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今日は込み入った話になります。と言っても、「目ばかりに頼らず聴覚や触覚も働かせましょう」という、どこかで一度は聞いた事のあるようなお話です。


長くなるので、分かる人(刺さる人)だけに分かればいいかなと思って書いてみます。



空手ではありませんが、防具有り自由組手をやっていた時期が私にはありまして、その時練習仲間によく言われたのが


「目がいいね」


ということ。相手の攻撃を避けるのが皆んなより上手かったみたいで。


しかし、空手の稽古で対武器の約束組手をしていて、ソフト棒がスパーン!と側頭部に直撃した事があります。目だけに頼った情報処理をしてしまったからです。


だから、「目がいい」と言われたのは、目だけに頼った結果ではなく、


実は、自由組手では「皮膚感覚で相手を見る」という事をやっていました。そうすることで相手の次の攻撃がよく見えたのです。


皮膚で見る…って言葉だけでは分かりづらいですが、


相手がナイフを持っていたら、

「あれで腹刺されたら痛いだろうなぁ」

と思いますよね。そういう事です。



当稽古会の初回体験会では、


姿勢 目 瞬発力


を体験してもらいますが、


そのうち目についての話が今回のブログ記事です。


初回体験会の目の項目では、以下のことをやります。

1 瞬視〜世界の存在を開く〜

2 収束〜意識の線を一点に集める〜

3 散開〜気配を広げる〜




3がすでに説明した「皮膚感覚で見る」ということです。


もう少し詳しく言うと、


皮膚感覚に意識のウェイトを置く

→自分の身に起ころうとする事が分かる

→相手が動く少し前に相手が攻撃してくる事を察知できる


ということが起きます。

予測や予想というより、分かっちゃうという感じです。


実はここには聴覚が関与しており、皮膚感覚について記述するには聴覚まで遡る必要があります。



それが次に述べる「2 収束〜意識の線を一点に集める〜」です。


皮膚感覚に意識を向けた時、脳の聴覚野が働いているはずだと私は確信してます。

それは触覚情報を聴覚的に受け取るということ。


感覚的に言うと、


皮膚上に起きた感覚に耳を澄ます


という感じです。




例えばですね、


…実際にやってみる人は怪我しない程度にやって欲しいのですが、


片方の手を軽くつねってみてください。

痛いですよね。

痛覚に耳を澄ますと、それは単なる情報となって、


あるいはむしろ情報処理される前の情報資料となって、痛みではなくなります。


痛覚だけでは「痛い」ということにはならないのです。


痛みとは、単なる概念(観念の習慣)としての意味ではない「身体的な意味」なのです。


実際にこんな話があります。

麻酔を使った無痛分娩はよく知られていると思いますが、麻酔を使わない方法があります。


赤ちゃんが産まれてくる事を大きな喜びとしてイメージし、痛みを無くして出産するというもの。


もちろん事前に訓練か何かを受ける必要がありますし、出産時に痛がることが「子供が産まれることを喜ばない」ということにはなりません。痛いものは痛いです。


テレビで実際の出産時の映像を見ましたが、女性は全く苦しそうではなく、かと言って喜びの笑みを浮かべるでもなく、平然とした真顔でした。それは何かに集中しているような表情でもあり、実際には大きな痛覚が存在したはずです。


ちなみに、私は四肢を怪我してズキズキしたり痛風発作をこらえる時は、痛覚に耳を澄ますという事をやっています。


しかし腹痛と頭痛は集中力を維持するのが難しく、耐え難いです。生存に深く関わる部位だからでしょう。


ところで痛覚に耳を澄ますということに初めて私が気付いたのは高校生の時です。


慢性の副鼻腔炎(蓄膿症)のために父の友人のはり治療師に施術してもらったのですが、顔のツボにはりをたくさん刺され、世界がひっくり返ったんじゃないかというくらい痛くて、


でもはりが刺さってるだけだよな、世界がひっくり返るわけないなと変に冷静になりまして、顔の表面に起きている感覚を単なる情報なんだと思うようにして、痛みをこらえることにしました。


それは、痛覚から逃れるよりむしろ立ち向かうということでした。Mではないですよ。マゾヒズムは支配されることで孤独感や無力感などを紛らわせたいだけなんで。


話を戻しますが、そしたら、ちっとも痛くなくて、平気になったのです。その後、はり治療や他の何かで痛みがあるたびに試しているうちに、耳を澄ましているのだということに気付きました。



さて、長くなりすぎたし、蛇足気味になってきたので続きは次回にします。