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前回の記事のつづきです。
目よりも皮膚感覚の方が反応が速いというのは、3〜4年前、ある武術家の先生のセミナーを受講した際にもその先生が話されていました。
また、目よりも耳からの情報に頼った方が反応が速い、ということも既に知られています。
さて、前回の「『目がいい』?」のつづきになるわけですが、きっとまた長くなります。初回体験会の種明かしみたいな内容になるのですが、体験会の際はこんなに長々と話す時間がないので、ここでお話しします。
みなさんは存在論(オントロギー)という言葉を耳にしたことはあるでしょうか?
IT業界やAI研究でも聞かれるものですが、
オントロギー(Ontologie)とは「存在するとはどういうことか」という、元は哲学上の議論です。
なので、例えば「人間」は存在論的に言って何なのか?ということになると、地球で生まれましたとか、動物の一種ですとか、そういった単なる事実ではなく、
人間とは
理性的動物である、
政治的動物である、
ホモ・ルーデンス(遊ぶ人間)である、
アニマル・シンボリク(シンボルを操る動物)である、
存在を理解し、その可能性として自己を生きる存在である、
…などのように、これまで主に哲学者が答えて来たような、人間とはそもそも何なのかみたいな話になります。
ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーの存在論は有名ですが、上記の「存在を理解し、その可能性として自己を生きる存在である」は、ハイデガー38歳の時の主著『存在と時間』における主張です。
難解で知られるこの論文ですが、なぜ難解かと言うと、内容が難しいというより、とにかく文章が読みづらい! 原文(ドイツ語)もかなりクセのあるものらしいです。
実は結構卑近なことが書いてあったりして、ざっくばらんな文章でひとつその例を紹介するとしたら、
「俺が道路を歩いてるとするだろ? その道路は、まず純粋な事物として俺の意識に現れて、その後色々な意味が付加される、というものではない。
それは最初から『俺が歩いてる場所』として知覚されてるんだ。」
みたいな、そりゃまあそうだと言いたくなることが書いてあります。まあ、本当に難しい部分もありますが、
この論文は〈存在の意味は時間を地平として理解される〉ということの証拠集めのようなもので、「よくそんな証拠見つけて来たな!」というようなことも。
その一つに、〈不安〉(Angst)という言葉で表現された現象があります。アメリカの哲学者で『存在と時間』を分かりやすく解説した本を書いた人がいるのですが、そこでの解説の概要はこうです。
「不安と言われるものなら何でもというわけではなく、ある特定の気分を指してハイデガーはこの語を選んでいる。それは、よくよく聞いて回ってみるなら誰でも一度や二度は経験したことのある奇妙な気分である。」
奇妙な、と形容していたかどうかは忘れましたが、
たまたまインスタで回ってきたリール動画で、20〜30代くらいの女性が自身の体験を話していて、「心理学者になってこの現象を解き明かしたいぐらい!」みたいに言っていて、
『存在と時間』の不安のことやん!と私は思いました。
その女性の話が面白かったので、紹介します。
YouTubeでもあがっていました。6分20秒あたりから
インスタやってる方はこちらで閲覧出来るかも
まず、その人は少ない時でも3ヶ月に一回、体感にして30秒くらい、そのような心理状態になるとのことで。3ヶ月に一回でもちょっと多すぎかなと私は思いますが、感覚としては30秒くらいというのは、その通りだと思います。
また、「自分を含めたすべてが嫌になる。嫌悪感。嫌悪感で合ってるのかも分からない」と言っていましたが、嫌になると言うよりおそらく「よそよそしく感じる」と形容した方がより正しいでしょう。
「プール更衣室症候群に似てるけど、寂しいというのとは違う」とも。
ネットで検索すると、正確には「プール後更衣室症候群」と言うそうで。ノスタルジックな感覚を伴うこともあるそうですが、
シュルレアリスム画家の一人キリコの絵にノスタルジックな雰囲気を感じることがありますが、
実はキリコはこの〈不安〉の気分をテーマに描いてたんです。フィレンツェのサンタ・クローチェ広場を訪れた際、いつもの見慣れた景色がまるで異国の地、あるいは時が止まった謎の空間のように感じられたという奇妙な体験です。
他にも似たような現象は、例えば、遠い異国で内戦が行われていて、そこで民衆が悲惨な目に遭っている姿をTVの画面中に見ながら、なぜ自分はこの国の人たちではなく、日本に生まれ、こうして暮らしている自分なんだろう?と不思議な感覚に襲われる。
つまり、自分が自分としてこうして存在していることがとても不思議になり、馴染みのことではなくなって、
世界の意味づけが崩れ、
いつもの役割や価値が空虚化し、
自分が剥き出しの存在として露出する
ということ。ある意味ゲシュタルト崩壊と同じ現象でしょうね。
この〈不安〉現象が起きやすいタイミングは、自宅の自室など、なるべく馴染みの多い場所にいる時が多いですかね。
あるいはもしかしたら、旅行先の旅館で夜中に目が覚めて、天井を見て、あれ、ここどこだっけ?と一瞬考えちゃう時の暗がりの中の静寂に似ているかも。
何となくわかってきましたでしょうか? 動画の女性が語るように、30秒くらいしたら嘘みたいに消えて「何でもなかったのだ」と、大抵はすぐに忘れてしまいます。
ハイデガーの『存在と時間』にもそのように書いてあります。思い当たりはありませんか?
ともあれ、こんな稀にしか起こらない現象を証拠として持ち出すハイデガーがすごいですが、説明を聞いても分からない人には分からないかもしれないくらいマイナーーーな感覚です。だからこそ〈難解〉なのです、この本は。
〈不安〉に似てはいるけど対照的なのが、詩人 吉野弘氏の有名な詩「祝婚歌」にある「生きていることのなつかしさに ふと胸が熱くなる」というくだりでしょう。
プール後更衣室症候群はこれらの中間に位置するような気がします。
しかし三つともある意味同じことが起きていて、どれも
世界が改めて開示されているのです。
これは余談ですが、世界の存在を論理的に「絶対的に証明」する事は不可能で、証明するには、オートポイエーシス論でも言われているようですが、実際に生きてみることです。
ここで使われる論証形式は、アメリカの哲学者・論理学者であったチャールズ・サンダース・パースの言うところのアブダクション(仮説形成・思いなし)だと私は思います。
つまり、「世界が存在する」という事にした方が万事辻褄が合う、少なくとも一番辻褄が合う、という推論を生きる事によっていつも既に終わらせている、ということです。
さて、長くなりすぎて文字数制限を超えてしまったので、もう半分は次回に回すことにします。

