耳の話 その34 国立時代(20) | 小迫良成の【歌ブログ】

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「唱歌是生活的乐趣(歌は人生の喜び)」
「有歌声的生活(歌と共に歩む人生)」
 この言葉を心の銘と刻み込み
 歌の世界に生きてきた
 或る音楽家の心の記憶

東京藝大声楽科を受験するにあたって

もうひとつ、クリアしておくことがある。

 

それは「歌唱の時間帯」に関すること。

 

実際の藝大入試では

受験番号に沿って実技試験が行われるので

入試が始まってしまえばある程度

「次の試験では何時頃に歌うことになるか」

の予測がつけられたりするのだが、

それでも自分より前の番号の受験生が

大量に1次で脱落したりすると

思わぬことが起きないとも限らない。

 

なので、

朝の9時から夕方の5時まで、

どの時間帯であっても関係なく

100%の性能を身体から引き出して

フルボイスでの歌唱を行える必要がある。

 

もともと尚美受験科の頃から

朝9時のレッスンには慣れていたので

私にとって「歌うのにきつい朝」というものはない。

 

だが、ただ「歌える」と

「100%の性能で歌える」には

大きな隔たりがあるのだ。

 

まずは身体の活性化。

 

「身体を起こす」という意味では

体操やストレッチなどが良いのだろうけど、

ここは完全に自己流で

「足腰」のみを重点的かつ集中的に

鍛えることにした。

 

こうすることで

足に踏ん張りの力をつけると共に

そこから上半身に向かって

活力を巡らせていくことが

できるようになる。

 

歌を歌うにあたっては

「腹式呼吸」だの

「声の当て場所」だのと、

なにかと上半身の姿勢や

頭部の共鳴ばかりが

強調されるきらいがあるが、

それ以前にまず必要なのは

(そして、それ以上に必要なのは)

「体力」と「胆力」なのだ。

 

 

82年の藝大入試二次では

初めて「藝大入試」をリアルに感じ取り、

己の至らなさも含めて

足に力が入らなくなっていた。

 

それは傍から見れば

「雰囲気に呑まれてしまった」

「上がってしまった」様であっただろう。

 

「吞まれなかった」

と言えば噓になるし、

「上がらなかった」とは

とても言える状態でなかったのは確か。

 

なにより、

私自身の中では

生まれて初めて感じた類の恐怖であり、

同時に深刻な喪失感でもあったのだ。

 

あえて例えるなら

「Lv.1で村人の服と素手のまま

 間違って魔王の城に入り込み、

 そのまま魔王の座る

 玉座の前まで来てしまった」

・・・というところか。

 

これは

トランペット専攻で

最初から国立音大を志望していた

現役時(80年)の藝大受験や

声楽専攻に変わったばかりで

やはり国立音大入学が第一目標だった

尚美受験科時代(81年)の藝大受験では

ついぞ感じてこなかった感覚。

 

いわゆる「記念受験」や「ダメ元受験」、

「ギャンブル受験」などでは

決して感じることのできない、

リアルな「受験」の感覚。

 

…そう、

「いざ、これから」という時に

足に全く力が入らず

スーっと身体が床の中に沈み

そのまま地の底まで落ちていくような

あの嫌な感じだけは、

二度と経験したくなかった。

 

それ故に、

「足腰を重点的に鍛える」

ことにしたのだ。

 

 

スクワット60回を3セット、

それが楽にこなせるようになったところで

ジャンピングスクワットに切り替え

同じく60回を3セット。

 

最初はリズムカルに動けなかったので

テンポやリズムなどは関係なしに

100回を1セットとしてやっていたが、

そのうち、メトロノームを取り出して

テンポ60で1分間に60回のスクワットを

1セットとして行った。

 

インターバルは30秒。

 

スクワット開始から3セット終了まで

僅か4分の短い運動だが、

これが結構きつい。

 

身体が慣れてきたのは

夏頃からだろうか。

 

その効果が歌に現れてきたのは

秋になってから。

 

そして、これが

私の「足の踏ん張り」として

朝であれ夕方であれ、

上半身を支え、呼吸を支え、

何より自身の心を支える

頼もしい味方になった。

 

ほんの思い付きから

始めたことではあったが、

おそらく

これは私にとって

「やるべき時にやるべきこと」

の一つだったのだろうと、

今では確信している。