そしていよいよ当時のオックスフォード大学生、今は教授との39年ぶりの再会の時間がやってきました
彼のカレッジの入口で待っていると昔と変わらない笑顔の彼が現れた
「昔と変わらないじゃないか!」
「君もだよ」
懐かしくて思わず彼にハグしてしまいました
「再びここに来るのに39年もかかっちゃいました。本当は2,3年でまた来るつもりだったのに」
「メールをもらったときはびっくりしたよ。でも懐かしい。あの時は楽しかったよね。今でも君のことははっきり覚えているよ」
「それにしてもオックスフォード大学教授とは驚いた。おめでとう。本当にすばらしい人生を歩んだんですね」
「君もそうだよ。こうやって再びロンドンまで出張で来て、立派な社会人になったじゃないか」
感動してもう涙が出てきました。多感な時の出会いって、後々の人生にも大きな影響を与えますよね。まさに彼との出会いがそうでした。単に旅行しただけでは分からない、ロンドンやオックスフォードで泊めてくれて、いろんなところを案内してくれたんですから。
「僕のカレッジを紹介してあげるよ」
15世紀にできた建物、図書館、事務室や教室などを見せてくれました
「図書館はやっぱり24時間オープンなの?」
「もちろんさ」
もうハリーポッターに出てくるような古ーい図書館では学生たちが熱心に勉強していました
そして彼のカレッジの事務長、教授、職員いろんな人を紹介してくれました
「僕たちは1984年にシベリア鉄道で知り合ったんだ。そしてユーラシア大陸を一緒に横断して、途中駅で下車していろんなところを歩いて見て回った仲なんだ」
「まあ、なんてこと。80年代?シベリア横断鉄道?39年なんてものすごく長い友情ね」
「ところがその時以来、今はじめて再会したっていうわけさ」
「まあ、その間連絡とってなかったの?」
「その当時は携帯電話も電子メールも何もない状態だったからね」
「だけど、彼がこのオックスフォード大学の寮に泊めてくれて、学内を案内してくれて、学食でみんなで食事をして、その時のことは今でも覚えてますよ。オックスフォード大学はとても綺麗ですごく印象に残っています。39年経っても、まったく変わらず美しいキャンパスですね!」
「39年!この大学は数百年変わってないわよ。町も昔と全く同じね」
「だけど僕たちは39歳も年をとってしまいましたよ。何しろ初めて会ったときは2人とも学生で、まだ人生どうなるか分からないときでしたからね」
こうやってオックスフォード大学のいろんな人たちと話をして交流をして、これが旅の面白さなんだなって、再確認しました。
「カフェで飲みながらシベリア鉄道のことやこれまでの人生を話そうじゃないか」
数百年の歴史を持つ建物のカフェでいろいろ話しました
「イルクーツクの公園でロシア人の学生たちと知り合ってウオッカの一気飲みをして飲み干したの覚えてる?」
「もちろんさ。彼らはなんかくれというから、僕はTシャツをあげたんだよ。僕は貧しかったから、Tシャツは貴重品で、もう着るものがなくなっちゃうところだったよ」
「そういえばそうだった。僕は米国のたばこのマルボロをあげたんだ。あの時はマルボロはソ連では超貴重品で、現金よりも価値があったから、日本から買って持って行ったんだよ」
「マルボロとTシャツか!きっと彼らは僕たちと出会ってすごい金持ちになったに違いないね」
「横浜からウラジオストックに行く船の最初の夜を覚えているかい?ロシア人やポーランド人やハンガリー人とか東ヨーロッパの人たちとウオッカの利き酒大会を開いて、僕が優勝したんだ」
「そうだ!東ヨーロッパの並みいる酒豪たちを差し置いて、西側代表の君がウオッカ5杯飲んで全部どれだか言い当てたんだ。あれは痛快だったね」
「この話のつづきは大学のパブでしようじゃないか。その前に僕の研究室に寄ってちょっと電子メールをチェックしたいんだけど、いいかな」
彼の研究室へ入れてもらった
20畳以上はありそうな広い部屋に
それこそものすごい量の学術書がびっしりと山積みされている
山積みされた本の間をかき分けて机とソファに座るって感じ
彼がメールをチェックしている間にざっと本の冊数を推測してみた
ひとつの山にざっと30冊の学術書が平積みされて
その山がざっと200はありそう
30×200=6000冊!!!
壁にもびっしり本が並べられているから10000冊?
