ガットハロのブログ’混石’ -59ページ目

BOOM

今夏のファッションは白が来る。


信じませんか。じゃあ、どうやったら信じてもらえるでしょう。


ファッション雑誌か、朝7時からのニュースというかバラエティというかそういう番組で見たと言ったら信じてもらえるでしょうか。


信じたらあなたは白っぽく装ってくれますか。白くて良い物が見つかったら、ですか。良い物はどこで決めますか。感性、友人の薦め、ファッション雑誌、ファッションリーダーたる芸能人あたりでしょうか。


これで本当にあなたが白っぽいなにかを買ってくれたら、私は白っぽいものを売っている業界から何かお礼をしてもらえないでしょうか。無理ですか。そうですよね。

 さて、ここまでの話は全て適当なのでテレビや雑誌で確認しないように。ここからだっていつもどおり適当だが。


 今どき流行を伝える情報提供に「~が来る」などという表現が有効なのか知らないが、それに類した言葉で流行を伝える情報はいつでも流されている。「今、自宅に設える茶室が熱い」とか。いや適当なんで調べないように。火事か茶室。


 この手のあおり文句もそうだが、誰かが流行の訪れを教えてくれているのか、流行を発生させようとしているのか、どっちだろう。


 どちらも、というのが正解だとは思うが、受け取る我々としては後者の仕組まれた流行というものがあるなら、その企みにほいほいと従ってしまうことは誰ぞの吹く笛にあわせて踊らされているようで、心穏やかではいられない。


 と、思っていたのだ。最近まで。


 5年前から、テレビをほとんど見なくなった。いかなる雑誌も7年前からほぼ買っていない。新聞は昔からから他人の家や旅館でしか読まない。テレビと雑誌についてなぜこんなに具体的な年数が出るかというと、職場と住居が変わった時期だからだ。


 こうして引越しをするたびに掌からこぼれる水のごとく失われた家電や習慣により、私は部分的とはいえ社会情勢にとても疎くなった。地球の裏側で起きた政治紛争に会社の全員が色めきたっている朝、私にとって一番の事件は町内に昨夜現れた救急車のことだったりするのである。まあこういった事件に格付けをするのはよろしくないが、周囲との温度差を示すためということでご容赦を。


 このような状況になると、日々仕事をこなす上での不都合こそないものの、すこし不安になる。30才で人間的成長をやめ老け込む一方の不可思議な生き物。あらいやだあの人携帯電話なんて使ってる。今どき体内埋め込み式の通話端末も知らないのね。


 懐かしのSF的妄想はどうでもよい。どんなのか想像するとちょっと怖い機械ではないか体内埋め込み式通話端末。お前はドッピオ君か。とぅるるるん。


 テレビや雑誌など、継続してもたらされる情報にある程度つきあいのあった時には他人の用意した情報など疑ってかかれ、とか思っていたのである。流行を追い続けるなど人生を楽しむ上で必要ないよ、と。


 それは今でもある程度そう思うのだが、あまりに身の回り以外の情報が不足すると、本当に人の話がわからなくなる事がある。ついでにその情報によって世の人々がもつ価値観の動向にすらついていけなくなるのである。あれ、マイケルってそんなに皆がかっこいいと思ってたっけ。


 何だか話が急速に黒くなりそうなのでジャクソンを軸に無理やり音楽方面へ軌道修正する。流行歌のことである。

「みんなが知っている曲、というのは曲の評価以前に必要なものである。価値観のよりどころになるものだから」

 又聞きだが、そんなことを言った人がいるらしい。今ならわからなくもない。どでかい看板で広告貼っただけでバカ売れしやがってあんなへぼ歌が、とか、いやいや感動的なメロディーが涙を誘うのだ真の名曲だよ、という議論は当の流行歌あってこその話である。


 自分の気に入った一つを最高と考える事に問題はない。しかし、何につけ自分の考える一位以下は全部ダメ、と言えるほど物事単純でもあるまい。同じ分野において他に何があるかを知り、「他の人の言う最高」と比較した上でなければ最高という言葉が自分の心においてさえ意味を失うのだ。


 確かに大々的な広告やら美男美女や動物や子供やラーメンを起用した販売戦略に反感を覚えることはままある…いやラーメンはなんだか話が違うが、それらが本当にゼロになってしまうと反感で成り立つ面のあった自分の価値観が支えを失う、ような気もする。


 まあ、流行という情報の奔流に流されるばかりでなく自分の意志を大事にね、という主張は、ある程度奔流に流されたその上で抵抗する意志がないと言えない事なのではないかなあ。


 と、情報の川っぺりにてお伝えするのであった。自らの価値観を保つためにも少しは、流行りを、気にしようね。


 ははあ、お前に言われたくはない?ごもっとも。