「浜田桂子・いわむらかずお絵本原画展、山あげ祭(那須)」旅行 その2 | 後藤 仁(GOTO JIN)の日本画・絵本便り

後藤 仁(GOTO JIN)の日本画・絵本便り

後藤仁ブログ2~絵師(日本画家・絵本画家、天井画・金唐革紙)後藤仁の日本画・絵本・展覧会便り。東京藝大日本画卒,後藤純男門下。「アジア/日本の美人画」をテーマに描く。東京藝大,東京造形大講師。金唐革紙製作技術保持。日本美術家連盟,絵本学会,日中文化交流協会会員。

 7月24日。日本児童出版美術家連盟(童美連)の有志による、「浜田桂子・いわむらかずお絵本原画展」(いわむらかずお絵本の丘美術館)と「山あげ祭」への旅行2日目です。今日は那須烏山市の「山あげ祭」を見物します。
 この祭りは以前テレビで見た事があり、一度は実物を拝見してみたいと考えていました。私の伯父・後藤大秀は祭り(大垣祭・大津祭・名古屋まつり・名古屋市筒井町天王祭 他多数)の山車からくりを復元制作している「からくり人形師」であり、また元来私は伝統文化好きという事もあり、祭りにも関心が高いのです。
 
 朝、6時過ぎに目が覚めた私は、「ホテル美玉の湯」の温泉に浸かって気を引き締めました。皆さんで朝食を食べて、8時半頃出発です。宿の車で、那須烏山市の祭り会場まで送っていただきました。助かりました、感謝いたします。
 会場に着くと、午前9時からの第1回公演が既に始まっていました。演目は「将門 まさかど (忍夜恋曲者 しのびよるこいはくせもの)」です。平 将門滅亡後、大宅太郎光國(おおやのたろうみつくに)が将門一派の残党狩りで、ガマの妖術を使う絶世の美女と戦うというストーリーです。後半の、美女が滝夜叉姫(たきやしゃひめ)の正体を現す辺りから見ましたが、よく稽古された役者と生演奏の常磐津が見事に調和した、素晴らしい舞台です。最後に、風景が描かれた背景の山(前山・中山・大山の3枚)が滝の図から雷の図に早変わりして、滝夜叉姫が天に昇り、巨大ガマが現われるという大仕掛けがあります。私は夢中でスケッチしたり写真に撮ったりしていました。

山あげ祭
山あげ祭(那須烏山市) 「将門 まさかど (忍夜恋曲者 しのびよるこいはくせもの)」


 演目が終わると、山車が別の町内へ移動して行きます。私は山車を追いかけ、先頭や側面からスケッチしたり写真を撮ったりと、走り回っていました。祭りが面白くて仕方がないのです。取材旅行では全て一人で行わないといけないので、スケッチしながら、ほぼ同時に写真を撮影するという芸当が出来る様に鍛えられています。時には、ここにビデオが加わる場合があるので大変です。まるで取り憑かれた様に奇術師の如く素早く動作するので、他人から見ると確かに変人そのものでしょうが、私は取材中は一切気にしません。取材には常に全力を投入します・・・と言っても今回は他の方々もいますので、7分目の取材に抑えました。かつて、「無限の体力を持つ超人」「ほどほどという事を知らない変人」等と揶揄された私も、10年程前にひどいぎっくり腰をやってからは、随分と人並みに落ち着いて来たものです。たぶん
今回の祭りの模様も、良い日本画作品になる事でしょう。

山あげ祭
祭り見学の園児に手を振る、池田あきこさん、浜田桂子さん、古川陽子さん、高木さんごさん(左から)。


山あげ祭
山あげ祭(那須烏山市) 山車の移動。


山あげ祭
山あげ祭(那須烏山市) 山車の移動、園児も見守ります。


 別の町内で11時30分からの第2回公演が始まりました。演目は同じく「将門」です。今度は桟敷席を予約して、座って最初から拝見しました。椅子に腰かけていると役者の足下が見えないのが残念ですが、じっくりと観察出来ました。最後に滝夜叉姫が天に昇る所も背景まで良く見通せました。
 この日はとても暑い日差しでした。暑さには比較的強い私は全く問題ありませんが、年配の方等は熱中症への注意が必要です。演目の最後近く、池田あきこさんが仕事の都合で先に帰られました。池田さんは、本当にバイタリティーにあふれた元気な方です。この後、スペインへ1か月半の旅に出かけられるそうです。

山あげ祭
山あげ祭(那須烏山市) 「将門 まさかど (忍夜恋曲者 しのびよるこいはくせもの)」 ガマの登場。


 祭り見物が終わるとタクシーで移動して、昼食は「手打ちそば処 はん田」で美味しいそばを食べました。ここで、用があるとかで浜田桂子さんと小泉るみ子さんが先に帰られ、残った高木さんごさんと古川陽子さんと私の3人で、「観光やな」を見に行きました。小泉るみ子さんが少々疲れ気味だったのが気がかりでした・・・。
 私の想像では、「やな」にアユなんかが掛かって、子供達がワイワイ魚を獲っている楽しい光景が浮かんでいました。歩いて20分余り、ようやく着いたと思ったら、「やな」はどこにもありません。仕方なくタクシーを呼ぶと、その奥の別の「やな」へ向かいました。到着すると「やな」はあるのですが、近くまで立ち入れなくなっていました。廃船やゴミが引っ掛かって、「やな」も壊れかけています。後で知ったのですが、数日前に来た台風で「やな」が流されてしまったそうです。この虚しい光景を見ながら、高木さんが、「これはこれで絵になるよな・・・。」とつぶやいていました。その後、「やな」の付近にある、ほとんど人がいない薄暗くだだっ広い食堂で昼ビールをマッタリと飲みながら、高木さんが、「俺、こういう感じも嫌いじゃないのね・・・。」とつぶやいていました。薄暗い食堂の奥の壁に、さかなクンの直筆イラストがポツンと飾ってあるのも、また寂しさをかもし出しています。旅にはハプニングがつきものです、こんなマッタリした終わり方もまた一興です。私も高木さんの意見に賛成。 ('ω')ノ

 その後、JR烏山駅から電車に乗り、宇都宮駅から新幹線で上野駅まで帰りました。私にとって久しぶりの大人数での電車旅であり、また新たに加わった童美連(日本児童出版美術家連盟)という団体の先輩方とともに楽しい旅を経験出来た事は、今後、絵本画家としても歩んでいく上で、大いに意義のある旅になったと思います。それにしても今の時代、大多数の日本画家より、絵本画家の方が、よっぽど「絵描き」らしいと改めて思う次第です。また機会があったら、旅を続けたいものです。

  日本画家・絵本画家 後藤 仁