こんにちはナカジーです。
久しぶりの日曜日の投稿です。
ちなみに今から地元の”佐奈川”沿いを15㎞ほどランニングして、そして夜はここのところ楽しみにしている「麒麟がくる」の最終回の一話前の放送を観る予定です。
今年の大河ドラマは新型コロナウイルスの影響で撮影がやむなく中断して理由で、最終回放送日が例年の年末ではなく、2月の第一週にまで持ち越してしまいましたが、物語が後半になるにつれ、ボク的には従来の大河ドラマを遥かに上回る盛り上がりを感じています。
歴史上では天正10年(1582年)6月2日に明智光秀が謀反を起こし、本能寺にて織田信長が討たれ、そのわずか10日後に「山崎の戦い」で羽柴秀吉に敗れ、明智光秀は戦死するという結末は決まっているのですが、そこに持っていくまでの毎回毎回の話の動機づけの展開がとにかく絶妙です。
もともとは戦国の世を終わらせ、この世から争いを無くすというのが信長も光秀も共通していたのが、権力を手に入れれば入れるほど信長は傲慢になり、人の話を聞くどころか、気にいらない人間や勢力はただちに退けたり、殺してしまったりと残虐・非道の限りを尽くすようになってゆきます。
例えば、将軍 足利義昭を京から排除したり、比叡山を焼き払い、女・子どもまで皆殺しにしたり、かつての仲間の松永久秀を葬り、盟友 徳川家康に妻子の殺害指示を下したり、ついには時の天皇の譲位まで強引に進めようとします。
皮肉なことにそのすべての人たちが、光秀に「信長を自制させるのはあなたしかいない、何とかしてくれ」と相談に来るのですが、ついには光秀の話にも信長は耳を貸そうとしなくなり、”この世の争いをなくす「麒麟がくる」”どころか、増々殺伐とした世界の方向に向かうことが必至となります。(まさに魔王 信長)
この信長のエスカレートしてゆく”狂気”と、礼や義理・常識・過去からの通念を重んじる光秀の”正義”とのギャップが一話ごとにかい離してゆく様がとてもスリリングです。
今までの大河ドラマは一話一話が歴史上の出来事の紹介が中心だったのが、今回の「麒麟がくる」では主要人物の心理描写がすごいし、俳優の演技が本当に上手いし、さらに破局にむかうような音楽がそのシーンを盛り上げます。
まるで物語がエンディング前に壊れてしまいそうな緊迫感。。。
現代社会の多くの奢れる者へのメッセージのような印象さえ受けます。
それと佐々木蔵之介演じる羽柴秀吉もとにかくイヤらしいなぁ~。(演技うまい)
こういうヤツも身近にいますよね
いずれにしても残すところ今日の放送を含めてわずか2回ですが、最後まで「麒麟がくる」を見届けたいと思います。