『グレンスフォッシュ』の斧1本。今ある薪は全て『グレンス』のおかげ。

良く働いてくれて手に馴染んできているので、これからもお世話になります。


そうは言っても、木の繊維が複雑に絡まる節、二股の手に負えない薪も徐々に増えて来た。
割れない薪程気分の悪い物も無く、空しく跳ね返される感触が残った手で飲む、ビールはすこぶるまずい。


かと言ってチェーンソーでぶった切ったり、ハンマー的斧でぶち割る荒らっぽさも何か頂けない。

『スマートさに欠けるのだ。』などとホザキつつ、グレンスと性格の異なる斧を物色して数ヶ月。

やっと見つかった助っ人は何故かやっぱりスウェーデン製の『フルターフォッシュ』。


斧と薪と熾きの日々


『グレンス』は鋭い鋭角に研ぎ澄まされた分厚いヘッドで繊維を断ち切る様に割り、とにかくズカズカと食込んでくれる。



斧と薪と熾きの日々

助っ人の『フルターフォッシュ』は2.5kgのヘッドを持ち『グレンス』より1.0Kg重く、刃の幅は2/3程で振り下ろす重力エネルギーは『グレンス』よりはるかに強力になっている。


更に刃の膨らみが計算されており、薪との摩擦を面から線に変える賢いデザイン。



斧と薪と熾きの日々

斧と薪と熾きの日々

『グレンス』を振り下ろす事数十回、言葉通り全く刃の立たなかった二股の薪。


早速『フルター』を慣らし感覚で一振り。
そんな簡単に割れる事は全く期待していないのだが、明らかに『グレンス』とは違う感触が手に響く。


跳ね返される感触とは全く異なり、木の繊維を少しだけ分け拡げ、ヘッドが僅かだが薪に沈み込む感触。

これは確実に割れると感じる征服感が馴らしの1投目で沸立つ。


でも悲しいかな、柄の長さが15cm程長く、まだ慣れていないので峰打ちならぬ柄打ちする事数回。

『グレンス』はプロテクターカバーが付いているので、柄打ちなど手がしびれるだけで、気にもしなかったが、『フルター』は生身の柄。これはいかん。何か工夫しなくては。



でも道具って素晴らしい。



斧と薪と熾きの日々






『味一鉄』なるブランドの鉄製のフライパンを買った。



焼き物は強火に限る。だから夏場の焼き物は美味しく出来ない。


ストーブの季節ならロッジのスキレット、及源(南部鉄)のフライパンの出番。ストーブトップや炉内の火力で一気に焼上げてくれる。IHでもスキレットは使うが、重くて気軽には使えない。




しょうがないので一般家庭普及率95%以上のテフロン加工のフライパンにお世話になっているが、強火に滅法弱い。構造上の問題もあるのだろうが、IHとの相性もいいとは思えない。


パン底がリング状に加熱されるがその他の部分との温度差がかなりある様に感じる。




ストーブの圧倒的な火力とIHでは比較にはならないのだが、野菜も水分が出過ぎるのだ。チキンソテーも皮がカリッと焼けない。




『味一鉄』。名前からしてやるなと思わせる。いわゆる取手も加熱される昔からのシンプルな厚底3mmの鉄製のフライパン。



当然ながらIH用とは書いていない。でも鉄製だから使えるはずと聞いてみると、錆防止用のオイルを焼き切る『空焼き』の儀式がIHでは不可能との事であった。



そうなのだ。鉄のフライパンは『空焼き』の儀式の後もメンテをしっかりやって初めてテフロンにも負けないツルツル肌に育つのだ。



やってやろうではないか。息子の『たまごっち』は直ぐに死んでしまったが『味一鉄』


は育て上げてみせよう。




斧と薪と熾きの日々




コールマンのアンデレッドのツーバーナーを引張り出し、早速『空焼き』の儀式を行った。



20数年前の『コールマン』は『エネオス』のホワイトガソリンを吸込み、機嫌よくゴーゴーと燃焼し、たちまち『味一鉄』からは錆防止オイルが焼ける白煙が沸立って空焼きは約15分位で終了。






