう対象にないということです。
母親という生き物は
子供を危険にさらすことはしません。
どんな理由があろうとも
子供に苦労をさせまいとする生き物です。
『試練を与える』という行為をあまり好まない気がします。
つまり、母親にとっては子供が何歳になっても
ずっと『子供』という考え方から
いい意味で脱却できないのです。
逆に父親(男親)はある歳を過ぎると
息子を自分と同じ一人の男として見ます。
兄貴もそう。
『自分の子供』『自分の弟』というより
『一人の男』という見方に切り替えてくれるんですね。
『同じ父親』という見方をしてくれる。
一人の男として見てくれるので
もちろん、俺に試練を与えたりすることに対して
いい意味でドライでいてくれます。
辛い思いをしてでも
その壁を乗り越える事が
男にとって必要なことだ
結果、それが家族を守る事だ
と考えるのですね。
高校時代
父親がボソッと言った言葉を
今、大切にしています。
その言葉は
『子供のやりたい事を、親の理由で我慢させる事が、親にとっては一番辛いこと』
この言葉が
今、父親としての自分の根幹にあります。
兄貴からもらった言葉は
俺がサッカーを引退して就職先を
探していた時のこと
『今のお前が大手行ってなにすんの??
試合に出れる会社を選べよ』
その通りだったよ。
シンプルで迷いが吹っ切れた瞬間だったね。
母親のくれた言葉で大切にしている言葉は二つあります。
サッカー選手時代に新潟にいた自分に
電話でかけてくれた言葉です。
『若いのにそんな苦労する道を選ばなくてもいいのに。
他の大学生はもっと楽しく遊んでるよ』
もう一つは
『あなたはチュン(愛犬)が、一人で日本海の荒波を泳ぎたいと言っても
泳がせないでしょ!!?それが親心ってものよ』
母親らしい温かい言葉だ。
大人になると
様々なシーンで
色々な情報を得ることが出来る
でも結局
その情報を
自分の中に取り込むか
排除するかの判断基準は
常に家族にあるような気がする
『三つ子の魂百まで』
使い方は様々だけど
結局そういうことだと思う
今日この頃です
【結論】
父親は尊敬し
追いつき
追い越すもの
母親は
一生大事にするもの