話し合いと談合はある意味イコール? | 富士市議会議員 鈴木幸司オフィシャルブログ Powered by Ameba

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昨日の放駒理事長の
「無気力相撲と八百長はある意味イコール」
この告白に、
ああ多分この人はいい人なんだろうなと思ったんです。

あの謝罪会見を"危機管理評論家"の人が「なっていない」と批判していましたが、
相撲って、日本人にとってはスポーツというより伝統芸能ですよね。勝ち負けより、様式美を楽しむ世界。果たして国民の何割が八百長なんて絶対に無いと思っているか疑問だし。。。
あ、これは大石英司さんのブログ「伝統としての談合」からの引用です。
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2011/02/post-e2bd.html
もう少し引用を続けます。
 でも一方で、「八百長」という言葉を使うから、スポーツマン精神に泥を塗っているようにも見えるけれど、要は、これも日本社会の伝統である「談合」ですよね。
 個人対個人、あるいは部屋対部屋で談合している。それは負けが込んだ相撲取りが土俵に留まるための、まさに談合であり、怪我せずに互いがその場所を終えるための知恵でもある。
 相撲のこれは、公益法人云々とは言っても、所詮娯楽でしょう。公共事業なんて、国民の血税がその談合で無駄遣いされているにも拘わらず、自治体の長までが、談合は必要悪だみたいに認めることもある。日本人はムラの談合に寛容なんですね。
 ここで談合止めます、みたいに言っても、これは無くならないでしょう。


 武道としての相撲を経験したことの無い「相撲を見続けてうん十年」とかいう"相撲評論家"が「八百長はいけません」と力説している姿には苦笑させられます。彼らは、今こそ「スポーツとしての相撲」ではなく「様式美としての相撲」を擁護すべき立場のはずです。
 
 日ごろから、建設業界のえらい人たちは「談合はしていません。話し合いです」と主張していますが、これも同じことです。
 日本のムラ社会は談合に寛容ですが、これとて大関、横綱といったAクラスの人たちが真剣勝負をみせてくれるから、下の方の取り組みに「怪我せずに互いがその場所を終えるための知恵」があろうとも、お相撲さんへの尊敬は維持されるのだろうと思います。
 
建設業界にとっての「様式美」とはなんでしょうか。
それは「ものづくり」であり「ひとづくり」のはずです。

鈴木