耳の話 その22 国立時代(8) | 小迫良成の【歌ブログ】

小迫良成の【歌ブログ】

「唱歌是生活的乐趣(歌は人生の喜び)」
「有歌声的生活(歌と共に歩む人生)」
 この言葉を心の銘と刻み込み
 歌の世界に生きてきた
 或る音楽家の心の記憶

さて、

海野事件の余波を受け

江古田の須賀先生宅に

出入りしていた門下生たちは、

藝大受験を間際に控えた時期に

レッスン中止を申し渡されることになった。

 

楽器輸入業者の逮捕が81年の12月1日、

海野義雄の逮捕が同年同月8日なので、

藝大からの「学外個人レッスン禁止」の

通達が出されたのは12月後半か

1月早々の事ではなかったかと思う。

(前後の経緯を考えるとおそらく年内)

 

当時の須賀先生の個人レッスンは

1回につき1万円、

ただし受験生(=学生未満)ということで

1回7千円、月謝にして2万8千円を

月初めor先月終わりに支払っていたと記憶する。

 

その月のレッスン回数を消化する前に

レッスン中止となったため

差分が返却されるということで

私は少し喜んだ。

 

(心の声)

「しめた、これでまた数枚、

 中古レコードを買い漁ることができる!」

 

しかし、そこは先生もさるもの、

現金での返却ではなく、

その年に出版した先生監修の

《イタリア歌曲集:正しい発音と解釈》

というカセットつき書籍(教則本?)の

現物支給となった。

 

(心の声)

「ずるっけー!!」

 

口にこそ出さなかったが、

どうやら私の不満は

顔に現れていたらしい。

 

すると先生は

「出血大サービスじゃ!

 私のサイン入りにしてやろう」

 

…と、

本の裏表紙にサインと共に

「小迫義成君へ」と

一筆添えてくれた。

 

「先生…私の字、間違ってます」

「お、スマン、スマン!」

 

”義”の文字の上に”善”が添えられ、

それ以上文句を言うことも出来ず、

私は礼を言って本を受け取ることに…

 

ちなみに私の名前は「小迫良成」である。(涙)

 

 

こう書くと、まるで須賀先生が

極悪非道の悪徳教授のように見えるが、

──まあ実際、したたかな

 食えない古狸タイプではあったが──

私にとっては敬愛するに足る、

とても良い先生であったことは

ここに記しておく。

 

この海野事件の一件でも

須賀先生自身の個人レッスンは

一旦中止となったものの、

これの代わりとして

当時の尚美高等音楽学院受験科の

声楽主任で須賀先生の弟子でもあった

萩野昌良先生が門下生を引き取り、

藝大受験までの短い間ではあるが

面倒を見てもらうことになった。

 

この萩野先生のレッスンにおいて

私は二人の受験生と出会うことになる。

 

一人は当時バリトンで

後にテノールに転向した故・経種廉彦、

もう一人は当時まだ高2で

冬期講習か何かで上京していた

バスの妻屋秀和である。

 

(続)

 

※写真は82年1月、国立音大1年次実技試験の終了後、

 級友の馬場君宅で飲み会をした時のスナップ。
 伴奏は私にオペラとLPの世界を教えてくれた菅原君。