先日、カムカムエヴリバディを見ていた時の話です。

稔さんが学徒出陣で徴兵され、戦場に送られて(恐らく特攻させられたのではないかと思われ)戦死しましたが、戦後の日本の現状、特に政財界のトップが自己の利益しか眼中になく、他人を使い捨ての道具のようにしか考えないエゴイストの集団になってしまったのは、戦時中に大学で社会を担う人材として教育を受けた人々が、戦争で命を落としてしまったからだと言われています。

働き盛りの成人男性が戦場に駆り出され、国内に残っているのは年寄りと女子どもばかり、という状況は、まさに戊辰戦争の時の会津藩と全く同じなのですが。

夫が、第二次世界大戦の末期の日本軍や日本政府首脳は精神論でアメリカや中国に勝てると国民を鼓舞したと言っていましたが。

精神論で勝てたら、会津藩だって薩長に負けてなかったわ!!(ノ`Д´)ノ彡┻━┻

勝てば官軍とほざいてた連中のどの口が言うか!!ヽ(#゚Д゚)ノ

と、思わず口走ってしまいました(^∀^;)

↑の記事にも書きましたが、私の会津藩士の過去生は江戸時代初期の頃なようで、幕末ではないのですが(;^ω^)

…しかも、高祖父は長州人だし、私の幕末の前世は英国留学直前で病死して長州ファイブになり損なった長州藩士だし( ´;゚;∀;゚;)

でも、時々↑のようなことを口走ってしまったり、「桜華に舞え」を観た時に号泣したこともあるので、 


幕末の会津藩士の過去生もあるかもしれません(^∀^;)

私の会津藩士ガイドの言い種ではありませんが、薩長が勝って官軍になりおおせたのは、英国と結託して手に入れたアームストロング砲だとか最新鋭兵器の性能のお陰であって、会津藩がモチベーションで負けていた訳ではありません。

物量作戦で会津藩や長岡藩に勝って「勝てば官軍」とほざいてた癖に、物量作戦ではとても勝ち目がないアメリカ相手に精神論で勝てるなんて、まさか本気で思ってた訳じゃないよね?

日露戦争でロシアに勝てたのは、実は革命というかボリシェビキのアシストがあったお陰だったりするってこと、もしかして知らなかったの?

馬鹿なの?

…と、後の時代になったら色々好き勝手なこと言えますけれども。


という記事や「龍馬暗殺の謎」 

という記事に書きましたが、豊臣秀吉や明治維新の原動力となった薩長土肥の志士達が下級武士や郷士だったり農民出身だったりしたことから欧米の思惑にあっさり乗せられてしまったから、そういうことが起こってしまったということは間違いないんでしょうね。


その辺のことについても色々書きたいことはたくさんあるのですが、きりがないので、またの機会に記事にすることにして、今回の記事の要点は、薩長というか明治政府=敗戦までの日本軍&政府首脳の戊辰戦争の時のカルマが、第二次世界大戦でブーメランになって返ってきた、という話でした(^∀^;)