東京理科大学のこと | 富士市議会議員 鈴木幸司オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 だるま市で有名な「毘沙門さん」に行ってきました。旧暦正月7・8・9日に開催されるこの毘沙門天大祭についての記述は、他のブロガーの方にお任せします。
 お参りもすませ、参堂の真正面の「立場」という旅館の一階で旭化成ホームズの方々と飲んでたんですが、そこでなんと東京理科大の同期生と会いました。専攻は違いますが、飯田橋の「軽い心」や「キッチンくま」「佳作座」の話ですっかり盛り上がってしまいました。
 
 私の卒業した東京理科大学は、司馬遼太郎さんの「この国のかたち」という著作の「文明の配電盤」という章の中で「高貴とも言うべき例」として紹介されています。


 その中で高貴ともいうべき例がある。神田に設けられた私学の一つ東京物理学校(こんにちの東京理科大学)のことである。
 明治初年、東大の理工系を出た人たちは、国家のカネによって学問を授かったと言うことで、国恩を感ずる人が多かったらしい。特に、明治12年前後の理学部物理学科の卒業生に、その意識が強かった。
 彼ら21人は同盟を結び、報恩のために一私学を興そうと申し合わせた。但し、金がないために当初は学校の校舎を間借りした。さらには夜学にした。明治14年の東京物理学校の出発である。
 物理学の教授や研究には、実験用機械などに膨大なカネが要る。それらは当時、東大にしかなく、維持同盟の人たちの毎月1円以上の拠金でなりたっている東京物理学校にあっては、そんなものを買う金はなかった。
 この事情を東大理学部はよく理解した。そこで、日中、大学でそれらを使用すると、夕方から物理学校へ大学の使丁が運搬したと言う。このことは、毎日、数年も続けられた。
 官物が私的に使われることは許されることではないのだが、あえて大学はこの便法をとった。配電盤が、国家の将来のために志をもって漏電していたのである。

 
 この維持同盟は「理窓会」と名前を変えて今でも続いており、卒業生からの寄付や研究成果からの利益を還元することで、おそらくは理工系の私学としてはもっとも安い学費で学べる大学として存続しています。
 バブル全盛の当時から、年々レジャーランド化していく他の大学とはまったく違う雰囲気をもっていました。。。まずびっくりしたのは「神楽坂キャンパス」にはグラウンドがありません。大学というより専門学校の趣。そして教養課程と呼ばれる2年間で研究者として必要な基本を学べと言われました。 え?別に研究者になろうという志をもって入学したわけではありません。
「本学の門を叩いた以上、学ぶ者はすべて学者だ。4年後に卒業論文を世に問うのだから、恥ずかしくない物を残しなさい」
 考えてみればその通りで、しごく真っ当な大学であったともいえます。
 関門教科を落とすと簡単に落第します。毎年1割から2割が落第しますから、4年で卒業できるのは半分に満たない、という有様です。
 
 雪が降って来ました。
 大学生活についてはまたあとで書く機会があるだろうと思いますが、今日はここまで。

鈴木