ちょっと触ると本の山が崩れてドミノ倒しみたいに次々と倒れて
それこそ彼も私も本に埋もれて何日間も発見されるまで身動きできないなんてことになりかねないので
本に触らないように気を付けて移動しないといけない
それにしてもこんな本の山は見たことない
オックスフォード大学の教授ともなるとそれぐらいは本を読まないといけないんだろう
彼の人生は本を読む人生だったんだろうな
対照的に私の人生は居酒屋で飲んで歌って倒れて終電寝過ごして歩いて帰って、、、、、
「そんな狭い場所で申し訳ない。そのソファに学生が座って、週に何回か私と一対一で何時間も個人教授をやるんだ。それがオックスフォード大学の教育の中心なんだ」
そうやって数百年も濃密な教育を蓄積してきた土台がオックスフォード大学を支えているのでしょうね
彼の同僚の教授、助教授や事務の人たちがみんな私たちに興味をもってくれて
みんなでパブへ行くことになりました
「ちょっと待ってて。今カレッジの学長にも紹介するから」
そしてなんとカレッジの学長にも紹介してもらいことに。
「いま学長は学内の会議が長引いて、もう少しで終わると思うんだけど」
そうしたら、もう一人の教授が「じゃあ、待っている間に私のカレッジも紹介してあげるわね」と言って、セント・ジョンズ・カレッジという、オックスフォード大学のカレッジを案内してくれました。
「ここのカレッジの建物は、オックスフォード大でもっとも美しい校舎だと言われているのよ」

「ある有名な建築家がオックスフォード大で1番と絶賛した校舎を見せてあげるわね」
「この校舎よ。なんと工事中で見れないというわけ」
「あれま!これは残念!」
「昔のままに改築するのですごく時間がかかってるの」
「ここはオックスフォード大学で最も裕福なカレッジよ。ジョン・スミスや、トニー・ブレア元首相や、日本の秋篠宮様も学ばれたのよ」
そして宗教改革とオックスフォード大学とこのカレッジの歴史を教えてもらった
「このカレッジは膨大なコレクションのワインセラーを持ってて、年代物のアンティークワインがたくさんある。それをなんと学割や職員割価格で買えるのよ」
「なんと!大学のワインコレクションなんてあるんだ」
「そしてこのカレッジの食堂の料理はオックスフォード大学で最もおいしいと言われているのよ」
「本当に素敵な食堂ですね。ここで食べられる学生はしあわせですね。ぜひ食べてみたい」
「次回来た時に是非。そしてワインもね」
「はい、是非職員割でお願いしますね!」
そしたら偶然、このカレッジの学長とばったり出会い、学長にも紹介してもらった。
学長は子猫を3匹かごに入れて連れていて
「セント・ジョンズ・カレッジへようこそ。この子猫ちゃんたちは今日からカレッジの猫になるのよ。かわいくて仕方ないわ」
とオックスフォード大学の猫まで紹介してもらった
「寮では猫を買ってはいけないから、代わりに大学で猫を飼うのね」
「学長は、コソボ紛争での大量虐殺犯罪の調査などに携わった法医解剖学、法人類学の世界的権威なのよ。それで貴族院議員。でも今日は子猫がかわいくて仕方がない様子だったわね」
なんだか、すごいところに来てしまった
「じゃあ、みんなでパブへ行きましょう」
それでオックスフォード大学の教授や助教授や職員の人たちに囲まれてみんなで乾杯
「僕たちの友情に乾杯!そしてシベリア鉄道に乾杯!」
「39年間も連絡をとってなかったのに、どうやって彼を見つけたの」
「名前ははっきり憶えていたよ。覚えていたのは名前とオックスフォード大学だったから、それで検索してみたら大学のHPに彼の写真が出てきた。この素敵な笑顔はまさに39年前に見た彼の笑顔そのものだった。だからもう間違いないと思ったんだ」
「まあ、そうなのね。39年前って、私生まれてないわ。マイナス5歳の時ね」
「まあ、私はマイナス2歳よ」
「その当時はロシアじゃなくて、Soviet Unionソビエト連邦という名前の国だったんですよ」
「彼の武勇伝聞いたことありますか?横浜からウラジオストックに行く船の中で、ウオッカの利き酒大会があって、ロシア人、ポーランド人、ハンガリー人などを相手に、ウオッカ5杯を一気飲みして、全部どのウオッカか言い当てて、優勝したんですよ!」
「まあ、教授はウオッカの利き酒大会の優勝者だったの!」
「あの船で北朝鮮のタバコ売ってたね!初めて北朝鮮のタバコを見たよ」
「そうそう、マルボロも売っていたけど、ものすごく高い値段で、タバコというよりも物々交換に使う貨幣のような役割を果たしてたんだよ」
「そもそも、ルーブルはみんな闇市場で交換してたんだ」
「彼はオックスフォード大学の中でも人気の教授でしょ?彼はやさしくて紳士でスマートで。シベリア鉄道でも時間があれば読書をしていましたよ」
「そう、彼は学生にとても人気のある教授だわ」
