渋沢栄一翁と富士市の製紙産業 | 富士市議会議員 鈴木幸司オフィシャルブログ Powered by Ameba

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今朝の街頭演説はJR吉原駅から
通学する学生さんたちに「国鉄鈴川駅」、そして今度一万円札の肖像に採用される「渋沢栄一翁」と富士市の製紙産業との関わりについて話しかけさせていただきました。

・・・明治22年、富士山からの豊富な水源と森林資源を持つことに目を付けた第一銀行の渋沢栄一氏が入山瀬地区に旧富士製紙「一号機」を建設、近代製紙産業の黎明期を切り拓きました。(ちなみに当時の地図にはこの「一号機」という地名が残されており、入山瀬から国鉄鈴川駅(現在の吉原駅)までの「馬車鉄道」を経由して、大量の紙製品が「東京」へと輸送されたことが記されています)
 最初は水車によって得た「軸力」をベルトとプーリーで伝えて機械を動かしていましたが、その後これが「水力発電」に進化します。すると余った電力を電線を通じて地域に供給する事が可能になり、多くの中小の製紙工場が競うように起業していくことになります。(この富士川発電会社はのちに東京電力に併合されます)
 大正15年から昭和5年に掛けて、東京を中心に日本中で「円本(えんぽん)」のブームが起きました。当時は高価だった「本」が1円で買えるようになり、紙の需要が急増、各地の製紙工場はフル操業状態になります。富士市の紙加工関連産業などの勃興期がこの時期です。

 


写真は富士製紙の第一号抄紙機を輸入した際「ブラッククローソン社」から寄贈された「夜明けの像」です。(2018/11/3朝日新聞)
 2018年11月「富士山ビエンナーレ」の際に富士建築士会が行った「鷹岡まち歩き」で近代製紙業発祥の地「入山瀬」について説明しました。