銭洗弁財天宇賀福神社/神奈川県鎌倉市 | Goshuinnistの神社巡り

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ご訪問いただきありがとうございます。神社巡りが趣味の大学生です。有名な大社から地元の鎮守さままで、訪れた神社を紹介しています。情報は筆者が参拝した当時のものです。週1~2回、基本的に19:00更新です。

 

基本情報

神社名:銭洗弁財天宇賀福神社

御祭神:市杵島姫命・宇賀福(弁財天)

社格等:ー

鎮座地:神奈川県鎌倉市佐助2-25-16

最寄駅:鎌倉駅(かなり距離あり)

駐車場:参道途中に10台分あり ※平日のみ使用可能

御朱印受付時間:8時00分~16時00分(巳の日のみ6時00分~)

公式サイト:ー

 

御由緒

 佐助ヶ谷の最奥に三方を尾根に囲まれ、古くから隠里と呼ばれ、福神の住むところといわれた凹地があります。銭洗弁財天宇賀福神社はそこに鎮座しています。
 銭洗弁天のもとは扇ヶ谷の八坂神社の末社でしたが1970年に独立し、名を銭洗弁財天宇賀福神社としました。御神体は、体は蛇、頭は人の形をしていて水の神とされています。

 創建のいきさつについては、次のような話が伝えられています。平安時代の終わり頃は世の中が乱れ、そのうえ飢饉が続いて人々の苦しみはひどく、目も当てられない有様でした。

 源頼朝は人々の命を救おうと日夜神や仏に祈っていましたが、巳の年の1185(文治元)年、巳の月、巳の日の夜に、夢にひとりの老人が現れ、


ここから西北の方に一つの谷があり、
きれいな泉が岩の間から湧き出ている。
今後この水を汲んで絶えず用い、
神仏を供養せよ。
自分はこのかくれ里の主の宇賀福神である。


 と言って姿を消しました。

 夢からさめた頼朝がすぐ家来をやってその場所を探らせると、確かに、岩の間から綺麗な水が湧き出ているのが見つかりました。
 頼朝はさっそく石工に命じて穴ぐらを掘らせ、社を建てて宇賀福神をおまつりし、毎日その水を運んで供えたところ、天下は次第に治まり、人々は安楽な日々を送るようになったといいます。

 その後、第5代執権北条時頼もこの神を敬い、人々に参拝させました。

 そして「銭をこの水で洗い清めれば福銭となり、一家は栄え、子孫は長く安らかになるであろう」と、自ら持っていた銭を巳の日に洗って祈ると、人々もそれにならって銭を洗い清めるようになりました。

 いつしか銭洗いの水と呼ばれるようになり、今でもこの水でお金を洗う人が絶えません。

鎌倉公式観光ガイドより

御朱印

初穂料:300円

 

 

御朱印帳

紺地に金糸で社紋が刺繍されたシンプルで落ち着いたデザイン。サイズは16cm×11cmで、初穂料は1,300円。

※筆者は拝受していないため、情報のみ記載。

 

境内案内

最寄駅である鎌倉駅からは相当あるいた源氏山の麓に鎮座。坂の途中からは洞窟のように参道が伸びる。
 

鳥居脇には古い扁額が掲げられている。ほどよく苔むし、良い味を出している。
 
境内には至るところに水が湧き出ており、滝のようになっている場所もある。
 
自然の山の形を活かした造りをしていることが分かる。
 
神仏習合の名残が色濃く残るのも当社の特徴であり、拝殿前には大きな香炉やろうそくを立てるスペースが設けられている。なお、線香とろうそくはセットで100円で頒布されている。
 
その先には比較的こぢんまりとした拝殿。筆者は正月に参拝したため、人が多く参拝に苦労した。
 
拝殿のさらに上には上之宮水神宮が鎮座。
 
下之宮の水神宮も整備されており、上之宮とあわせて参拝する方も多い。
 
さらに、拝殿の左手は奥宮となっており、こちらで貨幣を清めることができる。
 

参拝を終えて

源氏山の麓に鎮座する当社。神仏習合の時代の習慣が色濃く残り、筆者も友人とともにろうそくとザルいただき参拝したのだが、なんとも言葉に言い表せないような不思議な感覚に陥った。鎌倉の代表的な観光地として平日休日を問わず観光客や校外学習に訪れる児童・生徒が絶えないが、その影響か境内が少しばかりゴミが落ちていることに気になってしまった。このように神仏習合が色濃く残る神社は少ないので、大切に保存していくべき社であると感じたとともに、自身の参拝マナーについても顧みる訪問となった。

 

地図

 

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