「そういえば、彼のお誕生日パーティをここで開いた時に、彼が横浜の船に乗る直前に撮った写真を見つけたのよ。いまこのパソコンに入っているはずだわ」
そして彼女のパソコンから39年前に彼が横浜の船の前で撮った写真がでてきた
「わー、若いわね」
「僕はきっとこの船のここらへんにいるはずですけど、写ってないかな」
なんて言ってすごく盛り上がりました
「39年前にモスクワのホテルで2人で撮った写真が実家にあるはずなんです。見つけたら送りますよ」
「そうなの?楽しみね。とてもいい記念だわ」
「シベリア鉄道に乗って、それからどうしたの?」
「僕は東西ヨーロッパを回って、モロッコやキプロスやイスラエルに行って、イスラエルではキブツで働いたんですよ」
「そうそう、僕もキブツで働いたんだよ。あれは1982年だった」
「そうだったんだ。僕は1985年ですよ。どこのキブツでしたか?」
「ティベリア地方のキブツだった。君は?」
「僕は一番北の、レバノンまで数キロのキリヤット・シュモナの近くのキブツですよ」
「僕がキブツで働いている時、大事件が二つあったんですよ。ひとつはライブエイドが開かれたこと。あの映画ボヘミアン・ラプソディのクライマックスでクイーンがライブを行ったイベントです。あれは僕はイスラエルのキブツで何十人もの欧州の学生たちに混ざってみんなで歌いながら見ましたよ。僕はU2が印象深かった」
「もうひとつは、日航ジャンボ機が墜落して大きな犠牲者を出した事故。あのときはイスラエルでも新聞に載って、なんで日本人は同じ島の移動にジャンボ機をつかって、しかも満席なんだって、すごく欧州の学生やイスラエル人に聞かれた」
「1985年だと、インティファーダでパレスチナの蜂起が始まる1年前だね」
「そうです。停戦が成立して、82年から85年まで一時的に落ち着いた時期があったんですよね。あの時に僕たちはキブツに行ってたんだ」
「君と初めて会ったときのことを覚えてる。イギリスにも行きたいって言うから、どうしてイギリスに行きたいんだって聞いたら『I like The Clash』って片言の英語で言っていたのを覚えているよ」
「僕はそんなこと言ってたんだ。そう、僕はクラッシュが大好きで、クラッシュのコンサートに行きたくてイギリスに来たんだ」
「クラッシュですって!?今でも好きなの?」
「今でも大好きですよ。今でも毎日聞いています。ジョー・ストラマーが亡くなってしまったけど」
「それで僕がクラッシュのチケットをとってあげたんだ」
「そうだ。ありがとう。ロンドンでクラッシュのコンサートを見れたのは一生の思い出だよ」
「君のロンドンの友人の家に泊めてもらって、1人で見に行ったんだ。イギリス人は身長が日本人より高いでしょ。もう前に押されてステージに押しつぶされそうになって、みんな飛び上がって今度は右に揺れるわ次は左に揺れるわ、みんな背が高くて前は見えないし息ができなくて窒息しそうだった」
「まあ、そんな大変だったの。息ができないなんて、もう大変だったわね」
「でも生で大好きなクラッシュのコンサートを見れたから、もう幸せだった」
「1984年日本人の学生にとってロンドンで何が衝撃的だったかというと、ドクターマーチンのブーツ。ロンドンのパンクはみんな履いてて、なんだこのかっこいいブーツは! って衝撃だった。日本では見たこともなかった。ドクターマーチンが日本に来たのはそれから15年後の1999年ごろでしたから」
「ドクターマーチンのブーツが?!?!」
オックスフォード大学の先生たちはキョトンとした顔をしていた。
「またオックスフォードへおいでよ。今度はもっと時間をとって、ゆっくりオックスフォードのレストランで食事をして、ホテルに泊まって」
「そうですね。次に来れるのはまた39年後かな」
「そんなに経ったら僕たちはどうなっちゃってるんだ?!」
「でもこうやって再会できて、オックスフォードで話して飲んで、まるで夢のような気がする」
そしてもう私はロンドン行き最終列車の時間が迫ってきて
彼らがオックスフォード駅まで送ってくれた
「今日はありがとうございました。突然送ったメールに返事を書いてくれて、こうやって忙しいのに時間をとってくれて、大学を案内してくれて、パブでビールまでごちそうになって、とても印象深い一日になりました。また近いうちに来ます。そしてその時はオックスフォードに泊まって、ゆっくり過ごしたい」
「お元気で。今日はとても楽しかったよ。そして一緒に昔の記憶をたどって懐かしかった。若いっていいよね。若いときの友情は一生つづく。そして次に来たときはオックスフォードの美味しい料理を食べよう。とても楽しみにしてる。元気で」
また駅で彼とハグして
こんないい人はいません
こうやって39年前も、そして再び今回もあたたかく迎えてくれて
多くの人に紹介してくれて
こういう人との出会いがなんか人生で一番楽しいなって思いました
人生万歳!そしてオックスフォード万歳!