先月、嘔吐下痢して発熱して以来、
私は、易経の「霜を踏んで堅氷至る」という言葉をよく引用しますが、うっかり雪道に入ってしまっても、スリップしない段階でUターンして安全な道に戻れば良いだけの話で、「これぐらいの雪道なら大丈夫」と甘く見てそのまま進んでしまうと、立ち往生してしまって、最悪の場合は凍死してしまう、という意味の言葉です。
自分がやっていることが間違っていることに、やり直しがきく段階で気づいて修正すれば、たいした問題にはならないのですが、「これぐらいたいしたことない」とたかをくくって、修正を怠ると、取り返しがつかない事態に陥ってしまう、ということですね。
私の夫は、なかなか自分の間違いを認めることも、受け入れて修正することもできない人間で、全部私に責任を丸投げして、何事もなかったように口を拭って涼しい顔をしている人間でした。
夫は戦国時代の前世でも、そういう人間で、私が夫の尻拭いばかりしていたので、挙げ句の果てには、私が心が折れてフォローできなくなってしまい、そのせいで夫の前世は悲惨なことになってしまったので、現世では、夫婦になって、戦国時代の前世ではできなかった、「私に感謝して尽くす」ということが、夫の課題だと、Thambaさんが対面セッションで教えてくださいました。
そのお陰で、夫も何とか自分の非を認めて反省することができるようになってきましたが。
夫のこういう傾向は、実は戦国時代の前世だけでなくて、舅も同じようなことをしているのを見て育ったせいだというのもある、とも思っています。
それはともかくとして。
自分の間違いを認めることができなくて、他人のせいにするということは、私の両親も夫や舅と同じなのですが、両親の場合は、更に社会的地位だとか名誉とかいう類いのものに対する執着や欲求が強すぎる、という問題があるんだな、ということも最近になってようやく気づくことができるようになりました。
私も今までの人生経験で、自分の間違いと向き合うことや受け入れて修正するということは、非常に苦痛を伴うことがわかっていますが。
けれども、勇気を出してそれをやってしまった後に、ちゃんと乗り越えた、という達成感や安堵感がある、ということを経験してしまうと、自分の間違いと向き合ったり受け入れて修正する時の苦痛が、それをやらなくて後で取り返しがつかないことになってしまった時のダメージに比べると、どうということはない、ということもわかるようになりました。
ということは、夫も最近になって、やっと自分の非を認めて反省したら、トラブルのダメージを最小限で済ませることができるようになったことを経験したお陰で、自分の非を認めることができるようになった、ということでもあるんですね。
実は昨日、息子の学校で進路関係の説明会があることをうっかり忘れていまして、気がついた時には終わっている時間になっていました。
その原因は、私も夫もスケジュールの確認を怠ってしまったことなんですが。
私は、最近、両親との関係のことで煩わされてしまっていたことで、息子のことに対して、夏休み目前だということもあって、気が緩んでしまっていたな、と反省しました。
精神的な疲れもあると思うので、少し休みます。
それから、夫の方が録画したテレビ番組を見る、たまっている録画を消化することにばかりかまけてしまって、それが優先順位の最上位になってしまっているので、それはおかしい、と以前から注意していたのですが、なかなか聞き入れられなかったので、反省して改める機会だと思って注意しました。
テレビ見ていて会社に遅刻することもあったので、今まで改められなかったことの方がおかしいと思うので、この機会に徹底的に反省させよう、とも思いました。
夫のこういう自分本位なところが、お金のダメージにまで発展してきていたことを思うと、今回の機会に、テレビを見ることが生活の最優先事項になってしまっている、ということを徹底的に改善すれば、お金の問題も改善するようになるんじゃないかとも思います。
夫はこうやってまだ、改善することができるうちに、自分の間違いを認めて反省し、改めるということができるようになってきましたが。
両親にしても、舅にしても、失敗を回避する生き方をしてきた人間は、反省することもできないし、取り返しがつかないことになって後悔したまま人生を終えることになる、ということなんだな、と思いました。
私が夫と結婚した時が、もしかすると舅が自分の生き方や考え方の間違いに気づいて改める最後のチャンスだったのかもしれませんが、それをせずに私に八つ当たりするだけだったので、姑が認知症になって亡くなったことで、後悔先に立たず、ということを痛感させられているんだろうな、と思います。
その一方で、両親の社会的地位や名誉に対する執着や欲求の強さは、かなり根深いカルマだと感じるので、源満仲よりももっと古い時代、やっぱり薬子の変や平安遷都の時代について、もっと追究する必要がありそうです。