寒い夜
それは、寒い夜だった。
何の前触れもなく、
目の前の闇が避け、
彼が現れた。
僕らはもうおしまいだ。
ステルス戦闘機や、
UAVや、
戦車や、
ついには核弾頭でさえも、
彼を排除できなかった。
それは、寒い夜だった。
今日は?
2012年のX月X日。
寒い夜だった。
そう、
寒い夜さ。
何の前触れもなく、
目の前の闇が避け、
彼が現れた。
僕らはもうおしまいだ。
ステルス戦闘機や、
UAVや、
戦車や、
ついには核弾頭でさえも、
彼を排除できなかった。
それは、寒い夜だった。
今日は?
2012年のX月X日。
寒い夜だった。
そう、
寒い夜さ。
職場での、会話にならない会話
私は休憩を済ませ、トイレへ入った。
年配の同僚がいて、私と並んで用をたすかたちとなった。
私は微かな気まずさを感じ、何か話題はないかと考えた。
私は口を開く。
「いやあ、外は寒いですねえ」
それを受け、年配の同僚はこう答える。
「中からきたから、わかんねえ」
私は何と言ってよいかわからなかった。
彼の言っている事は正論だった。
温度管理された部屋からきたのである。
当然の事を言っている。
外のことはわからないはずだ。
私は後悔した。
ここの職場で、まともに会話できる人はみな辞めていってしまった。
この職場に話し相手はいなかった。
たまにしゃべると、こんなことになる。
アイアンマウンテン
彼はアイアンマウンテンという映画が好きだと言った。
わたしはその映画を知らなかったが、あとでその映画のDVDを購入し(レンタルビデオ店にはなかった)観てみると、なぜ彼がこの映画を愛していたのかが良くわかった。
その映画は頭の薄くなり始めたイタリア系アメリカ人が演じる、癌に侵された売れないコメディアンと、
日系の娼婦とのロードムービーである。
製作されたアメリカ本国では、大コケしたが、一部の映画ファンには熱心な支持者がいるという。
それを裏付ける証拠が、
伝説が、
この映画にはあった。
アメリカのカナダ国境近くにある廃業した小さなドライブインシアターにそれは存在する。スクリーンを前にした左側後方に、朽ち果てようとしている一台の白い大型のバンがあった。
その錆かけた水垢まみれのボディー一面に、
劇中で、主役二人が交わす、甘い台詞が一言一句、
油性のマジックで書き写されている。
この映画のDVD、Blu-ray版には、このドライブインシアターが紹介され、
映画のセリフと、車体の文字を比較している。
不思議なことに、一番最後のセリフだけが、実際の映画とは異なる。
映画の中の台詞では、
じゃあ、先にいくよ。
分かったわ。
であるが、
バンに書かれた文字は、こうだ。
じゃあ、先にいくよ。
わたしが先よ。
であった。
DVD版に収められた、主演俳優と監督とのコメンタリーで、
監督はこんな風に言っている。
こっちの方がいいね、と。
この映画は、
当時、このドライブインシアターで、
連日連夜、放映されていたのだろうか?
彼がこの映画を愛したように、
これを書いた人間は、この映画を愛していたのだろうか?
本当につまらないダジャレやギャグで全然笑えないんだけれど、
彼女はいつも大爆笑なんだよな。
まあ、英語があまりわからないから、彼の顔が可笑しかったんだろうね。
彼がアイアンマウンテンについて語ってくれた事だ。
わたしは彼のこと、
この映画の事を思い出し、
涙が止まらなくなった。
暖かい気持ちに包まれ、
暖かい涙を流し、
幸福感に包まれていた。
しかし、
突然、
わたしの頭の中にある疑問が湧き上がった。
わたしはこの映画を思い出し、また、彼のことを思い出し号泣しているのだが、
この映画のストーリーも、彼のこともなにひとつ思い出せないのだった。
映画の、どの部分が感動的だったのだろうか?
