耳の話 その6 慣れは価値観の書き換え | 小迫良成の【歌ブログ】

小迫良成の【歌ブログ】

「唱歌是生活的乐趣(歌は人生の喜び)」
「有歌声的生活(歌と共に歩む人生)」
 この言葉を心の銘と刻み込み
 歌の世界に生きてきた
 或る音楽家の心の記憶

日本において

声楽を志す者達の多くを

「音痴」に導いてしまうのは、

音高・音程に関する感覚を

磨いていくのではなく

むしろ鈍化させていく方向に

レッスンの現場や合唱の現場・

オペラの稽古現場があるからだ。

 

特にオペラ偏重の世代が

現場で指導的・主導的な立場にあると、

その傾向は更に著しくなる。

 

・・・で、

一番大事な事で

一番恐怖しなければならない事、

それは

「どんな環境であっても

 そこに居続ける限り

 人はその環境に順応する」

ということ。

 

例えば、

初めてその合唱団の稽古で

メンバーの力量に触れた時、

「なんだこれは?」

と疑問に思ったとしても

何度も稽古を重ねてくると

「うん、これはこれでいいのかも」

と受け入れてしまったりするのだ。

 

稽古のアフターで

一緒に食ったり飲んだりして

親睦を高めていけばいくほど

そこがどれほど音楽的に

荒っぽくてやっつけな現場であっても

「みんな頑張っているよな」

と肯定的に見るようになる。

 

「慣れ」というのは

本当に恐ろしくて、

音痴の集団にしか聞こえないような

雑な音がそこに渦巻いていても

その環境に長く浸れば浸るほど

その音に「慣れてしまう」のだ。

 

「慣れ」とは

「経験の蓄積による

 価値観の書き換え」

と見ることができる。

 

そうした環境の中にありながら

「自分の音感や感性は

 微動だに揺るがなせない」

でいることは至難の業。

 

・・・というより、

まず凡人にできる業ではない。

 

本人はそのつもりでも

気づかぬうちに感性を書き換えられ

元には戻れなくなるもの。

 

「耳が慣れてしまう」とは

それほどに恐ろしいことなのだ。

 

だからこそ

声楽を志す者は

心しなければならない。

 

一番鍛えなければならないのは

歌うにせよ聴くにせよ

これなくしては何もできない

「耳」だということに。

 

そして

声楽家として

自身の音楽観や音への感性を

本当に大事と思うなら

何よりもまず守るべきは

「自分の耳」であることを。

 

「耳を腐らせない」

 

そのためにも

耳が腐りそうな環境には

身を置かないこと。

 

それは声楽家…

…というより

音楽家にとって

自殺行為でしかないから。

 

言うは易し、

行うは難しだけどね。