国民に語りかける政治の力 | 富士市議会議員 鈴木幸司オフィシャルブログ Powered by Ameba

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「国民に語りかける政治の力」という豪志の言葉について。

昨日引用した上久保立命館大学准教授は
「実は国民こそ政治家から「信頼」されていないのではないか」と問いかける。
(論文の全文はダイヤモンドオンラインで読めます)
http://diamond.jp/articles/-/10598

野党の中には、政策審議と閣僚問責・小沢氏の問題を分けるべきと考える政治家がいる。河野太郎氏は自身のメルマガで、閣僚の問責は、かつての額賀福志郎防衛庁長官問責決議を民主党が謝罪することで終結させ、予算案審議や税制改革などの政策の審議に入るべきだと主張する。同様な考えを持つ政治家は、民主・自民両党の中堅クラスに多いと思われる。 

 この河野太郎さんの主張は
    ↓
http://www.taro.org/2010/12/post-874.php
http://www.taro.org/2010/12/post-876.php
しかし、これは決して自民党の方針とならない。むしろ、菅首相の問責決議に進もうとすらしている。菅政権への支持率を急落させた国民が、冷静に政策論争の必要性を理解できると信じられないからだ。野党は、感情的な国民の反発を恐れて、国会審議を進められない。「熟慮の国会」が実現しないのは、国民の側にも問題がある。
 
 感情的な国民の反発を恐れて、国会は55年体制で確立した手法・・・「与党の横暴VS野党の怠慢」方式に回帰してしまう。
(国民の不満が「野党の怠慢」に向い始めるタイミングを見計らって、自民党から妥協案が出され社会党が手打ちに同意する・・・これが55年体制)
 
 国民の民主党批判のひとつに「野党とのパイプが無い」というものがある。「野党と腹を割って話せる人材がいない」だから「政権担当能力が無い」というのだ。
 しかし、細野と河野太郎さん、そして金融国会の時の、「政策新人類」つまり石原のぶてるさんたち自民党若手中堅議員と民主党の若手の間には、じつは確固たる信頼関係がある。

現在の問題は、与野党間にパイプがあっても、国民が感情的になっているので、それを使えないということだ。
 
これは、政治学の大学一回生の教科書レベルの話だ。過去の事例を勉強していれば、菅政権の国会運営の困難は、与野党間にパイプがないからではなく、国民が野党の妥協を許さないからだとすぐにわかる。 

 国民が基本的な勉強もせず、民主党に政権担当能力がないと感情的に決めつけるのは困ったものだ・・・と続く。
 
 だから豪志は、国民に語りかけたいと感じている。
 一昨年の大連立騒ぎの時、小沢さんは「民主党には政権担当能力がないと国民に思われている」と発言した。国民が政治家を信頼しない。
 しかし、上久保さんが言うような、すべての政治家が国民を信頼していないという主張は間違っている。
 細野豪志は企業団体献金を受け取らない数少ない政治家のひとりだ。冠婚葬祭や便宜供与に走るより、有権者に語りかけることで国民は理解してくれると信じている。
 だから今、国民に語りかける政治の力が弱まっているのではないかと心配しているのだ。(従来型の政治家にはそんな発想は出てこない)
 そんな政治家がいてもいい。
 そんな政治家たちがメインストリームになれば、日本の政治は変わる。
 
 いま声高に「政界再編」を叫んでいる人の中に、旧世代の政治家たちが混じっている。アンシャンレジーム、王政復古をのぞむ人たちが、どんな風に政党を組み替えようとも、正答は導き出されない。予算編成権を失った彼らが真に望んでいるのは、政界再編というガラガラポンで、自分の利権を取り戻したいだけだからだ。
 
 国民が安定を志向しているのならば、尻尾に犬が振り回される…そうした連立の弊害を避ける為に政策ごと、政党の枠を超えて協力し合う仕組みは出来ないものだろうか。

行政改革担当大臣に「渡辺よっしー」
年金問題担当大臣に「舛添さん」
財政金融担当大臣に「与謝野さん」
国土交通大臣に「河野太郎ちゃん」

能力があれば、野党からも抜擢する。
アジェンダが合うものだけ各党間の党議拘束を外す。大連立よりも、このほうが正解に近いのではないだろうか。 

鈴木こうじ