相手役の女優は?
そもそも、主演は誰?
彼と何処で知り合ったのか?
彼の仕事は?
わたしは混乱した。
これはいったい、何なの?
目覚めると、目尻から流れ出た涙のあとが乾燥し、
ナメクジが這った跡のようになっていた。
「私」は洗面所で鏡を見た。
目が赤かった。
涙は本物だったのだろう。
歯を磨き、
コーヒーを沸かし、
コンピューターを起動する。
検索エンジンに、
アイアンマウンテンと入力し、リターンキーを押す。
なんてこと。
「私」は一瞬凝固するが、その検索結果に納得する。
答えは得られた。
いつだってそうだ。
どんなつまらない事でも、
必ず意味があって、
必ず答えが用意されている。
わたしはその映画を知らなかったが、あとでその映画のDVDを購入し(レンタルビデオ店にはなかった)観てみると、なぜ彼がこの映画を愛していたのかが良くわかった。
その映画は頭の薄くなり始めたイタリア系アメリカ人が演じる、癌に侵された売れないコメディアンと、
日系の娼婦とのロードムービーである。
製作されたアメリカ本国では、大コケしたが、一部の映画ファンには熱心な支持者がいるという。
それを裏付ける証拠が、
伝説が、
この映画にはあった。
アメリカのカナダ国境近くにある廃業した小さなドライブインシアターにそれは存在する。スクリーンを前にした左側後方に、朽ち果てようとしている一台の白い大型のバンがあった。
その錆かけた水垢まみれのボディー一面に、
劇中で、主役二人が交わす、甘い台詞が一言一句、
油性のマジックで書き写されている。
この映画のDVD、Blu-ray版には、このドライブインシアターが紹介され、
映画のセリフと、車体の文字を比較している。
不思議なことに、一番最後のセリフだけが、実際の映画とは異なる。
映画の中の台詞では、
じゃあ、先にいくよ。
分かったわ。
であるが、
バンに書かれた文字は、こうだ。
じゃあ、先にいくよ。
わたしが先よ。
であった。
DVD版に収められた、主演俳優と監督とのコメンタリーで、
監督はこんな風に言っている。
こっちの方がいいね、と。
この映画は、
当時、このドライブインシアターで、
連日連夜、放映されていたのだろうか?
彼がこの映画を愛したように、
これを書いた人間は、この映画を愛していたのだろうか?
本当につまらないダジャレやギャグで全然笑えないんだけれど、
彼女はいつも大爆笑なんだよな。
まあ、英語があまりわからないから、彼の顔が可笑しかったんだろうね。
彼がアイアンマウンテンについて語ってくれた事だ。
わたしは彼のこと、
この映画の事を思い出し、
涙が止まらなくなった。
暖かい気持ちに包まれ、
暖かい涙を流し、
幸福感に包まれていた。
しかし、
突然、
わたしの頭の中にある疑問が湧き上がった。
わたしはこの映画を思い出し、また、彼のことを思い出し号泣しているのだが、
この映画のストーリーも、彼のこともなにひとつ思い出せないのだった。
映画の、どの部分が感動的だったのだろうか?
相手役の女優は?
そもそも、主演は誰?
彼と何処で知り合ったのか?
彼の仕事は?
わたしは混乱した。
これはいったい、何なの?
目覚めると、目尻から流れ出た涙のあとが乾燥し、
ナメクジが這った跡のようになっていた。
「私」は洗面所で鏡を見た。
目が赤かった。
涙は本物だったのだろう。
歯を磨き、
コーヒーを沸かし、
コンピューターを起動する。
検索エンジンに、
アイアンマウンテンと入力し、リターンキーを押す。
なんてこと。
「私」は一瞬凝固するが、その検索結果に納得する。
答えは得られた。
いつだってそうだ。
どんなつまらない事でも、
必ず意味があって、
必ず答えが用意されている。