斧と薪と熾きの日々




焼けたオイルカスをたわしでこそげ落とし、食用油を塗って初日の『儀式』は終了。



はやる気持ちを押さえつつ、まずは炒め物を中心に育成中。


とりあえず焼き飯、焼きそばがくっかなければ完成。




焼きビーフンを最終目標に設定し、しゅくしゅくと『味一鉄』に油を馴染ませる初秋の日々。







朝方、たまにカラスと目を合わす事もある寝室の天窓にはロール状の遮光幕がついているので、陽射しの強い夏には閉じて直射日光を防げます。

一方、リビングの天窓は遮光幕が無く、夏の日差しは串刺しの如く床に突き刺さり、室温をどんどん上げて行きます。


斧と薪と熾きの日々

何かカーテン状の簡単な物を取り付けようと思っていましたが、ずるずると夏も終り。

重い腰をあげて始めたのが、障子の桟作り。
ヒノキの15mm角材を組み合わせて格子にし、障子の枠を作成。


天窓のサイズを正確に測り、縦方向に5mm短く、横方向に10mm長く微調整して、はめ込み式にしたので、取り付けの造作は一切無し。


斧と薪と熾きの日々


桟に色着けをして、障子紙を慣れない手つきで貼り、霧吹きで湿らせピシッと張れば『九重』唯一の障子が完成。


斧と薪と熾きの日々

斜めに差し込むようにはめ込んで、



斧と薪と熾きの日々

そのまま置けば、しっかり固定。



斧と薪と熾きの日々

遮光で、光は弱くなっても障子紙がランタンのホヤの様に光を拡散させるので、以前より明るくなった錯覚すらします。



斧と薪と熾きの日々

さびしかったので少しだけお遊び。



斧と薪と熾きの日々

意外といい感じ。




北海道産のさんまの相場も一段落し、拙宅の食卓も秋を迎えた。

記念すべき初さんまをどう調理するかが、毎年の課題。

IHグリルの電熱線であぶったりしたら初さんまに失礼だと思う訳です。


斧と薪と熾きの日々

やっぱりさんまは直火で脂がボタボタと落ち、煙りにむせびながら焼くのが理想。ココは木端をコンロで燃やし、熾き火になる手前の炎で炙ってやる事にしました。


木端に火を着けし、熾きになるまで放置する訳ですが、お隣りが雑木林でもあり、しっかりと火守りをする必要があります。しかし夏を惜しむヤブ蚊は夕暮れの時間、数十匹の集団で蚊柱となり、猛威を振るって襲って来る為、とても火守が出来る状況にない。

数日前に掃除をしたストーブにコンロがすっぼり納まるのではないかと思い、2本の蟹目状薪ストッパーを外して入れてみると、まるでオプションアイテムかの様に、すんなりと納まりました。


斧と薪と熾きの日々

薪ストーブの中でコンロが熾き火を作っている、あまり見る事の無いおバカ的な風景。

煙突もしだいに暖まり、ドラフト効果を目視確認したので、ひょっとしたらこのままいけるんではないかと思い、さんまの直火焼きを家の中で敢行した。

斧と薪と熾きの日々

直ぐにボタボタと脂がしたたり落ち、熾き火の上で白煙を爆発させながら炎と化しつつ、さんまは正しく炙られて行く。


斧と薪と熾きの日々

一方大さんま臭を含んだ大量の白煙は、窓全開にも関わらずどんどん煙突に吸込まれ秋の夜空へ消えて行きました。


斧と薪と熾きの日々
皮が炭化した正しい直火焼きのさんま。




斧と薪と熾きの日々

見た目は悪いが、火力が強いので身はジューシーでホコホコ。

幼少の頃、庭先で蚊に刺されながら七輪で焼いたさんまの味。

使い方は正しくないが、確かに薪ストーブは調理器具であった。

中津川の『川上屋』さんへ




斧と薪と熾きの日々





その足で『すや』さんへ




斧と薪と熾きの日々





返す足で日本棚田百選の恵那は坂折へ




斧と薪と熾きの日々



もうすぐ刈入れ






ココで毎年岐阜の秋を食す。




斧と薪と熾きの日々





中津川2大ブランドの栗きんとん




斧と薪と熾きの日々



棚田と栗きんとん






斧と薪と熾きの日々



意味のない中身の検証。




ほぼ見分けはつかない。






斧と薪と熾きの日々



サイズもキメもほとんど変わらず。






斧と薪と熾きの日々



でも切ると『すや』さんの方がねっとり感があって、栗の粒も若干大きめ。




食すと栗の香りとなめらかな甘さが口中に広がりそれぞれ個性を感じます。




今年も正しい秋を迎えました。